116 第八部・スィダチ〈地下トンネル〉
◆支援要請
変異体の襲撃により、思いがけず戦闘支援を行うといった異常事態に見舞われたものの、〈ミツバ〉の呪術師と〈スィダチ〉の関係者との会談は、どうやら無事に終わったようだった。
その会談の結果、〈ミツバ〉は〈スィダチ〉からの支援要請に応じて、部族から数名の戦士を特別に派遣することを正式に決定した。表向きは防衛協力という形を取っていたが、実際にはそれ以上の意味を持っていたようだ。
〈スィダチ〉が抱える問題は、一部族の内情にとどまらず、〈大樹の森〉全体――そこに暮らす、すべての部族の存続に関わるような、より大きな危機に直面していることが会談を通じて明らかになった。
夜も更け、会談の詳細な内容や協議は翌日に持ち越されることになった。タカクラたちはそのまま仮設住宅で一夜を過ごすことになったが、そこは部族の集落とは思えないほど整備された環境だった。
旧文明の居住モジュールを利用していたからなのか、気密性の高い壁材と環境制御装置、それに生命維持システムを備えていて、部族の住居にいるとは思えないほどの環境になっていた。簡素ながらも清潔な寝具も備えられていて、神経質なアンナでさえ驚くほど深い眠りにつくことができた。
翌日、長い協議のあと、タカクラたちは呪術師の代理として、戦士たちが派遣される予定になっていた防衛拠点の視察に向かうことになった。呪術師からの個人的な依頼ではあったが、タカクラは迷うことなく快諾した。彼女との間に信頼関係を築くことは、今後の〈ミツバ〉との関係性においても重要になってくると分かっていたからだ。
森の移動には、〈スィダチ〉が管理する旧文明の施設が使われる。詳細は伏せられていたが、どうやら通常の地上移動ではなく、地下輸送網か、あるいは封鎖された技術遺構を経由するものらしかった。〈スィダチ〉が保持する旧時代のインフラ――それは、他部族には知られていない秘密のひとつでもあった。
視察に同行するのは、アンナと戦闘用機械人形〈プロト〉だけだった。残念ながら、ナグモ・マイの同行は許されなかった。彼女の素性――〈傭兵組合〉の情報部門に属していた過去は、すでに〈スィダチ〉の情報網によって把握されていた。
彼女が持つ知識と経験は貴重だったが、今回の視察先には、外部の組織に知られてはならない何か大きな秘密があるのだろう。彼女がタカクラたちの仲間として完全に信頼されるまで、施設に近づくことは許されないだろう。
タカクラは、〈スィダチ〉の判断に理解を示した。ここで起きていることは、〈大樹の森〉で生きる人々全員の生命にかかわるような、慎重に対応しなければいけない問題だったのかもしれない。そして、それを扱うには信頼と沈黙が不可欠だった。
もし、〈ミツバ〉の呪術師との信頼関係がなければ、タカクラたちも立ち入ることは許されなかっただろう。
◆地下トンネル
それからしばらくして、タカクラたちは警備隊の責任者と思われる〈蟲使い〉の男性に案内されながら、地下へと続く施設へ向かった。
入り口は、廃材置き場の奥にひっそりと隠されていた。錆びたコンテナが無造作に積み上げられ、外部からはただの資材廃棄区画にしか見えない。しかし、その中心にある一基のコンテナの側面に、わずかに浮き上がったパネルがあった。〈蟲使い〉の男性が手元の端末を操作すると、パネルが静かに開いて隠し扉があらわれた。
その扉の先にある短い階段を使って地下施設に入ると、周囲の空気が変わるのが分かった。通路は、汚れひとつない白い壁面パネルに覆われていて、施設内の環境は自動制御されているらしく、〈大樹の森〉の空気とはまるで別世界だった。
ここでは植物のざわめきも、食虫植物に捕まった哀れな変異体の悲鳴も聞こえてこない。タカクラは無意識に呼吸を整えながら、小さな足音が響く通路を進んだ。
そこから貨物用と思われる大型エレベーターに乗り込む。壁面には旧文明の技術が使われた制御盤が埋め込まれていたが、モニターに表示される文字列は部分的に解読不能だった。案内役の〈蟲使い〉も理解していないのか、専用の情報端末を接続してエレベーターを起動していた。
アンナが〈プロト〉の装備を点検している様子を眺めている間にも、エレベーターは静かに下降をつづけ、やがて地下の広大な空間に到達した。
暗闇の中にトンネルが広がっていた。エレベーターが止まると、まるで眠っていた施設が、彼らの到来を察知して目を覚ましたかのように照明を順に灯していく。トンネルの壁は、先ほどの通路とは異なり、しっかりとしたコンクリートで補強されていた。
そこでは今も作業が進められているのか、無数の配線が剥き出しになっていて、定期的に点検された痕跡が残っていた。エレベーターを出ると、軌道車両の線路が敷かれているのが見えた。タカクラは思わず足を止めた。まさか、本当に地下に鉄道網があるとは思っていなかったので、少しばかり驚くことになった。
プラットホームには、四角い箱型の車両が待機していた。外装は無塗装で、窓もなく、何の変哲もない構造に見えた。資材運搬用の車両だったのかもしれない。貨車と思われる無数のコンテナを牽引していた。そのコンテナ内部には、補給物資が積み込まれていた。どうやら、これに乗って目的地に移動するようだ。
〈蟲使い〉の男性が端末を操作して車両の扉を開けた。タカクラは、アンナと〈プロト〉を伴って車両に乗り込んだ。車両の内部は簡素だったが、座席も用意されていて、壁面に設置された多目的表示ディスプレイで、目的地までの移動経路などを知ることができた。地下には、これまで想像もしていなかったような複雑な鉄道網が敷かれているようだ。
列車が動き出すと、トンネルの暗闇に向かって音もなく滑り込んでいった。加速は緩やかだったが、速度は見る見るうちに上がっていく。
驚くことに、揺れはまったく感じられなかった。車体の構造からは、空気抵抗などは計算されていないように見えたが、そこにも何か秘密があるのだろう。まるで大気中に形成された眼に見えない透明な筒のなかを、高速で飛んでいるかのような錯覚すら抱いた。
驚きの連続だったこともあり、時間の感覚は曖昧だった。しかし、目的地まではそれほど長くはかからなかったようだ。気がつくと、列車は煌々と照明が灯る広大なプラットホームに止まっていた。
そこには無数の資材が積み上げられていた。コンテナには食料品などの補給物資に加えて、銃弾や火砲、そして未分類の機械部品が納められていた。空間全体が淡い光に包まれる中、数えきれないほどの作業用ドローンが無音で飛び交っていた。多関節のアームを持つ機体が、物資を次々とピックアップし、どこかへと運び出していく。
文明とは程遠い、植物と変異体に満ちた〈大樹の森〉の世界から、いきなり旧文明の技術が生きている最先端の空間へと踏み込んだような感覚だった。
空気は冷たく、しかし温度は一定に保たれていた。トンネル上部には環境制御ユニットが埋め込まれ、定期的に汚染物質の除去が行われているらしく、空気中の浮遊物はほとんど検出されなかった。
この場所は、ただの補給基地ではないのだろう。タカクラとアンナは視線を合わせると、無言で気を引き締めた。




