115 第八部・スィダチ〈戦闘支援〉
◆提案
〈ミツバ〉の呪術師が〈スィダチ〉の関係者と会談しているあいだ、タカクラたちは仮設住宅の一室で待機していた。室内は無機質で簡素な作りで、監視用のカメラやセンサーがあちこちに仕込まれていた。
その沈黙を破ったのは、外から聞こえてきた微かな騒めきだった。警備隊の兵士たちが、詰め所の前で何やら慌ただしく動いていた。情報端末を使った断片的なやり取りが、壁越しに漏れ聞こえる。タカクラが状況を確認すると、警備のひとり――まだ若く、装備の扱いにもどこか初々しさが残る青年が、気さくに応じてくれた。
「壁の外に集まる難民たちを狙って、変異体が頻繁にやってくるんですよ」
どこか訛りのある青年の声には、わずかな緊張と倦怠感が入り混じっていた。危険が常に日常の延長線上にあるせいか、あまり驚いた様子を見せなかった。
夜間に行動する夜行性昆虫の多くは、複眼の表面に微細な凹凸を作ることで光の反射を防ぎ、内部に多くの光を取り込む重複像眼と呼ばれる構造を持ち、夜間でも高い索敵能力を発揮する。とくに、難民が焚く火や体温に引き寄せられる傾向があり、集落の外縁部は常に警戒対象となっていた。
それらの昆虫の対応にあたるのは、〈蟲使い〉と呼ばれる特殊技能者たち。彼らは、神経接続型の制御装置を用いて、黒蟻の変異体を使役する。
黒蟻の多くは体長が四十〜六十センチもあり、艶のないキチン質の外皮に覆われ、群れでの連携行動に特化していた。〈蟲使い〉は、頭部に埋め込まれた装置を通じて指令を送り、変異体の動きを精密に制御する。その戦術は、従来の火器による制圧とは異なり――〈廃虚の街〉で生きる人間にとって馴染みのない、生体兵器を用いた戦術だった。
タカクラは興味を隠そうとせず、すぐに支援を申し出た。夜間での戦闘には慣れていたし、何よりこの集落の防衛体制を観察する機会を逃すつもりはなかった。
しかし申し出は丁重に断られた。
「申し訳ないんですけど……客人を外に出すわけにはいきませんので」
それは当然の判断だった。彼らはあくまで外部の人間であり、現在は監視対象でもある。そのやり取りを聞いていたアンナは、あくびを噛み殺すような可愛らしい声を漏らしたあと、少し照れくさそうに考えを口にした。
「〈プロト〉を使えばいいと思います」
〈スィダチ〉に来てから一言も言葉を発していなかったせいか、彼女が話しているのを見て、警備の青年はぎょっとした表情を浮かべる。
〈プロト〉――多脚車両に待機させている戦闘用試作機。旧文明の軍事技術をベースに、アンナ自身が調整を施した自律型戦闘ユニットだ。遠隔操作と自律行動が可能で、戦術判断アルゴリズムにはアンナ独自の改良が加えられていた。
「私たちが動く必要はない。〈プロト〉を展開すれば、支援は可能……です」
彼女の言葉に青年は黙り込んでいたが、彼の先輩だと思われる戦士に小突かれると、思い出したように彼女の言葉を通訳する。
タカクラたちを監視していた戦士たち顔を見合わせた。外部の戦力を戦闘に投入するという判断は、通常であれば許容されない。しかし現実には人員が不足していた。現在、〈蟲使い〉の数は限られていて、変異体の出現頻度は増加傾向にあった。
数分の協議の末、警備隊は支援を受け入れることを決定した。
「戦闘区域の外からの遠隔操作に限定した支援になりますが、それでも良ければ支援をお願いしたい、とのことです」
それは部外者であるタカクラたちの動向を管理しつつ、戦闘支援を受けるための妥協点でもあった。
青年の言葉にタカクラはうなずいて、それからアンナに目を向けた。彼女はすでにタブレット端末を起動し、〈プロト〉を戦術モードで起動していた。
◆〈プロト〉
仮設住宅の一角に駐車されていた多脚車両〈多用途輸送車両〉の後部コンテナから、低く唸るような音が聞こえたかと思うと、気密扉の継ぎ目から白い蒸気が噴き出していく。直後、コンテナハッチの機構が作動し、扉は重々しく軋みながら開放されていく。
内部には、格納状態の〈プロト〉が待機していた。戦闘用機械人形――旧文明の技術をベースに、アンナが独自に再設計した自律型戦闘ユニット。起動信号を受けると、〈プロト〉は滑らかに多脚を展開し、機体の各関節が静かに駆動を始めた。外装は光沢のない複合装甲で覆われ、表面には各種センサーと戦術補助ユニットが埋め込まれていた。
戦闘プログラムが順次起動されていく。索敵、目標識別、弾道予測、汚染環境下での行動最適化――それら膨大な情報が瞬く間に処理されていく様子は、恐怖にも似た奇妙な緊張感をもたらす。
タカクラは、アンナからスマートグラスを受け取る。〈プロト〉の視界と同期するための拡張現実端末だ。そのグラスを装着し、視界に戦術インターフェースが浮かび上がるのを確認しながら、タカクラは青年に声をかける。
遠隔操作で起動した機械人形が来ることを伝えると、青年は一瞬驚いてみせが、すぐにうなずいた。その情報は、警備隊の各隊員が所持する情報端末を通じて〈蟲使い〉にも伝えられたようだった。
タカクラたちを監視していた〈蟲使い〉のひとりも、青年から状況を確認すると、興味津々といった様子で〈プロト〉を迎えにいく。
ナグモ・マイも、アンナから手渡されたスマートグラスを装着した。視界に広がるインターフェースは、既存の戦闘用インターフェースを改良したものだった。情報は簡素に整理され、視認性が高められていた。周囲の状況を示す簡易地図には、地形の情報や障害物、味方の位置がリアルタイムで表示されていた。
さらに、周辺一帯の汚染濃度、胞子の飛散状況など、環境情報が数値化されていた。利用可能な兵器の一覧も表示されていた。〈プロト〉に搭載されたライフル、短距離用の散弾ユニット、非致死性兵器など――それぞれの残弾数と稼働状態が、視界の端に直感的に理解できるアイコンで示されていた。戦場を俯瞰するための、シンプルで効率的な設計だ。
〈プロト〉が仮設住宅へと接近すると、先ほどの〈蟲使い〉が姿を見せた。彼女の周囲には、黒蟻の変異体が群れを成していた。艶のないキチン質の外皮が、夜の光を吸い込みながら蠢いていた。警戒しているのか、〈プロト〉を包囲するように半円状に展開されていた。信用されていない――その事実は、黒蟻の配置だけで明らかだった。
しかしタカクラは動じなかった。彼も〈蟲使い〉の戦闘を観察することが目的であり、善意だけで支援を申し出たわけではなかったからだ。
◆〈蟲使い〉
戦闘が始まると、タカクラの思惑に反して〈蟲使い〉たちの戦術を観察する余裕はなかった。彼らは難民たちが天幕を張る区域から距離を置くようにして、戦闘部隊を展開した。
そして戦闘に慣れた〈蟲使い〉の指揮のもと、数十体を超える黒蟻が一斉に動き出した。黒い群れは地を這い、樹木を自在に登り、カチカチと大顎を鳴らしながら標的へと突進する。
壁に接近していたのは、サルにも似た霊長類型の変異体だった。骨格は人間に近く、四肢の可動域も広い。しかし〈蟲使い〉の話によれば、群れから追放された個体の集まりであり、統制は取れていなかった。脅威としては限定的――そう判断される変異体だった。
それでも、黒蟻の突撃は容赦がなかった。包囲されたサルの変異体は咬みつかれると、それを振り払うことができず、手足を軽々と引き千切られていった。強靭な大顎が肉を裂き、関節を砕く。夜の森に変異体の悲鳴が木霊す。絶命の瞬間まで、彼らは黒蟻から逃れようと必死に抵抗したが、もはやどうすることもできなかった。
それは、死をも恐れない昆虫による無感情な制圧だった。タカクラは、スマートグラス越しにその光景を冷静に見ていた。〈プロト〉の視界と同期した映像には、戦場の光景が詳細に記録されていた。
しかし〈プロト〉に活躍の場はなかった。〈プロト〉に与えられていた役割は、難民の天幕に接近する脅威の排除だった。しかし敵はそこまで到達することなく、黒蟻の群れによって殲滅してしまう。そうして〈プロト〉は、一発の銃弾も消費することなく戦闘を終えてしまう。




