112 第八部・大樹の森〈スィダチ〉
◆鳥籠
〈大樹の森〉の深部で辺境部族〈ミツバ〉との交流を続けるタカクラ率いる傭兵部隊は、集落の防衛支援、技術の共有、戦闘訓練――それらは日常の一部となり、森の中での生活は徐々に安定を見せ始めていた。
そんな折、行商人たちから興味深い話を聞かされることになった。〈大樹の森〉の一大勢力として知られていた部族が、戦士を募っているという。彼らは〈スィダチ〉と呼ばれる大規模な鳥籠を管理していて、その規模と技術力は、周辺の部族を凌駕していた。
かつて〈傭兵組合〉の偵察部隊が派遣されたこともあるが、詳細な報告は残されておらず、組織改編の混乱の中で偵察部隊との連絡も途絶えていた。
〈スィダチ〉は、外部との接触を極端に制限している部族でもある。文化や技術、政治体系――すべてが謎に包まれていた。その部族が、今になって他部族の戦士を必要としているという事実は、森で何かが動き始めていることを示していた。
募集の対象は、戦闘能力を有する者。すでに多くの部族から〈蟲使い〉で知られた特殊技能者が派遣されているという。〈蟲使い〉は、感覚共有技術を応用し、昆虫の変異種との共生、使役を可能にした者たちであり、旧文明の技術と部族の儀礼的知識が融合した存在だった。
戦士派遣の見返りとして、〈スィダチ〉は各部族に物資の援助を提供しているという。合成食品、医薬品、生活雑貨、さらには情報端末などが提供され、出稼ぎという形で多くの若者が生まれ育った集落を離れているようだ。
仕事内容の詳細は不明だったが、行商人の話によれば、それは〝樹海からやってくる危険な変異体の監視〟なのだという。
樹海からやってくる変異体の多くは、森の生態系に異常をもたらす異形の存在であり、〈ミツバ〉でも警戒されていた生物群だった。その出現頻度は増加していて、とくに深部では、既知の生物とは異なる挙動を示す個体が多く確認されていた。
〈スィダチ〉が何を目的にそれらを監視しているのかは不明だったが、彼らが動き始めたという事実は、森の均衡が崩れつつあることを示していた。
◆調査
タカクラは〈ミツバ〉の巫女と相談したうえで、〈スィダチ〉が何を計画しているのかを調べることにした。情報の多くは断片的で、行商人たちの口から語られる噂に過ぎなかったが、森の均衡が崩れつつある状況では放置するにはあまりに不穏な動きだった。
〈ミツバ〉の集落から〈スィダチ〉までは、多脚車両で数時間の距離に位置していた。地形は比較的安定していて、変異体の出現頻度も低い区域を通過するため、危険な旅にはならないと見られていた。しかし例に漏れず〈スィダチ〉も閉鎖的な部族であり、外部の者を容易に受け入れることはしない。そのため、油断は許されなかった。
タカクラは、集落の警備を信頼できる者たちに任せることにした。傭兵たちは、戦闘訓練を受けた〈ミツバ〉の若者たちと連携し、集落の安全を確保する役割を担った。警備には多脚型の徘徊ドローンも導入されるので、必要以上に心配する必要はないだろう。
同行者として選ばれたのは、技術者でもあるアンナと、戦闘用機械人形の試作機〈プロト〉だった。〈プロト〉は、旧文明の技術を応用してアンナが開発した学習プログラムを搭載した自律型戦闘支援ユニットであり、戦力として充分に期待できる味方だった。
〈ミツバ〉との戦闘訓練により環境適応型AIは進化していて、さまざまな戦闘状況に応じて行動パターンを最適化する能力を持っていた。その動きは無駄がなく、静かで、時に人間以上の判断力を示すこともあった。
しかし、タカクラたちが〈スィダチ〉に受け入れられる保証はなかった。そこで、〈ミツバ〉の呪術師が同行することになった。
かつて巫女として部族を導いてきた老婆は、今では儀礼場の管理AI〝機械精霊〟との交信を担う呪術師として、部族に深く貢献していた。
彼女は旧文明の遺構に残された端末や、メンテナンスドロイドとの接触を通じて、〝精霊の声〟を聞く術を身につけていた。その存在は、〈ミツバ〉にとって精神的な支柱であり、他部族との交渉においても象徴的な意味を持っていた。
彼女の装束は部族の伝統的な意匠と、〈販売所〉で入手できる合成繊維を使用したもので、耐久性が高く、旧文明の医療用端末が埋め込まれていた。モニタリングシステムを搭載した端末は、時折微かな光を放ちながら彼女の心拍数や血圧、体温などの情報を収集していた。高齢でもある彼女の体調に異変が生じたさい、すぐに対処できるよう備えられた装置だった。
◆スィダチ
出発の朝、霧は薄く、森は静かだった。彼らを乗せた多脚車両は、食虫植物の繁殖域を避けながら湿地帯を慎重に進みながら〈スィダチ〉へと向かう。車両の脚部は、地形の変化に応じて自動調整され、安定した移動を維持していた。車内では、アンナが端末を操作しながら周囲の動体反応や胞子濃度を監視していた。
タカクラは、前方の霧の向こうに広がる未知の領域をじっと見つめていた。鳥籠〈スィダチ〉――その名は、〈廃虚の街〉で囁かれるだけの存在であり、詳細について知る者はいなかった。未開の部族が管理する鳥籠が、森の未来を左右する鍵となるかもしれないという事実に動揺しながらも、彼はそれを態度に出すことはしなかった。
それから数時間、霧が立ち込める森を進む一行は、脅威となる変異体に遭遇することなく、無事〈スィダチ〉へとたどり着くことができた。多脚車両の外装には、胞子や汚れの付着を防ぐための処理が施されていたものの、大量の汚染物質が付着していた。幸いにも、フィルターのおかげで車内の空気に汚染は見られなかった。
目的地の〈スィダチ〉は、タカクラが想像していたものとは大きく異なっていた。森の中心部――百メートルを優に超える大樹が聳え立つ区域に、ぽつりと存在する鳥籠は高い壁に囲まれ、森の中に不自然に浮かぶ人工島のようでもあり、周囲の樹木や地形との調和を拒むかのような存在だった。
高い壁は旧文明の建材を再利用したもので、劣化の見られない耐腐食性のコンクリート壁になっていた。高さは十五メートル以上あるだろうか、場所によって高さは変わるものの、外部からの侵入を明確に拒絶する意志が感じられた。
しかし異様だったのはその構造ではなく、壁の外に広がる光景だった。鳥籠の周囲には、数えきれないほどの天幕が並んでいた。ボロ切れ同然の布地で、設置の秩序はなく、壁や大樹の根に沿って雑然と広がっていた。
それらの天幕の間には、難民と思わしき人々が身を寄せ合い、焚き火の煙が低く漂っていた。彼らの衣服は汚れ、顔には疲労と警戒が刻まれていた。そこでは、争いの痕跡も見受けられた。
一部の天幕では、病人が寝かされていた。咳をする者、熱にうなされる者、変異体との接触によって負傷した者――医療支援は限られていて薬品も不足しているらしく、荷車に乗せられた遺体が運び出されるのを何度が目にしていた。
近くには監視塔らしき構造がいくつか設置されていたが、そこに立つ者たちは沈黙を保ち、外部との接触を避けているようだった。難民たちを管理する〈スィダチ〉の人間も確認できたが、外界との接続を最小限に抑えながら鳥籠を守ることを優先しているように見えた。
タカクラは、数時間ぶりに車両のハッチを開け静かに外の空気を吸った。うっすらと冷気が漂っていたが、幸いにも胞子を気にする必要はなかった。だがそれ以上に、この場所には説明のつかない緊張が漂っているようにも感じられた。




