102 第八部・侵食帯〈傭兵組合〉
■地域:侵食帯
集落:灰の裂け目
◆傭兵組合
〈大樹の森〉――旧文明の崩壊後、無数の施設や遺物が手つかずのまま残された領域であり、再生する自然と変異体が共存する危険地帯である。高密度の植物群が都市構造を飲み込み、気候は局地的に変化し、毒霧や胞子が常に漂っていた。そこに眠る旧世界の研究施設や軍事拠点の存在は、多くの勢力の欲望を掻き立てた。
その中でも、最も組織的かつ資金力を持つ勢力が〈傭兵組合〉だった。彼らは複数の傭兵団を束ねる連合体であり、契約と報酬によって動く冷徹な戦闘集団だった。
組合は〈大樹の森〉への進出を画策し、まずは森と〈廃墟の街〉の境界に位置する〈侵食帯〉への派兵を開始した。ドローンによる偵察と地形解析を行い、進軍経路の確保を試みたが――計画は容易には進まなかった。
森の奥に潜む野蛮な部族たちは、侵入者に対して容赦なく攻撃を仕掛け、昆虫型の変異体は偵察ドローンを襲撃した。これらの生物は群れでの連携と異常な耐久性を備えていて、各ドローンに搭載された機銃だけでは太刀打ちできなかった。
さらに、〈灰の裂け目〉を拠点とする探索者や、〈侵食帯〉で勢力を広げる略奪者たちとの縄張り争いが激化し、傭兵団は予想以上の損耗を強いられることとなった。
それでも組合は諦めなかった。多大な犠牲を払いながらも、旧文明の遺物――未確認の技術や兵器システムの回収には戦略的価値があると判断した。そしてある襲撃作戦において、レイダーギャングが占拠していた旧鉄道の車両基地――通称〈鉄庭〉を制圧することに成功する。
◆鉄庭〈アイアンヤード〉
鉄と硝煙の前線基地。
かつて貨物列車の整備拠点だった〈鉄庭〉は、今や傭兵組合の牙城となっていた。広大な格納庫は、錆びた鉄骨や倒壊した壁が改修され、再び命を吹き込まれている。
複数の線路が敷地を縦横に走り、旧文明以前の貨物車両はバリケードや物資庫として再利用されていた。地下通路は、廃墟を棲み処とする〈人擬き〉を避けるための戦術的な移動経路として活用されていた。
この場所は、組合の戦略拠点としても機能している。格納庫の一角には整備区画が設けられていて、傭兵たちの武器は日々修復、改造が施されている。敵対組織から回収された装備や略奪品は、この場で分解され、部品が交換されて再び戦場へと送り出される。火砲なども射撃試験場で調整され、傭兵たちの訓練に活用されていた。
天井には車両のための巨大なクレーンが吊るされていて、ドローンや戦闘車両の整備に役立てられていた。四輪駆動の装甲車両や多脚車両には、各種センサーや対昆虫用の装甲板が搭載され、森の奥深くへの侵攻に備えられていた。
格納庫の奥には、戦術指令室が設置されている。かつて車両基地の管制室だった空間を改装したこの部屋には、複数の情報端末が並び、壁一面には戦術マップが投影されている。各隊員の端末と〈データベース〉を連携させたシステムにより、〈大樹の森〉に派遣された傭兵団の位置、行動、交戦状況がリアルタイムで表示されていた。
〈鉄庭〉の北端には、かつて鉄道技術者たちの休憩所として使われていた建物があり、現在は傭兵たちの医療ステーションとして再利用されている。外壁には弾痕と錆が刻まれているが、内部は清潔に保たれ、探索から戻った傭兵たちの命を繋ぐ最後の砦となっていた。
ステーション内には旧文明の医療機器が並んでいるが、その多くは故障していて、まともに稼働するものは少ない。
自動手術機能を備えた機械人形、簡易X線撮影装置、合成薬品製造機――いずれも〈廃墟の街〉で回収されたものを修理し、再稼働させたものだった。とはいえ、設備は限られていて、対応できるのは止血、骨折の固定、感染症の初期治療など、簡易的な処置だけだった。
重度の外傷や内臓損傷には対応できず、そうした場合は〈医療組合〉から仕入れた抗生物質や人工血液、応急処置キットに頼るしかなかった。
医療スタッフは、元〈医療組合〉の治療士〈メディック〉や傭兵上がりの衛生兵で構成されている。彼らは戦場の混乱に慣れていて、麻酔なしでの切開や即席の縫合を躊躇なく行う。ステーションの一角には、血まみれの担架と消毒液の匂いが染みついたカーテンが並び、そこでは毎日、静かに命の選別が行われていた。
建物の屋上には、〈鉄庭〉のもうひとつの生命線――偵察ドローンの発着場が設けられていた。コンクリートの床には着陸用のマーカーが描かれ、風向計と通信アンテナが常時稼働している。
ここでは、二種類のドローンが運用されている。クアッドコプター型の小型偵察機は、高解像度カメラ、赤外線センサー、各種環境センサーを搭載し、〈侵食帯〉の廃墟に潜む敵勢力や変異体の動向を監視、偵察するほか、爆撃や通信中継など多目的に活用されている。
一方、マルチコプター型の輸送ドローンは、最大三百キロの物資が搭載可能になっている。医療物資や弾薬、食料などを積み込み、各部隊へ空中投下による補給を行っている。AIエージェントによる誘導と自動帰還機能を備えていて、敵の射線を回避しながら低空飛行で物資を届けることも可能になっている。
◆傭兵組合の侵攻
〈鉄庭〉を拠点とした〈傭兵組合〉は、着実に〈侵食帯〉における支配領域を広げていた。彼らの進軍は銃声とともに始まり、爆発の残響とともに終わる。敵対勢力の排除は業務の一環であり、交渉や妥協は最小限に留められていた。
探索者たちにとって、〈傭兵組合〉は奇妙な存在だった。同じく〈大樹の森〉を目指す者として、時に情報を交換し、物資を融通し合うこともあった。だが、契約の対象が変われば、昨日の協力者は今日の標的となる。組合の兵士たちは冷徹で、任務の達成こそがすべてであり、感情は報酬に含まれていなかった。
やがて、組合は〈灰の裂け目〉にもその存在感を示すようになる。探索者の拠点であるこの集落に、組合の連絡員が姿を見せるようになり、物資の取引や情報収集を行うようになった。一部の探索者は組合と契約を結び、傭兵団に情報を提供する者もあらわれた。
そして、〈傭兵組合〉は次の段階へと進む。彼らの目標は、〈大樹の森〉の奥深くに眠る旧文明の遺構――誰も踏み入れたことのない領域だった。そこには、文明崩壊前の研究施設や軍事基地が存在すると噂されていた。
進軍は慎重に、だが確実に行われた。森の奥へと踏み入るたびに地図は塗り替えられ、〈傭兵組合〉の支配領域は着実に広がっていった。




