2-8
将大から車の鍵を受け取った。
ボタンだけが付いた鍵の形をしない鍵は、やけに重く感じた。
心臓が震え、その震えはハンドルを握る手まで、微かに伝わっている。
慣れない車の為だと、小さく呟き、車を発進させた。
いつものトンネルは通らず、漁船が幾つも留まっている海岸沿いを通った。
堤防の切れ目に、濁った海が時々顔を出す。
薄明るい黄色い電灯を孕んだトンネルを、左手に横切った。
砂利道の振動は、私の心臓の震えを更に助長させた。
敷地に入り、車を停める。エンジンが完全に止まりきるまで、ゆっくり静かに待った。
黒ずんだドラム缶が見える。火は炊かれていない。
乾いた草の匂いを意識的に感じつつ、あの軽い扉に向かった。
靴底と砂が玄関前のタイルに擦れ、濁った音が鳴る。
取っ手を掴みドアを開けた。ドアは抵抗なく開いた。
重さを覚悟していたが、往々にして覚悟は無駄に終わることが多い。
それでも、保身のためにせざるを得なかった。
叔母の名前を呼んで、しばらく反応を待ってみた。
少しの静寂の後に現れたのは祖父だった。
私を認識するのに数拍の時間を要し、ゆっくりと私の名前を呼んだ。
濁点のついた感嘆を吐き、もう一度私の名前を呼んだ。
「久しぶり。」
「おお、久しぶりだな。本当にすまなかったな。あのバカのせいで。
俺はもうあいつとは、縁を切ったからな。祥貴は、いつでもここに来たらいいんだぞ。」
堰を切ったように言葉を紡ぎ出した。
「ああ、ありがとう。これからは時々、顔を出すよ。
陽子さんたちにも会いに来たのだけど、いるかな。」
「おうおう、とりあえず上がれ上がれ。陽子さんは、今ちょっと出かけててな。
すぐ連絡してやるから、ちょっとゆっくりして行け。」
そう言うとすぐに携帯電話を取り出し、電話をかけだした。
わざわざ呼んで貰わなくても良いと断ろうとしたが、すでに発信音が漏れ出していた。
「ああ、陽子さんか。あのな、祥貴が来てるから、ちょっと戻ってくれないか。
そうか。おう、おう、じゃあ、頼むな。」
端的な会話をすると通話を切った。
「祥貴、すぐ戻ってくると言っているからな。戻ってきたら、昼飯でも食いに行こうか。」
私は断ろうとも思ったが、言葉に甘えることも相手の為だと学んでいた。
喜んで受け入れてみることにした。
いつかの本で言っていた。嬉々として向かった家からは歓迎されていないが、
気乗りせず、嫌々訪れた家からはこの上なく歓迎されるものだと。
今回の私は後者であると、そう信じて全てを受け入れてみようと固く決心した。
「陽菜もいないのか。」
「おう、陽菜か。陽菜は、高校の寮にいてな。まだ帰って来ていないぞ。
今年、卒業だが4月からは名古屋で暮らす予定だと言っていたな。」
「そうか。」
これほど平常心を保つことに苦労したことはなかった。
判決を先延ばしにできた安心感がなければ、とうに崩れていたかもしれない。
あってはならない。この心に正直になることなど、何があってもあってはならない。
何かと訳を見つけてからでしか近づいてはならないと、若い時分ですら長く感じた期間を
乗り越えてきた。
それが、手を伸ばせば、足を延ばせば届く位置に向こうからやってきた。
すでに私はどう突き放すかではなく、近付く術を模索していた。
そんな自分を恥じるべきとは理解している。
然し、正論や正義、罪などは私の耳には雑音でしかないほどに、私の心は壊されていた。