3) 結婚しました
マジか、と思いながらエルバは寝室にいた。そこは俗にいう夫婦の寝室だった。
そうです。わたしエルバはこの度レーヴェン様と結婚してエルバ・マジコットとなりました。
マジか。
わたしが信じられない。これは現実か?現実なのか??と頭をずっと抱えてる。
レーヴェン様は有言実行を体現するかのごとく遠征訓練から帰ってきたらすぐさま旦那様や奥様に許しを貰い、あっという間に結婚の手続きをしてしまった。
本来の貴族の結婚は半年から一年かけるのは当たり前で急ぐ結婚ほどおざなりな挙式になるのだが、婚約に戸惑い及び腰だったのはわたしだけでマジコット家の人達はいつでも結婚できるようウェディングドレスまでしっかり用意していた。
お陰でわたしは人生で一番美しく着飾らせてもらいレーヴェン様と並んでも恥ずかしくないくらい綺麗に仕上げてもらった。
前夫の時も祝福されたが両親の泣いて喜ぶ姿を見て、あの時は『おめでとう』と祝われながらも両親の不安そうな顔がなかなか頭から離れなかったことを思い出した。
平民の結婚式はブーケとベールがあれば十分完璧で周りに祝福されることが最高の幸せだとされていた。
そして男達はその後のお祝いにかこつけたどんちゃん騒ぎがメインだった。
だから自前で用意したベールやブーケを見た前夫が『一丁前に花嫁を気取ってる』、『出来がしょぼい。それならつけない方がマシ』、『そんな金があるなら酒飲んだり食べる方が絶対にいいだろ』と嘲笑った。
あの頃から前夫はわたしを見下していたんだなと今ならわかる。
傷ついたけど確かに自分で用意したベールとブーケは拙く不格好だったからショックを受けてもその通りだと思っていた。
そうか。わたしは前夫の言葉に傷ついていたのか。
「エルバ?」
声をかけられ我に返れば、夫となったレーヴェン様が心配そうにわたしを見ていた。
オレンジがかった照明に照らされたレーヴェン様の髪や瞳がキラキラと揺れていてそれだけで別世界の方だと思ってしまう。
呆けて見ていればレーヴェン様に目尻を撫でられ泣いていたことに気づく。
泣いていた理由を問われたわたしは首を振るしかできなかった。
「本当に、わたしでいいんですか?」
そして出てきた言葉これだった。
泣いてこんなことを言えば結婚したくなかったと言っているようなものだ。
だけどここまできてサンドルのことを思い出していたと知られたら、前夫に未練があるみたいに思われそうで怖くて言えなかった。
だから問いかけることで逸らそうとしたけどこの質問も試すようで酷いなと自嘲した。
「そうだよ。僕はエルバがいいんだ。僕は世界一可愛いエルバと結婚できてとても嬉しいよ」
だというのにわたしの不安を昇華するようにレーヴェン様が優しく諭してくる。見上げればわたしが好きな笑顔で微笑んでいた。
けれどわたしには目を背けてはいけない過去がある。
これからレーヴェン様の笑みに影を落とすようなことを言う自分はなんて酷い女なのだと眩しそうに目を細めた。
「わたしにとって今日は人生で最高の日です。レーヴェン様と結婚できてわたしはとても幸せでした。
ですがわたしには拭えない過去があります。
レーヴェン様やマジコット家の人達に冤罪だとわかってもらえても、サンドル達が広めたわたしの悪評は消えていないでしょう。
再び彼の前に現れればわたしの悪い噂を更にばら蒔くかもしれません。彼にとってわたしは昇格の邪魔をする弊害でしかありませんから。
そうなった時、レーヴェン様や旦那様や奥様に迷惑をかけてしまうんじゃないかって、どうしても不安になるんです……」
そう思うと、プロポーズをされてから結婚するまでわたしはとても浮かれていたのだなと思う。
こんなわかりきったことに気づけないなんて、頭がお花畑だった証拠だろう。
それだけ嬉しかったのだな、と冷静な自分が解析するが、同時にサンドルがわたしに対してどう動いてくるのか判断がつかなった。
八歳も年が違うのだ。異性も相まってサンドルが考えていることなどわかるはすもない。
そして出会ってから別れるまで彼と話した話題も少ない。エルバは彼をほとんど知らなかった。
知っていることと言えば上昇志向で野心があり、お酒と贅沢が好き。お金の管理が苦手でわたしとは真逆の母性溢れる大人の女性が好きというくらい。
酔っぱらって国王陛下にも剣の腕を褒められたと自慢していたが、騎士団へ見学に行くこともパレードがあり騎士の家族が参列できても、
『お前みたいなガキが俺の嫁だとバレたらいい女が寄ってこなくなるだろ?俺に恥をかかせたくなかったら家から出るな』
と拒絶され彼の実力を知ることはついぞなかった。
そして裁判での口達者なパフォーマンス。
誰もがサンドルの味方で、弁護士ですら前の夫の言葉を信じた。
同じ結果にはならないだろうと予測できてもサンドルが何を言ってくるか想像できないし、自分のせいでマジコット家に悪評がたつのも、もしかしたら弁護士のようにレーヴェン様がサンドルの言葉を信じてしまうんじゃないかと考えてしまうのも怖かった。
「エルバは婚約式で顔合わせした人達を覚えているかい?」
おもむろに切り出されたレーヴェン様の問いに記憶を掘り起こした。
人のよさそうな温和な雰囲気の夫婦にこんな貴族もいるのかと思ったのを覚えてる。どことなく親戚に近いと思い勝手に親近感を抱いていた。
その夫婦からわたしを養女にすると言われた時は驚いたけど。
子爵夫婦はマジコット家の親戚筋にあたる人達で、子供はいなかった。養女になればより問題なくマジコット伯爵家に嫁ぐことができるのだそうだ。
ただ一緒に住んでいなければ『お父さん、お母さん』と呼ぶこともまだないくらいの交流なのでいまいちピンときてなかった。
そして本当の両親が健在なのも不可思議な気持ちにさせる要因でもあった。
「貴族には爵位があって、順番もあると教わっただろう?
エルバは伯爵夫人になった。伯爵は子爵よりも爵位が上なんだ。
だからもし子爵の彼らが悪評を流したりすれば罰せられるのはあちらになるんだよ」
冤罪は罪が特に重くなる。貴族を相手にするということはそういうことなのだと知りぶるりと震えた。
「そして、エルバが養女として入ったテレーヌ家も五本の指に入るほどの名家でね、悪評が流れようものなら家門総出でその火元を消してくれるくらいには伝手が多いんだ。
だからね。『平民』だからと『バツイチ』だからと自分を卑下することも、怖がることももうないんだ。
あなたはもう、僕のお嫁さんなのだから」
目を大きく見開いた。大丈夫だよ、と微笑みながらもどこか寂しげな目に、わたしは自分のことばかり気にしてレーヴェン様の気持ちを蔑ろにしていたことに気づいた。
なんてことを!と血の気が引いた。レーヴェン様はわたしを不憫だと思って結婚までしてくれたのになんて恩知らずなのだろう。
彼に尽くすことが、わたしの使命だというのに。
謝らなければ、と慌てて頭を下げようとしたがレーヴェン様に止められた。
「白状するとね。初めて会った時からエルバのことが気になっていたんだ」
「……え?」
おもむろに話し出したレーヴェン様に耳を傾ける。
「寝起きなのに化粧バッチリで、でもどこか幼くて。大人に見えるようにそういうメイクをしていただろう?
なんでそんな背伸びをするんだろうって最初不思議に思ったんだ。僕よりも年下だろうに大人でなければならないなんてどんなつらい環境なんだろうって。
それに隣に男がいたのに悲鳴を上げないし。冷静に対応されたのも忘れられない。
僕ってそんな魅力なかったっけ?てちょっと傷ついたくらい記憶に残ってしまった」
気軽に、重く受け止められないように彼は笑った。
初対面はお互いいいものとは言えなかった。
エルバに伝える気はないがベッドではち合わせした時、もしかして娼婦なのかと、面倒事に巻き込まれたのかとレーヴェンは思っていた。
酔い潰れた貴族のベッドに潜り込んでは実際に手を出さなくても既成事実ができたと結婚を強要してきたり、高額な慰謝料を取ろうとする輩がいる。
彼女もそうなのかと思ったこともあった。
しかしエルバは迫らず、縋らず、口約束だが見なかったことにすると約束してくれた。その後もしばらく警戒していたが自分には何も起こらなかった。
そうしなければならないほど追い詰められていただろうに、裏切らず約束を守ってくれた彼女の誠実さに心を打たれてしまった。
しかも調べてみたら娼婦でもなんでもなく同じ騎士団の団員の妻で、夜遅くまで飲み屋で働いているのだとわかり自分の予想が外れて安堵したが同時に困惑もした。
騎士団では給料の他、結婚している者には家族手当が出る。少なくとも夜の仕事はしなくてもいいはずなのだ。
それなのにエルバは飲み屋以外でも飲食店で働き、家は宿屋代わりにされていたというのだから普通の妻よりもストレスの多い生活を強要されていたことになる。
濃い化粧を見るに高い給料を貰うためにかなり無茶なところで働いていたのだろう。恐らく年齢も詐称していたんじゃないだろうか。
よく見れば化粧をしていても子供だとわかるのに誰も止めなかった。
今よりもずっと幼かった顔を思い出し、前よりもふっくらとした柔らかい頬を撫でた。
化粧に隠れていたがエルバの体は細く頬も痩けていた。疲れた顔は化粧をしていてもクマが隠せていなかった。
その頃のサンドルの年齢は二十三。八歳も下の幼妻に対し彼は虐待や暴力のような仕打ちをしてきた。
庇護が必要な女性であり家族であるエルバを守らずして何が騎士だと知れば知るほど憤った。
しかしその妻という立場が妨げとなり保護ができず、気づけばエルバは離縁され家から追い出されてしまった。
瑕疵がついただけでも心が痛かったのに自分のせいで離縁が成立してしまったとわかり立つ瀬がなかった。
だから再会できた時必ず守ろうと誓った。それが自分にできる最善だと思った。
しかし誤算もあった。
見ない間に成長した彼女を見ているうちに別の気持ちがもたげてしまった。
幼いと思っていた表情は濃い化粧で隠さなくても大人に見えるようになり、背も伸び、痩せぎすだった体のラインも女性らしくなった。
可憐に変身を遂げたエルバは保護対象ではなく守りたい女性へと羽化していた。
「僕達の出逢いは理想とかけ離れているかもしれないけど、僕はあなたと出逢えて良かったと思っているんだ。
まだしばらくは嫌な思いをするかもしれないけど、剣とこの命に誓って僕が守ると約束する。
だからね、エルバ。あなたは堂々と胸を張って僕の隣に立てばいい。僕の妻としてずっと僕と歩んでほしいんだ」
言葉の端々から察したのだろう。
エルバが仕える主人に対するような言葉を使っていたことを。
過去形にしていたことを。
平民の扱いは軽いものだ。サンドルとの離婚裁判の件でトラウマにもなっている。
傷つかないように無意識に距離を取ろうとしてしまうことはある意味仕方のない行動だった。
そして立て続けに予想外の展開が続いてエルバの感情が追いつけなかった。
レーヴェン様を好いてはいたがそれが主従のそれなのか恋愛なのか判断がつかないでいた。
結婚を承諾した時点でこれは『恋』かもしれないという認識はうっすらあったものの、貴族は恋愛感情がなくても結婚できるものだと聞かされていたので(サンドルとの結婚がまさにそれだった)、自分の感情にちゃんと向き合えてなかった。
しかしここで、レーヴェン様の告白が聞けてやっと感情が追いついてきた。
もう一度抱き締めるレーヴェン様に彼の想いや熱さが伝わってきて、彼のガウンを握りしめた。
わたしだって愛してくれないサンドルより大切にしてくれるレーヴェン様がいい。
それが尊重し合える関係ならもっといい。
「わたしも、わたしもレーヴェン様のお側にずっといたいです。そしてできるならば、あなたを守れるようになりたい」
逃げられない醜聞ならば胸を張って堂々と戦えるような強い妻になりたい。
守られるだけの妻よりも守れる妻でありたい。
彼の背中に手を回せばレーヴェン様も強く抱き締めてきてわたし達は晴れて夫婦となれた気がした。
読んでいただきありがとうございます。