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1) バツイチになりました

よろしくお願いします。

 


 起き抜けに見た光景に思わず声をあげると相手も驚き飛び起きた。

 少しあどけなさが残る柔和な顔に細身だが成人したてにしては鍛え上げられた体、驚きながらもこちらを凝視する表情はとても無防備で思わず見惚れてしまった。


 見ず知らずの他人でここはわたしの部屋だというのにそんな悠長に構えられたのは、わたしも起き抜けだったからか、子供だったからか。



 しばらくお互いを見つめあい、先に沈黙を破ったのは彼の方だった。


「お互い、見なかったことにしましょう。今日ここに僕は泊まらなかった。あなたは何も見なかった」

「そ、そうですね。わかりました。そうします」



 この時彼を引き留めて口裏合わせやこの後起こるであろう醜聞を相談できればもう少しマシだっただろうに、わたしは気が動転して頷くことしかできず慌てて出ていく彼を見送ることしかできなかった。




 ◇◇◇




 エルバ・グラース、いえもうただのエルバだったわね。

 三年前、親戚の紹介で八歳年上のサンドル・グラースと知り合い周囲に言われるがまま結婚し上京したのだけど、白い結婚のまま先日離縁することになった。


 原因は彼の浮気………だったんだけど離縁理由はわたしの不倫が原因になっている。


 夫が言うには男がわたしの部屋から出て行くのを見たのだそうだ。

 しかもその後下着姿のわたしが部屋から出てきて『あら、帰ってきてたの?』と悪びれずに出迎えたという。


 それ丸々お前の浮気相手()じゃないか。


 騎士団の中でも実力があった夫は整った見た目の良さも相まって民衆から人気があり、誰もが彼の言葉を信じた。

 お陰でわたしは傷ついたと男泣きをする夫に同情した女達から売女だの尻軽だの悪女だのと罵られる羽目になった。


 裁判を起こしたのも国の法律上わたしがまだ親の庇護が必要な年齢で、離縁しても後見人として援助したり親元に帰す費用を出さなければならないのだが、どちらも支払いを嫌がったから。

 体を売って遊ぶ金を稼ぎ、夫に隠れてその商売をしていた。未成年でも立派な大人だと有罪をゴリ押ししたのだ。


 その結果、わたしは三年の結婚生活を棒に振り慰謝料代わりに持っていたものすべてを取り上げられ、身一つで放り出された。


 手元に残ったのは元夫が作った借金だけ。知らぬ間に保証人にされていた。


 身綺麗になった元夫はわたしの家でもある賃貸のアパートを勝手に引き払い、新しく妻になる子爵令嬢の家へと転がり込んだ。

 爵位が上がれば給料も地位も上がるらしいから逆玉の輿を狙ったのだろう。


 野心が強い男だったからそういう嗅覚は鋭く抜け目がなかった。だからこそわたしは何もできず離縁にサインするしかできなかった。



 わたし達は小さな町の出で、子供も女の子の数も少なかった。なので結婚しようと思うと倍率が高くなりどんどん低年齢化していった。


 なんでわたしを選んだかはわからない。

 親戚からは『婚約』で『十六歳になったら結婚』と聞かされていたのに上京する直前でいきなり結婚させられた。


 会ってから数回しか話していないし元夫のことをよく知らないし、町一番の色男と言われても滲み出る屑の気配をなんとなく感じていて好みじゃなかった。


 嫌いまでは思わなかったけど強引にことを進めてくるのは好きじゃなかったし町を出るなんて聞いてなかったから両親を悲しませてしまい心が痛んだ。

 生活が慣れたら帰郷してもいいと元夫に言われて、それを信じてきたがその許可がおりることはついぞなかった。


 唯一の救いは元夫は子供の体に興味なかったことだろう。あと自分の子供というやつも興味ないようだった。

 そのお陰で手を出されることはなかったが、三年間ずっと妻と言う名の奴隷として働いてきた。


 騎士爵のわりにお金がいつもなくて、もしかしたら爵位があっても下っ端騎士は貧乏なのかもしれないけど家族を養えないなら結婚なんかするなと思う。


 だって何が悲しくて無給で家事をしてる上に外で働いてその給料を元夫に差し出さなきゃならないのよ。働いてるのはわたしなんだから生活費くらい貰ったっていいじゃない。


 まともな食事ができなかったからいつまで経ってもガリガリで身長だって伸びてなかったのよ??

 『いつまで経ってもお前はガキだな』じゃないわよ!お前が飲み代だ娼館代だと使い込むから生活が圧迫してたんじゃない!


 あんな男に情なんてこれっぽっちもなくなってるし別れられて清々したけど、十五歳でバツイチになったことは少なからずショックを受けた。

 しかも離縁したらわたしには無関係であるはずの借金まで背負わされて。


 文句のひとつも言ってやりたかったか相手はどんなに貧乏で屑でも騎士爵の貴族で、次は子爵だ。平民のわたしが敵う相手ではない。ムカつくけど諦めるしかなかった。




 ◇◇◇




「お帰りなさいませ。レーヴェン様」


 使用人達が一斉に頭を下げこの家の子息を出迎える。離縁後、エルバはマジコット伯爵家に身を寄せていた。


 本当は手っ取り早く娼婦になってしまおうかと考えたこともあったが間接的に元妻を娼館に追いやろうとする元夫を思い浮かべたら無性に腹が立って、あいつの思い通りになるものかと奮起しいろんな職業案内所のドアを叩いた。


 そこで家事スキルが認められてとある貴族の使用人として雇ってもらえたのだ。


 正直平民の自分を雇ってもらえるとは思わなかったが、わたしが編んだレースをマジコット家の奥様がいたく気に入ってくれ、もうお嫁に行かれたがお嬢様(この場合はティティエール夫人かな?)にも気に入ってもらえた。


 針子として雇われる予定だったが家事全般できるということでハウスメイドとして働かせてもらっている。


 以前働いていた職場も悪くなかったけど伯爵家はとても居心地がいい。待遇もいいし仕事内容も無理がなく仕事仲間も嫌な人がいない。

 なんと言っても給料が高い。これなら元夫が作った借金の完済もできるだろう。


 伯爵家くらいから身分が貴族の使用人もいるというから気位が高くて陰険な人がいそうだと勝手に思い込んでいたが皆さん仕事に真面目で誠実な人ばかりだった。

 これはきっと旦那様と采配を振るう女主人の奥様の人柄が反映されたものなんだろうな、と感心していた。



「あら、親不孝者の息子が帰ってくるなんて珍しいこともあるのね」

「先月も帰ってきましたよ」

「その前は半年よ?跡取りなのに邸を長々と空けておくなんて自覚が足りないんじゃなくて?」


 玄関ホールの階段からおりてきた奥様は一ヶ月ぶりに帰ってきた息子をツンケンとした態度で出迎えた。

 意訳は『もっと頻繁に帰ってきなさい』ということだろう。


 見た目はゴージャスで美しく、二児の母とは思えないほどの細い腰回りと元夫の目が釘付けになるであろうほどの大きな胸とお尻の持ち主だ。


 お肌はいつも磨かれているからピカピカもちもちで何も知らなければ二十代と信じてしまうだろう。

 だが醸し出す色気や大人の雰囲気は二十代には恐らく出せないのでそこで察するくらいだろうか。


 そんな見た目がとても若い母親に寂しがられた息子は似た顔で困ったように微笑んだ。旦那様も整っているがご姉弟はどちらも奥様の見た目を受け継いでいた。


 さらりとした金糸の髪に宝石のような青い瞳、白磁の肌は傷ひとつなく若々しい。

 騎士の仕事は肉体労働だから細かい傷や日焼けがあってもおかしくないのにシミとかそばかすの気配すら感じない。


 奥様とはまた違ったスラリとした長身は隊服を着こなすのにとても絵になり、筋肉がつきすぎても美しくないのだなと思わされた。

 そして眉尻を下げた笑みも彼独特のものだ。この笑みで使用人の何人かが頬を染め、胸を押さえ「尊い…」と呟いている。罪深い御仁だ。


「騎士の仕事が忙しいといつも言っているでしょう?母上のためにお土産を買ってきましたからそれで許してくださいませんか?」

「そういうものは食事の後やもっとわたくしの機嫌が良い時に渡しなさい。今渡されても喜びが半減してしまうわ」

「それで母上の機嫌が直るのでしたら私は構いませんよ」


 クスリと微笑むだけで自分に向けられたわけでもないのに使用人がときめいている。旦那様も奥様も使用人に優しいが彼も使用人に相当人気だからお優しいのだろう。

 生憎ここで働くようになってから彼を見るのはこれが三度目だからあまりわかっていないが。


 あの日と変わらず見目麗しく、最近は精悍さが増し色気も出てきたんじゃないだろうか。




 ◇◇◇




「結婚、ですか?」


 日々の仕事をこなしていたある日、奥様に呼ばれてお部屋にお邪魔したらなんでかソファに座るよう指示され、恐る恐る座るとなんでか結婚を勧められた。


 前後にお知り合いが結婚されたというお祝いの話はなかったはずだ。それに嫁いだ長女のティティエール様が懐妊したという知らせもまだない。

 なぜ結婚話が出てきたんだろう?


「だってあなたももう十七歳でしょう?そろそろ自分の幸せを考えても良いのではなくて?」


 使用人はいつまでも主人にお仕えすることが仕事で、主人の幸せが自分の幸せというものではないの?

 自分を優先したら使用人としてダメなのでは?あれ?わたし試されてる??


 もしかしてわたしって奥様に嫌われてた??と不安げな顔をすれば奥様が慌てて否定した。


 わたしがはやばやと離縁されたバツイチだと知られていたので折を見てもう一度結婚と向き合ってもいいのではないか?と思ったそうだ。


 貴族は政略結婚が多いとはいえエルバと元夫の馴れ初めと結婚生活は奥様でも看過しがたく、もっと自由な恋愛をすべきだと涙ながらに諭されてしまった。


 その後奥様は全使用人に『サンドル・グラースは悪』と通達し、エルバに接触するようなことがあれば伯爵家総出で妨害阻止することが義務付けられた。


 伯爵家の使用人の年齢は下から数えて二番目に若く、そんな酷い結婚をしたバツイチはいなかったのでおおいに同情された。

 わりと可愛がられていたから年上の使用人達の親心を余計に刺激したのだろう。


 お陰でわたしの結婚生活は赤裸々に暴露されてしまったが一気に味方が増えた。


「いいなと思う人はいないの?」

「と、とくには……」


 期待するような、不安そうな顔に罪悪感が顔を出す。使用人の男性陣は家族としか感じてないしなぁ。邸の外には滅多に出ないし仲のいい友達もいない。


 あれ、わたし寂しい奴だったりする?


 いやでも結婚なんて懲り懲りだしなぁ。折角健康的な食事とやりがいのある仕事とストレスがない自室が手に入ったのだ。

 これらを捨てて結婚するくらいなら一生独身でいい。


 奥様のお茶請けのネタになるのは構わないけど元夫との結婚生活が酷すぎて『結婚=奴隷生活』という思考になっていた。

 そのため自分の結婚に華やかなイメージはなく話せば話すほどエルバの目が虚ろになっていった。


「今はこのお邸で働けることがわたしの喜びで天職だと思っております。なので」


 これからもずっと使用人として働かせてください。と続けようとしたらノックが聞こえ顔をそちらに向けた。


 入ってきたのは子息のレーヴェン様で、奥様に用があったはずだがエルバの顔を見て固まった。

 そういえば面と向かって互いの顔を見るのはあの日以来だ。


 やば、と思っていたらレーヴェン様の笑みが固まり、笑みを作ったまみダラダラと汗をかき、不審者のように目を泳がせた。

 挙動がおかしいです。落ち着いてくださいレーヴェン様。


 大丈夫です。わたしは何も言ってませんから!とアイコンタクトを送ったが、それを受け取ったレーヴェン様は意を決した顔になり、いきなり土下座をした。


 そう、エルバの目の前で伯爵の嫡子が土下座をしたのだ。


 彼の奇行に誰もが驚き固まった。わたしもだ。エルバに関しては彼以上に脂汗をかき顔が真っ青になった。


 待て待て待って!!なんで土下座?!伯爵令息が土下座?!それもうなんかありましたって言ってるようなものじゃない!!

 何も話してないって!内緒にしてるのになんで土下座なんてしてるの?!なかったことにしたんじゃないの?!


「も、申し訳なかった!!」


 ぎゃーっ!!バカなの?!ねぇ、バカなの??平民の使用人に謝るなんてバカしかいませんよ?!何やってるんですか?!自爆したいんですか?!


 主の息子に土下座させるなんてわたし完璧に終わったわ!クビ確定だわ!!最悪手打ちされるんじゃないの?!


 ぎゃああっと心の中で雄叫びをあげながら、しかし唇を噛みしめなんとか堪えて黙っていれば(というかどう返したらいいのかわからないよ!!)、奥様が扇子を開いた。


「話してくれるわよね?詳しく。すべて、ね?」


 ひんやりと冷たい視線と言葉にわたしとレーヴェン様は一緒に肩を揺らした。


 あ、わたし終わったわ。



 ◇◇◇



読んでいただきありがとうございます。

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