三話:人との出会いは大切に その一
わいわい、がやがや。
――今まで色々な所を転々としていたから、こうやって転校先のクラスメイトに囲まれる事には慣れていた。
わいわい、がやがや。
まあ、それも当然の事なのだろう。やっぱり転校生と言うものは珍しいものだし、それがどんな人物か、と言う「知りたい」という欲求も生まれるだろう。
それ自体は別に構わない。それは俺にだってある事だから、その事をいちいち気にはしない。むしろ、こういうのはクラスメイトとすぐに仲良くできる場でもあるので歓迎しているようなものだ。
ただ、
わいわい、がやがや。
・・・・・この尋常じゃない集まりっぷりには、戸惑わざるを得ないというか、なんと言うか。
「ねえねえ。前には何処に住んでたの?」
「風波は運動部とか興味あるか? 特にサッカーとか」
「料理とかできる? もしよかったら、調理研究部とか興味無い?」
「本とか結構読む? 君のお勧めの作家さんとか、よかったら聞かせてよ」
「えっと、その。こ、恋人とか、いたりしますか・・・・・?」
ふうむ。実に多彩なジャンルに富んだ質問ばかりだ。そして何より、かなり友好的な人たちばかりだ。こういう親しみやすさは最近じゃ見かけないからな・・・・・とってもいい事だ。実に有り難い。しかし、これほどの数だと流石に対処しきれない。俺の耳と情報処理能力は聖徳太子様じゃないからな。
などと考えていた漱介だったが、やがて一人の女子生徒が前に出てきて質問攻めをしていた人たちを一旦鎮める。
「はいはいストップ。いきなりそんなに聞いたら彼だって困るでしょ。もうちょっと考えなさいっての」
ぶーぶー、とちょっとした不平が辺りを飛ぶが、その女子生徒がギロリと火と睨みする事によってそれは解消した。
「全く・・・・・。あ、ええと、ごめんね。急にでびっくりしたでしょ」
「ん? ああ、別に問題ないよ。有難う」
漱介の自己紹介後は事務的な連絡を少々して幕を閉じ、「さて、私は一旦教室に戻る。風波君に質問があるなら、今がチャンスだぞ」という言葉を残して去り、その直後、現在の状況になった次第。最初の内は一つ一つ丁寧に返していた漱介だったが、だんだんと質問の内容がごっちゃごちゃになってきてからは苦笑いを浮かべるしかなかったという訳である。
「あ、私はクラス委員の松永千恵ね。よろしくね、風波君」
「うん。こちらこそよろしく、千恵さん」
「!?」
いきなり名前で呼ばれるとは思っていなかったらしく、少々顔を赤らめる千恵。その事を知ってか知らずか(絶対に知らない)漱介はただ首を傾げるだけだったが、やがて自分がした事に気付き、
「ああ、そういうことか。いやさ、フランスにいたのが長かったから名前で呼ぶ癖がついちゃって」
「いや、別に呼びやすいので構わないけど・・・・・。というより、外国にいたの?」
「うん。親の都合ってやつでね」
漱介の言葉に周りにいた生徒たちがほんの少しざわめく。やはり帰国子女が珍しいのは世の常であろうか。
「びっくりした・・・・・」と呟きながら落ち着きを取り戻す千恵。そこはやはり夢見る少女と言った所だろうか。
「へえ・・・・・帰国子女なんだ。じゃあ日本は久しぶりなんだ」
「そういうこと。最近はネットとかで色々見れるけど、できればそう言う事も教えてくれると助かる」
「りょうかい。まかせといて」
なんて二人で話をしていると、その間に一人の小柄な女子生徒が一人入ってきた。先程千恵と話していた子犬少女の優衣である。
「じー・・・・・」
「ん、優衣?」
「?」
現れるや否や、じっと漱介の事を険しい顔で見つめる優衣。
「・・・・・えっと、これはいったい」
暫くの間その状態が続いたが、流石にしびれを切らした漱介が千恵に尋ねる。千恵の方もどうなっているのか分かっていない様子ではあったが、一応聞いてみる。
「えっと、優衣、どうしたの?」
と、優衣に聞いてみたら急に笑顔になり、
「うん。漱ちゃんに決まりだね!」
『・・・・・は?』
出会って間もない二人のかなり息の合った疑問のアンサンブル。
「そ、そうちゃん?」
「そうなのです! 風波漱介の『漱』の字から漱ちゃん。いいでしょ?」
「え、いやその・・・・・」
あまりにも突発的な出来事に流石の漱介も少し混乱気味だったが、そこは風波漱介。人並み外れた理解力と包容力を持つ彼はその突発的出来事に対しても、
「そっか、漱ちゃんか・・・・・面白いな」
「でしょ~。あ、私は鳶尾優衣です。よろしくね~」
自然と仲良くなっている二人を見て、「風波君か・・・・・出来るわね」などと呟く千恵。
漱介の学校での出会いは、こんな感じで幕が上がった。
さてさて。時間はいきなり進んで昼休み。
初めての授業は何の問題もなく進んで行ったが、内心、漱介は溜息をついていた。
やはり、今までいた場所が場所だったので、学ぶ内容が全く違うのだ。日本史なんかは漱介自身が好きだった為、何の問題もなかったが、現代文、特に古典なんかは〃日本語なのかと思ってしまうほどで。
これからが大変だと改めて思い知らされたのであった。
「あー・・・・・先が思いやられるなー」
少し前に千恵に案内されて行ってきた購買で買った弁当の蓋を開けながら(弁当があるという事を忘れていた)誰かに言うでもなく、ただ空気中を漂わせるように呟く。
「でも、仕方ないじゃない。二年くらいだっけ? フランスにいたの。それだけいたら分からないなんて当然だって」
隣の席の千恵(偶然にも漱介の隣だったのだ)が慰めるように言う。
「でもでも漱ちゃん、日本史は完璧だったよ。そっちの方が難しくないの?」
千恵の前の席に逆に座っている優衣が尋ねてくる。
日本史の授業中、担当している講師の先生(たまに授業外の問題を誰かを指名して答えさせるため、生徒の間での評判はすこぶる悪い)が漱介を指名し、前回の授業を聞いていなければ分からないような問題を解いてみろと言ってきたのだ。クラス中がその講師に不快感をあらわにしたが、指名された本人が何事もないようにすらすらと答えたため、講師は赤っ恥をかく事になった(その後、クラス全員から感謝と称賛を浴びた)。
「日本史は好きでさ。自分で色々と本を読んだりしてたから、自然と頭ん中に入ってるんだ」
「う~、いいな~そうやって得意なのがあるのって」
「優衣は全部が苦手だもんね」
「・・・・・勉強だけが人間のぜんぶじゃないもん」
などとしょぼくれる優衣。授業中、一、二回指されたが、おろおろするばかりでちゃんと答えられたものは何一つもなく、最終的には千恵の援護射撃で事なきを得ている。
その様子を見ていた漱介は小さく笑うと、ちょっと冷めた弁当をつつき始める。漱介がかったのはハンバーグ弁当で冷めているのにもかかわらず、ふっくらとしていてとても美味しい一品となっていた。
「美味い・・・・・。どうやら日本の弁当事情は格段に進歩しているらしい」
「そうなのですよ漱ちゃん。因みに優衣のおススメはから揚げ弁当だけどね」
「ふむ。明日はそれにしようかな。母さんもこっちに来て大変だろうし」
すっかり意気投合してしまった漱介と優衣。お互いに何処か共感できる所があるのだろう。出会ってすぐにこんなにも話が出来ることは、どんなに人付き合いが良い人でもやっぱり難しい所である。
漱介は心の中で千恵と優衣に感謝していた。転校初日でここまで仲良くできる人が出来るとは思っていなかったから。やっぱりこうやって気軽に話せる相手がいることはこれほどありがたい事で。
食べながら話すというのは行儀が悪い事ではあるが、千恵と優衣が話し手になって漱介が聞き手になるという構図で話を進めていった。所々でやはり分からない事があり、その度に漱介が尋ね、二人が(主に千恵が)その問いの答えを言うという事をしていた。
「そういえば、漱ちゃんのお父さんはどんな事をしてる人なの?」
そろそろ弁当の中身が無くなってきた頃、突然優衣が言い出す。
「あっ、そういえば私も気になってたんだ。外国に行く用事って言うと・・・・・やっぱり商社マン?」
漱介は不意に、商社マンになった道浩を思い浮かべてみた。ピシッとスーツを着込み、さわやかな笑顔を浮かべる・・・・・。
あまりにもそぐわないので想像を中断。一応真実の姿を言っておく事に。
「いや、それは絶対にあり得ないな。百パーセントあり得ないな」
「じゃあ、なに?」
「ん、画家だよ。絵を描く画家」
『画家!?』
漱介の言葉に二人は驚く。
「・・・・・そんなに驚くこと、なのか?」
「いや、だって普通の人から見たら画家って言うのは特殊なものだし。少なくとも私の知り合いには画家の父親を持っている人はいないな」
「私も~。漱ちゃんはそれが普通なの?」
「そうだな。俺の周りの人は画家じゃなくても何かしらの芸術に携わっている人ばっかりだな。だから一時期は、この世の大人は何かしらの芸術家なんだ、なんて思ってたくらいだし」
その言葉は冗談ではなく、それは漱介のいままでの環境そのものを表していた。
今まで出会ってきた大人の中で芸術に携わっていない人たちは、砂漠の中で掴んだほんの一握りの砂粒と同じ。自分と同年代の子は流石にそうではなかったが、それでも多い方だった。
それが漱介の「普通」であり、「日常」であった。
その日々が変わる事なんて、今までないと思っていた。
別に嫌悪は無い。それが当たり前だと思っていたのだから。
――でも、これからはどうなるんだろう。
永住宣言をしたとはいえ、これから先、親父が日本を離れないなんて事は絶対にない。高校を卒業するまでは無いとは思うけど、数年先、今度は期間を限定してあっちに行くことは何度でもある。
そういう時、俺は親父についていくのか。
それは・・・・・分からない。
母さんは絶対についていくだろうな。口や態度じゃあんな事言ってるけど、親父と離れる事なんて微塵も考えてないんだから。
でも、まあ今は考えるのはやめよう。
俺は絵を描くのが好き。それでいいじゃないか。
こんなに複雑に考える必要は、今は無いんだから。
「風波君?」
「・・・・・」
「お~い、漱ちゃん」
「・・・・・ん?」
「お~、やっと気付いた」
いつの間にやら考え込んでしまい、二人を心配させてしまった様子。
「あー、ごめん。ちょっと考え事を」
「えと、あんまり触れない方が良かった、かな」
「いやいや違うって。そういう悲観的なものじゃないから。絶対」
勘違いしてしまっているのを慌てて直す漱介。
・・・・・暫くは急に考えるのは控えた方がいいな。
何て事を考えていると、教室のドアが開く音。
「失礼。転校生の風波漱介君はいますか?」
そして自分の名を呼ぶ声。
聞こえた方を向いてみると、そこには一人の男子生徒が。
銀色のハーフフレームの眼鏡に知的で穏やかそうな顔立ちで、右の二の腕には『生徒会』と書かれた腕章。
それのおかげで生徒会の人間と言う事が分かったが、どういった理由で生徒会が自分に用があるのか全く分からない。問題を起こした訳でもあるまいし。
とはいえ、このまま名のらないという訳にもいかず。
「あ、はい。俺です」
小さく右手を挙げて立ち上がり、男子生徒の前まで歩く。すると、
「あれ? お兄ちゃん?」
「ん? ああ、優衣か。そういえば此処だったな、お前のクラス」
親しみのある笑みを浮かべる男子生徒。
優衣の言葉に漱介は今し方芽生えた疑問を言ってみる。
「お兄ちゃん? ってことは・・・・・」
「あ、そういえば名前を言っていなかったね。三年の鳶尾夕兎だ。その言葉から察するに、妹の優衣とはもう面識があるみたいだな」
男子生徒、もとい夕兎が言う。
「因みに、一応ここの生徒会の会長を務めている。今日はそっちでの用で来たんだ」
「用、と言いますと?」
「なに、簡単な事だよ。この学校について放課後、一通り案内しようかと思ってね。昨日こっちに引っ越してきたから後者の事について何も分かっていないから案内してやってくれ、と東雲先生からのお達しでね」
「東雲先生が?」
「そう。中々読めない人だけど、生徒の事はちゃんと考えてくれる人だからね」
その言葉を聞いて東雲の顔を思い浮かべる漱介。
最初にあった時に見せた、あの不敵な笑みを浮かべながら腕を組んでいた。
「そう、ですか。でも、何で今ここに?」
「いや、やっぱりいきなりはまずいかなって思ってね。ちょっとした挨拶だよ」
そう言って朗らかに笑う。
「お兄ちゃ~ん。漱ちゃんに学校を案内するの?」
優衣が二人に歩み寄り、話に入ってくる。
「そのつもりだけど・・・・・漱ちゃんってなんだ?」
やはりと言うべきか、そこにツッコンできた夕兎。
「漱ちゃんは漱ちゃんなのです。それ以上でもそれ以下でもないんです」
「らしいです」
一応乗っておく漱介。
「成程ね・・・・・。まあ、とりあえずそういう事だから宜しく」
「分かりました」
「お兄ちゃん。私と千恵ちゃんも一緒していい?」
「えっ、ちょ、ちょっと優衣!?」
何で私まで、と言おうとした所で「すとっぷ!」と千恵の口を押さえるようにする(実際には身長が足りないので全然押さえているように見えないが)。
「千恵ちゃん、『たびはみちずれ』ってよく言うじゃないですか」
「いや、いきなりそんな事言われても」
「千恵ちゃん、何か用事でもあるの?」
「特には無いけど・・・・・」
「じゃあ決まり!! と言う訳でお兄ちゃん、よろしく~」
優衣は屈託のない笑顔をしている。
――良い絵が描けそう。
それを見ていた漱介は何となくそう考えていた。
「分かった分かった。じゃあ、授業が終わったらこっちに来るから待ってろ」
「りょうか~い」
「風波君もそれでいいか?」
「ええ、俺の方は問題ないです」
「すまないな。じゃあ放課後にまた」
本当に申し訳なさそうな顔をしながら夕兎は帰っていった。
漱介は優衣の方を向くと、先程の会話の事を聞く。
「で、一体どうして」
「? 何が?」
「いや、どうして一緒に行くなんて言い出したのかなって」
「そうよ。私も巻き込んでおいて」
千恵も会話に入って来る。
そんな二人の「問い」に優衣が言った「答え」は、
「だって、面白そうだったんだもん」
『・・・・・』
会話終了。そのまま二人は何も言う事なく自分の席へ。「えっ、だんまりはやめて~」と嘘炉で騒いでいた優衣だったが、二人に相手される事なく放っておかれた。
席について一息つくと、隣にいる千恵にある事を聞くことに。
「そういえば松永さん」
「? どうしたの? というか、呼び方変わってるね」
「まずかったかなーって思って」
「別に、呼びやすいのでいいよ。逆に、今さら変えないでってところかな」
「それもそうか・・・・・じゃあ千恵」
「・・・・・風波君ってさ、天然って言われたりしない?」
「? 別に」
「・・・・・そう。じゃあ、私も漱君でいいかな。こう言うのもなんだけど、風波って結構呼びづらくて」
「うん。全然オッケー」
千恵が顔を赤らめている理由が分からず、またもや首を傾げる漱介。まあ何でもないだろうと一人で片づけ、話を続ける。
「でです。聞きたい事があるんだ」
「なに?」
「・・・・・あの二人って、本当の兄弟?」
どう考えても、あの二人が同じ母親のお腹の中から出てきたというのが信じられない。全くの真逆。表と裏。プラスとマイナス・・・・・あれ? これはなんか違う気がするけど、まあいっか。
その言葉を聞いた千恵はぷっ、と小さく笑う。
「確かに全然似てないよね。でもご安心を。れっきとした鳶尾兄妹だから」
「ふーん。そっか」
とは聞いたものの、やっぱり信じられないでいる漱介だった。