二話:不敵に笑うその人は…
「・・・・・」
深夜。この時間が生み出す夜色が最も濃い時。
深夜。そんな夜とは真逆に自らが生み出す光を存分にふりまいている月が出ている時。
深夜。なんだか幻想的な雰囲気を生み出している時。
「・・・・・」
そんなこの時間。漱介は部屋の電気を消して眠りにつこうと先程からちょっとばかし必死になっていたが、全然眠れないでいた。
色々な所に来てはすぐに引っ越すという生活をしていた漱介はどんな場所でも眠れるように自然となっていたが、今日に限って何故かそれが出来なかった。
「・・・・・眠れない」
寝むそうな声を出しているにも関わらず、二時間前からずっとこの調子。
どうしてかと、その理由を探してみると案外簡単に見つかった。
明日、新しい学校に行く事が楽しみで眠れないのだ。
まるで小学生が「あしたはえんそくだ~。たのしみだな~♪」とはしゃいでいるのと同等のレベルの理由ではあるが、無くそうと思って無くせる物ではないので結局このままの状態が続いている。
そして、何にもしていないで横になっているとだんだん辛くなってくる訳で。
「・・・・・」
布団からムクリと起き上がると、本棚の方まで行ってちょうど読みかけてあった小説を取り出して読み始める。
「そういえばどんな話か忘れてるな・・・・・」
という訳で最初から読み始める事に。
カチッ。カチッ。と時計の針が刻まれる音が響く中、漱介は活字の世界に没頭している。本の虫、とまでは行かないでも割と本を読む漱介。今呼んでいるのはミステリで、昔出版されたものが文庫化して新しくなって出てきたシリーズものにハマっている。
時間だけが過ぎていく中、漱介は眠れなくて仕方なく読み始めた本にいつの間にか夢中になっていた。
「おはよー・・・・・」
「おはよう。って、どうした漱介。随分眠たそうな顔だけど」
「うん・・・・・何て言うのかな。やっぱり面白い小説っていうのは反則だと思う」
「?」
智香が首を傾げるが、漱介はあえて何も言わず、というより眠たくて言えず、黙って椅子に座る。
結局あの後、夢中になって読書に集中してしまい一睡も出来なかった。気がつけば夜が明けていて一日の始まりを告げる朝日が昇っており、それを見て漱介は何だか自分を情けなく思ってしまった。
「ほらほら。そんな眠たそうな顔していたら何て思われるか分からないぞ。シャキッとするシャキッと」
そう言うや、バンバンと漱介の背中を叩く。本人は軽く叩いたつもりだろうが叩かれた本人は予想外のダメージを食らい思わず「ぐおっ」と呻き声をあげる。
「分かってるよ。そういえば親父は?」
「まだ部屋で寝てるよ。何か昨日、夜遅くまで描いていたみたい。まったく・・・・・」
と呆れながら小さく溜息をつくが、それが本心ではない事を漱介は知っている。
「・・・・・朝から見せつけてくれるね」
「なっ、べ、別にそう言う訳じゃ」
「はいはい。そう言うことにしておくよ」
適当に流すと目の前に置かれている朝食を食べ始める。
――しっかし、親父は母さんに対してあんなに直球なのに、何で母さんは変化球ばっかり投げるんだか。
心の中でそう呟くと漱介は母親の方を見る。
智香はこれと言った変化はなく、黙々と食べ進んでいるが、漱介は先程から智香の目がリビングのドアの方を時々盗み見るように動かしていることを見逃さなかった。
――何だかんだ言っても、親父と大して変わらないな。
これが最近日本で言われているツンデレというやつなのだろうか。なんていう事を思考しているうちに朝食を食べ終えた。
まだパジャマ姿のままなので、一旦部屋に戻り今日から登校する高校の制服に袖を通す。フランスにいたときは制服ではなく私服だったので、実に二年とちょっとぶりなのである。
最近ではちょっと少なくなってきた学ランに着替えると、学校指定の鞄(中にはスケッチブックと鉛筆。携帯に音楽プレイヤーと漱介お気に入りのヘッドフォン。授業で使う筆記用具しか入っていない。教科書は今日もらうのだ)を手に持って下に降りる。
リビングに戻ってみると、そこには先程なかった道浩の姿が。パジャマ姿のまんまゆったりとコーヒーを飲んでいた。
漱介に気付くと、小さく笑う顔を見せる。
「おっ、懐かしいな~学ラン。俺も学生の頃は学ランだったな~」
「へえ。親父もそうだったんだ」
「ああ。にしても羨ましいな~。俺ももう一度あの素晴らしかった時間に戻りたいものだ」
「戻って何するんだよ」
「そうだな・・・・・」
数秒、考えた後、
「智香と制服姿でイチャイチャしたいかな」
「ごほっ!」
道浩の言葉に思わずお茶を詰まらせた智香。その顔はゆでダコのように真っ赤になっていた。
「なっ、何を言っているんだお前は! あ、朝からそんな事を・・・・・」
「まあまあ良いじゃないか別に。それに本当のことなんだし」
「~~!!」
何か言いたいのだろう。智香は顔を真っ赤にしながらぽこぽこと道浩を殴っているが、その姿には迫力が無く逆に可愛いと思ってしまうほど。
「っと、ちょっとやり過ぎたか・・・・・ごめん智香」
そう言ってぎゅっと抱きしめる道浩。
「・・・・・バカ」
「ごめんごめん」
「・・・・・バカバカ」
「そうだな。確かに馬鹿だった」
「・・・・・」
道浩の腕の中でバカと連呼しながらもその抱擁から逃れようとはしない智香。むしろ胸に顔を埋めて幸せそうにしている。
「・・・・・はあ」
その様子を半分呆れて、そして半分諦めて眺めていた漱介は行ってきますも言わずにただ黙って学校に向かう事にした。
私立諷詠第一高校。この諷詠町にある二つの高校の内の一つであり、第二高校とは名前の通り同じ系列の学校である。
第二高校は理数系の方に主軸がなっているに対し、第一高校は文系を主軸としている。
校風は他の学校と比べてみると自由な所があり、生徒の自主性を重んじている(嫌な言い方をすれば生徒の自己責任)。その上で学業のレベルも割と高く、部活動も盛んに行われている。
今日は初日なので結構早めの登校。歩いてどれくらいなのか分からない漱介は、今日歩いてみて片道の時間を計る事に。
高校に行く道の途中、漱介は周りの風景を見て「此処からだったらこういうのが描けるな」とか「あそこなんか良さそうだな・・・・・休みの日にでも言ってみよう」とか思ったりしていた。デッサンが好きな漱介は休みの日になるとスケッチブックをショルダーバックにいれてぶらぶらしながら、気に入った場所があるとそこに座って描く、と言った事をやっている。今のはその下見みたいなものなのである。
そんなこんなして歩くこと十五分。目的地である諷詠第一高校の前まで来ていた。
後者は何処にであるような白いコンクリートのもので、唯一の違いは校庭の広さだろうか。小学校や中学校並にやたらと大きい。そういえばと、漱介は著と前に読んだ学校案内のパンフレットで秋になるとちょっとした規模の体育大会がある事を思い出す。
「なんか面白くなりそうだな」
ちょっとした期待を抱く漱介だった。
校舎内に入り、まずは職員室に行って担任になる教師と話をすることになっている。職員室はどこかときょろきょろしていると、目の前から二人組の女子生徒が歩いてきた。
漱介はあの二人に聞いてみようと声をかける。
「あの、ちょっと失礼」
「?」
声をかけた片方の女子が不思議そうな眼で漱介を見てくる。
「えと、職員室ってどっちにありますか?」
「職員室? それならこの先を行った所にありますけど・・・・・」
「そっか。どうもありがとう」
小さく微笑み返して行こうとすると、今度は逆に女子の方から声をかけられる。
「あの、あなたはいったい・・・・・」
「ん? ああ、今日からこの学校に転校してきたんだ。一応、学年は二年。よろしく」
「えっ、転校生!?」
目を丸くする二人の女子生徒。
「ああそっか。だから職員室の事を」
「そ。今日初めて来たからさ、場所が分からなくて・・・・・。じゃ、失礼」
と、今度こそ二人を後にする漱介。途中、二人の会話が耳に入ってくる。
「ねえ、転校生って・・・・・」
「うん。二年って言ってたし、間違いないんじゃないかな」
「だよね・・・・・。うーん、好みのタイプかも」
「あっ、やっぱりそう思う? ちょっとボンヤリしてたけど、何かよかったな~」
何て会話が聞こえてきたが、漱介は何の事なのだろうかと心の中で首を傾げるだけだった。
先程の女子生徒の言うとおり、職員室は歩いてちょっとの所にあった。
コンコンと二回ノックをして扉を開ける。
「失礼します。今日から此処に通う事になった風波ですけど・・・・・」
と言って周りを見てみると、奥の方で漱介に向けて手で招いている女性が一人。そっちの方へ歩いてみると、女性が笑顔で迎える。
「風波漱介君。だな?」
腰まで伸ばしている黒い長髪。身長は宗助よりも少し低いぐらいで女性にしてみたら高い。そしてどことなく「不敵さ」を宿している整った顔を見た時、智香の顔が脳裏に浮かんできた。
「はい。えっと・・・・・東雲先生、ですか?」
「うむ。東雲梓だ。これからよろしく頼む」
漱介に手を差し出し、互いに握手をする。
「・・・・・」
「?」
東雲はどうしてか漱介の事をじっと見ている。どうしたのかと思って顔を見た時、思わずハッとしてしまった。東雲の瞳を見た時、まるで自分の全てを見ているんじゃないかと錯覚しそうになる。それほどまでに黒く深い瞳だった。
漱介の視線に気付いたのか「ああ、すまない」と小さく苦笑する。
「やれやれ。どうやら癖というのは中々治らないものらしいな。自分にも困ったものだ」
「えっ、それって」「だが」
漱介の言葉を遮ると、東雲は微笑して
「君はかなり面白いな。漱介君」
ぽん、と肩に手を置かれる漱介。
「面白い、ですか?」
「うむ。君は面白い。かなり、だ。ふふっ、今年は退屈せずに済みそうだな」
その言葉にどう返せばいいのか分からず「はあ・・・・・」と言葉を濁す。
「さて、一応簡単な説明をしてから教室に向かおう。その頃にはクラスの連中が首を長くして待っているだろうしな」
「はい」
色々と分からない人だったが、とりあえず悪人ではないという事を知った漱介だった。
それからちょっと時間が過ぎた頃、漱介が入る事になっている二年三組ではちょっとした騒ぎになっていた。
それもそのはず。やはり自分たちのクラスに「転校生」が来るという事は一種のイベントのようなものだ。教室のあちこちでは生徒たちが漱介についての様々な予想を話し合っていた。
「う~ん。いったいどんな人なんだろうね」
難しい顔をしながら唸っている鳶尾優衣もまたその一人だった。
茶色がかった髪にあどけなさが残る顔。その姿はどこか、主人に甘えてくる子犬を連想させている。
「先生な~んにも教えてくれないから、男の子なのか女の子なのかも分かんないよ」
「確かにね」
結衣の正面に座っている松永千恵が同意するように頷く。
「まあ、東雲先生だしね。教えてくれない事なんて最初から分かってたけど」
「う~ん、そうだけどさ・・・・・」
それは昨日、帰りのホームルームでの出来事だった。東雲から二、三の連絡事項が話され、後は帰るだけ――というところに突然「ああ、言い忘れていた。明日、うちのクラスに転校生が来るから」と一言。何でもないように伝えて職員室に戻っていった(東雲の時は始まりと終わりの号令が無い。理由はただ面倒だからということだけ)。
最初はいったい何を言ったのかとクラス全員、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、やがて言葉の意味を理解すると一瞬にして騒ぎ始めた。が、転校生に関する情報は一切なく、今この時も「謎の転校生」と呼ばれていた。
「せめて、男か女かぐらいは教えてくれてもいいのに」
千恵が拗ねるように言う。
「でもでも、分からない、っていうのも面白くて良いけどね♪」
無邪気に笑う優衣の笑顔は混じりけなしのとても澄んだものだった。
そんな優衣を見て千恵はほわ~んとした顔になり、優衣の頭を撫でる。
「あ~、やっぱり優衣はなごむな~」
「うわっ。くすぐったいよ、千恵ちゃん」
「いいからいいから」
その時、ガララッと教室のドアが開かれる。東雲が来たのかと二人はドアの方を向いたが、入って来たのは女子生徒だった。
「おーいみんな。先生がそろそろ転校生連れてくるよ」
おおっ、と小さな歓声が上がる。
「相川、どうして知ってるんだ?」
一人の男子が入って来た女子――もとい相川真奈に尋ねる。
「まあ、それはちょっと企業秘密ってやつかな。あっ、因みに転校生は男子だったよ」
言った途端、男子からは落胆の声が。女子からは興味あり、という声が同時に上がる。
「なんだ男かよー」
「まあでも、このクラス男子一人少ないからもしかしたら、って思ってたけどね」
「そっかー男子かー。どんな人なんだろ?」
みんなが思い思いの言葉を言う中、真奈は優衣と千恵の所へと行く。二人の所につくと「おかえりー」と真奈を出迎える。
「真奈ちゃ~ん。転校生ってどんな人だった?」
「というより、何で男子って分かったの?」
二人の疑問に真奈はふふんと得意げな顔をして話し始める。
「あれは何て言うか、運が良かったとしか言えないな~。ほら、今日は風紀委員の朝挨拶の日だったから早めに学校に来てたんだ」
「ああそっか。あんた風紀委員だったわね」
諷詠第一と第二の風紀委員会は毎朝校門の所に行って挨拶運動というものを行っている。真奈は今日が当番の日でいつもより少し早めに来ていた。
「で、隣のクラスの友達と一緒に校門に行こうとしたら、一階の所で偶然会ったって訳」
「ふ~ん。でも、何でわかったの? 転校生だって」
「いやそれが、向こうから話しかけてきたんだよ。職員室はどっちなのか、って」
「へえ。で、感想はどうだったの?」
真奈はやたらと男子に対する評価が厳しい。瞬時に相手の全てを見ているのではないかと思わせるほどの観察眼の持ち主である。
「そうね・・・・・。一見すると、なんかボンヤリとしてるな~って思った」
「ボンヤリ?」
「そう。ボンヤリ。それと、ふわふわしてる、かな」
「ふわふわ?」
二人は普段の真奈らしくない曖昧な表現に首を傾げる。
「でも、」
「でも?」
一拍置いて、
「けっこうよかった、かな」
そう話す真奈の顔はほんのりと赤みを帯びていた。
「へえ。マナちゃんが高評価を出すなんて珍しいね」
「ほんと。他には?」
「そうね・・・・・」
言いかけた所で、再びガララッとドアが開く音。そこから一人の女性――東雲が入って来た。
「ふむ。やっぱりこうなっていたか。別に構わないが、とりあえず全員、席に着くように」
東雲の一言で次第に喧騒が止んでいき、自分の席へと戻っていく。やがて全員が席に着くと、東雲は「ふむ。素直なのは良い事だ」と言って教卓へと向かう。
この学校内に東雲梓に立ち向かう事が出来る生徒、及び先生は誰一人としていないだろう。つねに余裕のある笑みを絶やさず、相手を試すような物言いをする。それに見合う実力を持っているのだ。
「さて、出欠席の確認の前に昨日話した転校生の紹介から始めるとするか。入って来てくれ」
ドアの方に声をかけると、ゆっくりとした足並みで教室に入ってくる少年が一人。もちろん漱介である。
大抵の人ならばここで緊張するかもしれないが、転校転校の繰り返しだった漱介にとってはもはや何の事もなく、先程真奈が話していた「ボンヤリ」としたものを纏いながら教卓の傍まで行き、後ろにある黒板に自分の名前を書いていく。
描き終えると振り返り、簡単な自己紹介をする。
「えっと、初めまして。風波漱介って言います。これからよろしく」
そう言って小さく微笑んだ。
いかがでしょうか? 感想などありましたら是非、宜しくお願いします。