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第一幕、一話:ゆれてゆれて夢うつつ

 ブロロロロ、と一台のトラックのエンジン音が耳に伝わる。

 全開にしている窓からは、五月が生み出す温かい風が入って来てとても心地よく、眠気を誘うような無音の子守唄のよう。

 外は住宅や木々などが見事に調和されていて、ごちゃごちゃとしたものを感じさせない。こんな所が日本に、しかも首都である東京に近い場所にあるとは信じられないような場所である。


「・・・・・ふぁ~」


 窓枠に肘をつけ頬杖をしているこの少年――風波漱介かぜなみそうすけもまた、そんな景色を見ながら顔をとろんとさせていた。


「眠いか、漱介?」

「んーちょっと。やっぱり車の仲だと寝にくいな・・・・・」

「確かにな。一日近い距離を走ってるから、眠くならない方がおかしいか」


 そう言うのは漱の隣、つまりは運転席に座っている父親の道浩みちひろ。こちらは全くと言っていいほど眠気を感じていない様子。

 一方の漱介は先程からうつらうつらとしていて明らかに眠そうにしている。まだ少年のような幼さを宿しておりながら、この年頃にはよく見られる複雑さをまったく感じさせず、明朗でありながらも静かさをまとっている。そう表現できるその顔には今は眠気が宿っている。


「そう言う親父は眠くないの?」

「俺か? もう慣れてるからな。なんとも思わないな」


 ふ~ん。と気の抜けた返事をしてから、漱介は再び外の景色を見る。

 漱介が持つ日本の建物のイメージは「ごちゃごちゃしていて統一性というものが全く感じられない」だったが、この町にある物はそれとは違っていた。それを表現できそうな言葉を智浩は知らなかったが、なんだかこの町は人を落ち着かせるような何かが辺りを漂っている。


「にしても、此処って本当に東京に近いの? そんな感じが全くしないんだけど」

「近いって言っても郊外だからな。でもまあ、確かに不思議だな。まるでこの場所だけ切り離されてるみたいだな」

「言いえて妙だね」


 そう言って自分の髪をくしゃくしゃとく。

 だんだんと住宅が多くなってきた。だがそれらは「ごちゃごちゃしていて統一性というものが全く感じられない」という訳ではなく、どことなく自然な統一がそこにあった。


「そういや、母さんは何してるんだ?」


 思い出したように振り返ってみるとそこでは一人の女性が身を縮めて幸せそうな顔で静かに寝息を立てていた。長く一つにまとめてある黒髪に「勇ましさ」という言葉が似合いそうな端整なその顔がそんな表情をしていると何故だか笑いが込み上げてくる。


「・・・・・なんかいつもの母さんとは思えない顔だね」

「そうだな。でもまあ、ああいう所が可愛いんだよな。これが」

「はいはい分かってるよバカップルめ」


 呆れたように言い返す漱介に苦笑する道浩は「聡明」という言葉が似合いそうな風貌をしており、母親である智香ともかとは全くと言っていいほど真逆だった。


「俺は今でも不思議に思うよ。なんで親父と母さんが結婚したのかって。七不思議の一つに取り上げてもいいくらいだ」

「ははっ。確かに俺だって最初に智香と会った時は結ばれるなんて思いもしなかったからな。人生って言うのは本当に分からないものだ」

「それは言えてるね」


 はたから見れば普通にお似合いなような気がするが、息子と言う場所から見ている漱介はどうしてこんなにも正反対の二人が、と思ってしまう。

 ブロロロロ、とエンジンの音を耳に伝えながらそんな事を考えていたら、後ろの方でもそっと動く気配がした。振り返ってみると、智香が目をこすりながら起きた所だった。


「いつの間にか寝ちゃってたか・・・・・今何時?」

「おはよう母さん。因みに現在の時刻は午前十時ちょっと過ぎと言ったところかな」

「そう・・・・・。道浩、あとどれくらいで着きそう?」

「これくらいのペースで走っていれば、あと三十分ぐらいだな」


 三十分か・・・・・。そう心の中で呟くと、漱介はこの景色を目に焼き付けておこうとまた窓の外の方を見る。







 現代と自然が調和された町、諷詠町ふうえいちょう

 十数年前から近代化が始まっていながらも、昔の歴史ある街並みを失わずに現在もあり、それのおかげなのか何なのか。関東の中で唯一、過疎化が進んでいた地域だったが今ではすっかりその心配もどこ吹く風となっている。

 そんなこの町に漱介、もとい風波かぜなみ家は今日からこの町で暮らすことになっている。このトラックは引っ越し業者に頼むのが面倒だと言った道浩が、知り合いに頼んで借りた物なのだ(そんな知り合いが気になった漱介だったが、何故か教えてくれなかった)。

 引っ越し、と聞けば他の人にとっては結構大きいイベントなのかもしれないが、こんな事をもう数え切れないほど経験している漱介は何とも思わなかった。

 画家という特殊な職を持つ道浩は日本だけでなく世界でも割と名の知れた画家であり、新しい絵を描くために一か所にいたんでは面白くないということで、今までは日本や世界中、おもにヨーロッパの方を転々と漱介が生まれる前から巡っていた。そして漱介が生まれた後でもそれは変わらず、つい一週間前まではフランスで暮らしていたのだ。義務教育という法律さえもすっ飛ばしている風波家は一年を通して計四、五回は引っ越しをしている。

 が、いったいどういった風の吹きまわしなのか気まぐれなのか。ちょうど一か月前に道浩が「もうそろそろ一か所にとどまろうかな」なんて事を言い出したのである。最初は冗談だと思っていた漱介だったが、日が過ぎるにつれてだんだんと現実味を増し、最終的には故郷である日本に帰って来たという訳である。

 久しぶりに吸った日本の空気は少し違和感があり、これからもずっとこんな感じなのかと思っていたが、この町だけは例外らしい。それに安心感を抱きつつ、これからどんな事が始まるのだろうかという期待感でいっぱいだった。







「・・・・・」

 

いつの間にやら頬杖をつきながら眠りに落ちていた漱介。

 トラックは既に目的の場所――三階建の新風波邸の前に止まっていた。

 一階は道浩の仕事場、もといアトリエになっており、画材道具やらなんやらや道浩の私物を置く場所になっているため居住空間は二階からということになる。リビング、キッチン、風呂場などは全て二階にあり、三階は漱介の部屋と智香の部屋、そして風波夫妻の寝室の三部屋がある。


「漱介~着いたから起きろ~」

 

 と道浩が先程から起こしているが中々起きる気配が無い。よっぽど疲れが溜まっていたのか、規則正しい寝息をたてながらすうすうと眠りについていた。


「ふむ。起きる気配なし、だな」

「起きないの?」

「ああ。しょうがないから担いでリビングにでも――」

「それよりもっと手っ取り早い方法にした方がいいんじゃない?」


 と、小さく笑いかける智香。それを見た道浩は苦笑する。


「因みに、その手っ取り早い方法って言うのは?」

「簡単よ。私の全身全霊の力を手に集中させて智浩の頭部にそれを叩きこめば――」


 別に何とも無く説明していると突然、何かが弾けたように目覚めた漱介。しきりに周りをきょろきょろしている。


「おっ、起きたか」

「うん・・・・・」

「ん? 何かあったのか?」

「いやさ、なんか凄く冷たい何かを感じたような気がするんだけど・・・・・気のせいかな?」


 首を傾げながら呟くように言う漱介。それを見ていた智香は「むー」と不満げに口を尖らせていた。

 その様子を見ていた道浩は独り小さく笑いながら「さて、」と話を切り出す。


「とりあえず今日中に荷物は全部家の中に入れちゃわないとな。漱介は明日から学校だし、俺も早く始めたいしな」

「よし。じゃあここは私の出番だな」


 そう言ってトラックの後ろの扉を開け中に入る。中からドンッ、ドンッという音が数回にわたって聞こえてきた後、智香が段ボールを片手に数個ずつ重ねて持って出てきた。


「とりあえず、家の中に入れたのでいいのかな?」

「そうだな。何が入っているのかは蓋の部分に書いてあるから置いておくだけでいいよ」

「分かった」


 智香は重そうな顔をちっともせず、段ボールの中には実は何も入っていないんじゃないかと疑ってしまうほど軽々と持って行った。


「相変わらずとんでもない馬鹿力・・・・・」

「ははっ。やっぱり智香は凄いな」


 呆れる漱介と感心している道浩。そんな二人の親子は流石に女性一人に荷物運びをさせる訳なく、両手で数個ずつ家の中に運んで行った。普通なら一時間以上はかかるだろうと思われる荷物運びを、その半分の三十分で終わらせてしまった。

 全部運び終えた後、色々と荷物でごった返しているリビングでほんの一休みと腰を下ろす。


「ふう。これで全部?」

「みたいだな。とりあえず後で部屋に運ぶとして、飯はどうする?」

「疲れて食欲が無いな・・・・・。っていうか、母さんは?」


 そう言ったとき、ちょうどよく智香が入ってくる。


「呼んだか?」

「ちょうどね。ご飯どうしようかって話してた」

「私は・・・・・あんまり食欲ないな。ずっと車に乗ってたから」

「あらら。二人とも駄目か。まっ、俺もそうだけどね」


 それから二時間ほど雑談したり昼寝をしたりで過ごし、その後は運び込んだ荷物を各自部屋へと運んだ。

 全部が終わる頃には空が夕焼け色に染まり、一日の終わりを告げる時間になっていた。


「ふう。なんとか片付いた・・・・・」


 ほっと一息つく漱介。

 三階にある部屋は六畳と申し分ない広さで、そこには机や画集で埋め尽くされた本棚。道浩から貰った画材道具。ノートパソコン。布団などなど。

 

 「今日から、ずっとここにいるんだよな・・・・・」


 そう呟きながら、漱介は何か不思議なものを感じていた。

 今まで色々な土地を行ったり来たり行ったり来たりしていたからか、一つの場所に留まるということが特別な事のように感じる。たぶん、小さい時からこういう生活を送って来たからこそ思うことではあるんだろう。普通だったら、どこか一つの場所に定住するというのが当たり前なのだから。


「明日から学校か・・・・・何か目まぐるしいな」


椅子に腰かけながら、漱介は窓の外を見る。

 久しぶりに夕焼けというものをじっくりと見た気がした。フランスで暮らしていた頃は別段気にも留めなかったものなのに、どうして今になって気になるのか。もしかしたら、これから始まる新しい生活に不安でも感じているのか? いや、それは無い。むしろ楽しみにしているくらいだ。

 だったら、いったい何なのだろうか。

 繰り返し自分に尋ねてみても、全く帰ってこない答え。

 いやむしろ、答えなんてあるのか?

 それすらも、多分分からない。

 だったら・・・・・


「答えが出ないままでいいか」


 ははっ、と笑って考えるのを止めた。


「そういえば・・・・・アリアからメールが来てるかも」


 そう言うと、机に置いてあるノートパソコンを起動させる。

 アリアというのはフランスで知り合った友達であり、道浩に師事していた。そんな彼女とは愁に二、三回はメールのやり取りをしている。


「えーと・・・・・あ、やっぱり来てた」





『ハーイ、ソウスケ久しぶり! って言っても、まだ一週間しか経ってないか・・・・・。でも、逆に言えばもう一週間経ったってことになるんだよね。あーあ、時間なんてあっという間に過ぎちゃうね。ソウスケと過ごしていた頃が懐かしいな~。

 こっちは特に変わったことは何もないよ。みんないつも通り。ソウスケがいなくなってもみんな元気でやってる。私は・・・・・ちょっと元気ないかも。

 そうそう! 報告があったんだ。聞いて驚かないでよ~。なんと、メアリ先生が無事出産したの! 元気でかわいい男の子だったよ! ソウスケも一緒に見られたらよかったのにね。因みに、赤ちゃんの名前はまだ考え中。ソウスケも何か良い名前出してね。

 そっちはどんな感じかな? 最初にトウキョウで数日過ごしてから、フウエイチョウ・・・・・だったっけ? とにかく、そこに行くんだよね。

 ソウスケの事だから何にも心配ないと思うけど、新しい環境で頑張って! 

 それとさ・・・・・まだ、勝負は終わってないからね。ソウスケに勝つまで諦めないよ!

 それじゃあ、またね。返信、楽しみにしてるから。 by Aria・Parlando』




 ディスプレイに表示された文章を読み終えると、相変わらずだなと苦笑し、自然と頬が緩んでいた自分に気付く。


「やっぱり、面白いやつだな」


 何千キロも遠く離れている場所から、こうしたやり取りが出来るということはやっぱりいいと思った。

 



 その後、アリアへの返事をどのようにするかで、漱介は一時間も悩んだ。




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