1話
「重いわぼけぇぇぇ!」
いつまでも人の上でぐっすり眠っている三人を叩き起こすべく体を揺らすが、一切の反応はない。
気が付くと俺たちは森の中で眠っていた。それも俺が下敷きになり、その上で三人が乗っかった状態で。
今まで人間が入った痕跡など無いような完全なる原生林を前に、己のちっぽけさをとかどうでもいい!
土がいてぇ地面が!地面が近い!
「どけっつってんだろぉぉ!」
3人の体重を合計すると100キロは越えるため、身動きが全く取れない。
「あと5分…」
誰が呟いたか。
こんな訳の分からない状況の中、呑気に2度寝宣言をかました阿呆には後で制裁を加えるとして、とりあえず状況を整理するべきだ。
俺は常日頃から生涯一度も使わないであろうサバイバル知識をため込んできたのだが、人生とは不思議なもので、どうやらその知識は無駄にはならなかったらしい。
サバイバルマスターの御仁は緊急事態にはまず頭を動かせと言っていたので実践してみる。
余計なカロリーを消費しないように、目的までの最短距離をイメージするのだ。
「ふんっ!」
やった!頭は動いたよ!
上に乗っかった3人のせいで碌な動きはできないが、その中でもなんとか頭だけは動いたようだ。
違う違う。頭ってそっちじゃないんだわ。脳みそを働かせるんだよ。
やはり未だ状況に混乱しているのか、一人芝居をしていると上に乗っていた内の一人、レイが目を覚ました。
「あと3分」
「3分も待てるか!今すぐ起きて周りを見ろ!」
うんうんと唸っていたが自身の上に乗っかる重みにより覚醒したようで、「フエッ」という最高に頭の悪い声が聞こえてきた。
「あ……森だ…森?森なの?森ではないか。いや、やっぱり森…森の夢だ」
恐らくこういうのが普通の反応なのだろう。
俺はゲームやらファンタジー小説でこういう謎現象に対する免疫ができていたのでここまで酷い反応はしていなかった。
「おい、とりあえず俺から降りろ。いつまでマットレスの代わりにしているんだ」
なんとなく状況を理解してきたのか、レイは自分の上に乗っかっている毬を抱きかかえながら俺の上から降りる。
さて、俺の上には未だ一人乗っかっているのだが。
「おい、レイ!美波もどかしてくれ」
「流石にそれくらい自分でやってよ」
レイは毬を近くの木陰まで連れて行くと、地面にハンカチを引いてから座らせる。
なんだこいつ。紳士か?
俺にも優しくしろよ。
「俺が変に動いた途端、目を覚ましたこいつに変な勘違いされて殴られるまでテンプレだろうが!」
「そんなことしないわよ」
「ヒエッ」
いつもなら目を吊り上げて侮蔑のお言葉を浴びせてくるはずだが、今は怒りよりも驚きの方が強いのだろうか。それとも眠気のせいで本調子ではないのか。どちらにせよ助かった。
「ここは…まるで原生林ね」
そうですね。数十秒前の俺と全く同じ反応ですね。
「教室が突然光りだしたのは皆も確認したよね?」
レイの声に俺と美波が肯定する。
「で、それからここまで誰かに運ばれた記憶がある人は?」
二人そろって否定した。
「不思議だけれども、恐らく気を失ってから殆ど時間は経っていないはずよ」
美波は俺たちに腕時計を見せる。
授業が終わった時間からおよそ15分程度しか経っていない。
「早い話、何らかの理由で学校に侵入した人物が睡眠ガスとかで俺たちを眠らせて、学校の外まで連れて行ったとしても15分程度じゃあ、そこら辺の山に連れて行くのが関の山だな」
山だけに。その言葉は飲み込んで周りの反応を確認する。
「そんなことをする理由は見当たらないけどその通りだね」
「学校を占拠するつもりなら生徒は人質にする筈よ」
大体皆も同じような考えらしい。
3人で頭を捻っていると大きな声が聞こえてくる。
鈴を転がしたような高くきれいな声だが、あまりにも慌てているせいかまるで言葉になっていない。
「どうした?虫か?」
「森だしね」
「森だもの」
薄情な奴らである。
いつの間にか目を覚ましていた毬の元へ近づくと、振り向いた毬の顔は驚きに染まっていた。
微動だにしない毬に尋常ではない雰囲気を感じ取り何があったか質問する。
「こ、こここの植物…」
こちらに向いたまま草むらを指さしているので、近づいて確認すると小さな植物があった。
腰を落として植物を観察してみると、一本の幹から10センチ程の蔦が枝分かれに3本ほど伸びており、蔦の先には丸い蕾のような塊がくっついているようだ。
「なんだこれ?」
「見たことのない植物ね」
俺はなんとなくその蕾を指ではじく。
「待って!」
慌てた毬の声が聞こえた頃には既に遅く、
俺の指は二つに裂けた蕾の間に挟まれてしまった。
「いて」
痛みは殆どなかったが、反射的にそう呟き指を引き寄せる。
ブチブチ…
その力で蔦が幹から千切れ、途端に蕾が力なく指から滑り落ちた。
改めて毬の方へ目をやると、足元には先ほどまで俺の指にかぶりついていた植物の蔦が落ちている。
お前もか。そんな視線を毬に向けるも、半笑いを返された。
俺は後ろを振り返り、絶句した二人に対して無言で植物を指さす。
二人は揃って首を横に振った。
さて、その後も皆で植物を観察していたが、どうやらこれは現在まで確認されていない植物らしい。
途中、地面に落ちた蕾にもう一度指を噛みつかれた毬が焦って指を振ったせいで、外れた蔦がレイの手元に当たったり、
ビビり散らしたレイに蔦を投げつけられた俺が、今度は未だ幹に繋がっている蕾に指を噛ませ、そのまま腕を振ることでレイに仕返しをしたり、
それが思った方向に飛ばず、美波の頭に蔦がはりついたり、
乱心した三波に平手打ちされたりと、実に様々な事があった。
頬に赤い手形を残された俺は皆を落ち着かせると、とりあえず植物にごめんなさいをした。
無残な姿に変わり果てた植物を横に、みんなで状況を整理する。
「で、ここはどこだ?」
「ここに来るまでに落としたのか、回収されたのか、とりあえず全員スマホは持っていなかったからねぇ?地図も確認できないや」
「植物も見たことないものばかりだから場所の特定もできないわ」
「毬、スマホがあらへんと生きていかれへんのやけど」
結局全員の頭にハテナが浮かんだだけで、進展はない。
「まとめると、ここが何処か分からない上にスマホもなし。明らかに深い森の中、サバイバルの知識もない男女4人がどうにかして生きていかなきゃならんわけだな。」
「有能やな!」
「指をさすな。折るぞ」
笑顔から一瞬で真顔に戻った毬に冗談だと伝え、話を続ける。
「とりあえず一番の目標は『家に帰ること』だ。しかしこんな深い森からすぐに出られるかは分からない。そのためにこれから、『人を探す』『飲み水を探す』『食べ物を探す』『火を確保する』この四つを行おう」
異論は?そう聞くと皆が頷いた。
「閣下!」
「なんだ姫子松2等トイレ掃除兵」
「毬の地位低すぎやろ」
口を膨らまして異論を唱える毬に対し、閣下の言うことは絶対だと言い聞かせる。
「閣下は方向音痴のため別行動は危険かと愚考いたします!」
「なるほど……確かにそうだな。他にも危険なものがあるかもしれない。すぐに対処できるように二グループに分けて捜索に当たるぞ!」
「はっ!」
「よし、では姫子松一等お茶くみ兵ならばどのようにグループを分ける?」
「それ昇級なのか?まぁええや。とりあえず男女2人で分けようや」
飽きてしまったのか毬は元の口調に戻ってしまった。
因みにこの間レイと美波は真顔かつ、だんまりである。なにか考え事でもしているのだろうか。
◇◆◇
レイ、美波と別行動を始めてから数分後、
俺は毬と森の中を進んでいた。
そして、先ほどまで居た場所はかなり“元居た世界”に近かったのだと実感する。
周りには一軒家ぐらいはありそうな面積の、苔むした大木があちらこちらにそびえたち、明るい木漏れ日に照らされて何とも幻想的な雰囲気がある。
「なぁ毬よ」
「なんだね。コウよ」
「ここって日本…いや、そもそも地球か?」
「毬の記憶には地球上、どこを探してもこんな植物はあらへんかったで?」
「だよなぁ…」
不思議な植物を沢山確認しながら歩いていると、倒木の隅から一匹?のジェルが木の上から降ってきた。
「わぁぁぁなんや⁉」
「なぁ、毬、AEDとかある?」
「止まったんか?心臓」
ここが海ならばクラゲと見間違えそうなブヨブヨの塊は、RPG等のゲームで広く知られているスライムと呼ばれる生き物にほど近い見た目をしていた。
ぎりぎり片手で持てなさそうなサイズのそれは、ぷるぷると震えながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
「弱そう」
「踏んだら殺せそう!」
今日何度目かわからぬ適当な感想がでたが、まさに序盤の敵といった絶望的に弱そうな見た目のため、二人が油断するのも仕方がなかった。
「ていうかスピードおっそ」
「おっぱいみたいやな!」
「確かに」
完全になめ腐っているが、実のところ二人のテンションは爆上がりである。
「こいつ殺して飲み水にすんべ!」
「いやいや、まずは学会に提出だろ」
「そもそも飲めるんかいな?」
「適当にレイにでも飲ませて安全確認してみるか」
「You脳、有能!」
スライムは己の生命の危機を感じ取ったのだろうか、先ほどとは異なり、それなりのスピードで踵を返した。
「コウ!そいつ捕まえて!」
「待て飲み水!」
それなりとはいっても、ナメクジ並みのスピードから赤ちゃんのハイハイくらいのスピードになっただけのため、容易に捕まえることができた。
コウは小走りで追いつき、先ほどの植物から何も学んでいないのか素手でスライムを持ち上げた。
途端にスライムは形を崩壊させ、針で突いた水風船のように一気に液体化してしまう。
もちろん液体はコウの服にもべったりと付着した。
「まだ9月とはいえ、森だからか結構涼しいし、変な液体でべちゃべちゃになるのは嫌なんだが」
「コウ、捕まえてとはいったけど、握りつぶしてとは言うてへんで?」
「いや、持っただけで破裂したんだって」
「まぁええや、責任もってパッチテストしといてや」
「なにそれ?」
「知らへん?アレルギー反応があるかどうか確認するための手段で、未知の食材やらでも食べられるか確認できるんや」
「ふーん?」
「まぁ、触っただけで体調不良になったりするかもわからへんさかい。もしそうなら…かんにんな」
「おい!もしこれが酸とかならどうするんだよ⁉」
「匂いとかする?」
「しない」
「大丈夫やろ」
「大丈夫か」
「パッチテストが終わったら水で流しときや」
「今その水を探しているんだが」
そういった具合で更に森を進んでいると、
徐々にさらさらと緩やかに流れる水の音が聞こえてきたため、毬は大喜びでそこに近づいた。
しかし、俺はふと冷静になり歩みを止める。
”ここを何処かで見た気がする”
そんな漠然とした記憶ではあるが、俺にはとても重要な気がしてならない。
そんな俺の気も知れず、毬はどんどん川へ近づき、直ぐに早足で帰ってきた。
真顔で等速直線運動をする毬は実にシュールである。
「どどどっどどないしよう⁉」
「とりあえず落ち着け」
「えっとね。なんや川があったな!」
毬が壊れてしまった。
「水は飲めそうだったか?」
「うん。綺麗な水やったで!ペーハー値6ってとこやな!」
何を言っているかわからないが、とりあえず大丈夫そうなのでレイ達に知らせるべく元居た場所への帰路についた。
途中、あまりにも慌てた様子の毬に何があったのか質問する。
「えっとな。川にちっちゃい子供がおったよ」
「なに?毬よりも小さい子供だと⁉」
「おちょくってんのか!?」
毬は吠えるが、残念ながら可愛らしさ以外の演出はできていない。
「120センチくらいの子供がおったわ!」
「ふーん?10センチくらいしか変わらないな」
「15センチは変わるわ!」
「それはそうと、こんな秘境でも人間はいるんだな」
「それがなぁ。緑色やったんや」
「あー。植物を纏った感じの?」
「ううん。地肌が」
「地肌が⁉」
そんな生き物ハルクくらいしかいないだろ。あとはゾンビか、ゴブリン。
「で、棍棒を持っとって」
「うん」
「そんなんが5人くらい集まっとった」
「腐ってたか?」
「新鮮な感じやったで」
「喋れそうだった?」
「ギャギャ!とかなら喋ってたなぁ」
幼稚園児と喋っているのかな?そういう錯覚に陥りながら、もしかしたらここは秘境の地で、俺たちが初めて発見したのかな?そんなところあるのか?
と、そんなことを考えていた。
そして先ほどスライムが落ちてきた場所の近くに着くと、再びスライムが落下してくる。
ベチャリ
「きゃぁぁぁ!」
「きょえぇぇ!」
「毬。やれ」
「あいさー」
二度目となると流石に殆ど驚かずに処理することができた。
しかし、毬は触るとなると忌避感を覚えるようで、近くに落ちていた棒切れでゆっくりと突く。
どこか観察をしているようにも見えるのは、毬が研究者気質なのもあるだろう。
つんつんとスライムに刺激を与えていると、何度目かのつんつんでスライムが弾けた。
しばらくたったが、スライムの液体は俺の皮膚に対して何ら影響を与えていないため今回も大丈夫だろう。
「あ…」
毬は呆けたようにこちらを向くと、頭の悪そうな顔をしながらつぶやいた。
「レベルアップ…したって…」