バジリスクの行方
「バジリスクを飼い始めたのは二年前からでした。二十年前に息子を病気で亡くして以来、ずっと脱け殻状態だった私に姪がペットでも飼えばと勧めてきたのがきっかけです」
焦ってパニック状態になりかけていた喜美子がようやく語り始めた。
バジリスクは誘拐された。法律的には犬や猫は器物として扱われるので、正確には窃盗なのだが、そんなことを気にしている者は誰もいない。
事態に関係あるかはわからないが、蘭丸はバジリスクのルーツを喜美子に尋ねた。
「息子は、生まれつき心臓が弱かったんです。小さなころから何度も入退院を繰り返して、お薬を何度も飲んでいました。けど、十歳のときにそれが悪化して、そのまま……」
喜美子は力なくため息を吐いた。
「息子がいなくなってから、私もショックで体調を崩すことが多くなりました。それが何年も続いて、色んな人に心配をされていたんです」
「それを見かねた姪っ子さんがペットを勧めた、と」
「ええ。バジリスクと出会って、私は気力を取り戻したの。灰色だった世界に再び色がついた」
「ふむふむ。バジリスクとはどこで出会ったんですか?」
「ペットショップです。あの子が一ヶ月のときに引き取りました」
正確には引き取ったのではなく、買い取ったのだろうが。
「なるほど。バジリスクについてはわかりました。ではとりあえず、昨夜、バジリスクを最後に見たところから、今朝までの出来事をお話ください。働いているらしい家政婦さんの情報もお願いします」
喜美子が目を丸くする。
「まあ。誘拐犯を捕まえてくださるんですか?」
「はい。バジリスクを探し出すには、それが一番てっとり早そうですので。お代はこのままで結構です」
「ありがとうございます」
お辞儀をした喜美子が頭を上げるのを待って、剣也が口を開いた。
「えっと、バジリスクを最後に見たのが夜の十時でしたっけ? その辺りの話を詳しくお願いします」
「わかったわ。普段はもう少し遅く寝るんですけど、昨日は夫の朝が早いということで、十時に寝ることにしたんです」
「そのとき家にはお二人だけでしたか?」
蘭丸が尋ねる。喜美子は首を横に振り、
「いいえ。私の家には住み込みのお手伝いさんが二人、外から通っている家政婦の子が一人います。前者は伝説の家政夫と謳われる桜木春夫さん、話に出した姪の上杉恋。後者は松野みどりちゃんという子です。みどりちゃんは五時には帰っていましたが、住み込みの二人は自室にいたはずです」
「そのお二方は昨夜の十時以降にバジリスクを見たのですか?」
「いいえ。見てないそうです。バジリスクもリビングで寝ていましたから」
「そうですか。では、朝の話をお願いします」
「私は七時に目を覚ましました。起きたとき夫は既にいなかったわ。今日から一週間海外出張をするから、六時には起きて七時ごろに発つ飛行機へ乗るために空港へ向かうことになっていたの」
「お、奥様、その話は……」
真田が青い顔で喜美子に対して首を振っている。喜美子が鬱陶しそうにため息を吐いた。
「海外出張としか言わないから安心しなさい真田」
「申しわけありません。海外出張についてはご内密にお願いします。詳細も聞かないでください。日本の経済、我が社の株価に大きな影響を与えることですので」
真田がペコペコと蘭丸たちに頭を下げる。どうやらインサイダー取引の可能性を心配しているようだ。
「誰にも言わないのでご安心ください。朝の出来事の続きをお願いします」
「私は七時に起きたけれど、家政婦さんたちの仕事は六時半に始まります。桜木さんは玄関通路の花の手入れ、恋は洗濯物を干して、みどりちゃんは朝ご飯の準備をしていました。これはいつも通りのことです。私が七時に起きてリビングへ向かうと、みどりちゃんがいて、庭へ通じるガラスドアが開いていたの」
「みどりちゃんさんはドアが開いていることに気づかなかったのでしょうか?」
「部屋へ入ってキッチンへ向かうと、角度に的に開いていたガラスドアが見づらくなるの」
「なるほど。状況をまとめます。昨夜十時にバジリスクと別れたあなたと社長さんは床についた。住み込みの方々も自室にいたため、以降、バジリスクを見た者はいない。今朝六時、社長さんが起きて空港へ向かう」
「ちょっといいすか?」
剣也が小さく手を挙げた。
「話に口挟んで申しわけないんすけど、家主が早起きするのにお手伝いさんたちはそれに合わせなかったんすか?」
「夫はいつ通りで構わないと強く言っていましたから。結構、気遣いができる人なの」
「あ、そうだったんすね。じゃあ、どうぞ」
先を促された蘭丸は小さく咳払いをして、
「六時半に家政婦さんたちが仕事を開始し、七時に喜美子さんが起床、バジリスクの行方がわからなくなっていた。こういうことですね?」
「ええ。間違いないと思います」
「バジリスクがいなくなったことを知っているのはお二人と、家政婦さんたちだけですか?」
「はい」
「社長さんも知らない?」
「飛行機にいますから、電話は繋がりません。そもそも、あの人は仕事中、私用のスマホの電源を切っていますから」
蘭丸が何事が思案するように目を細めたそしてゆっくりと口を開く。
「警備セキュリティ」
「はい?」
「家の警備セキュリティはどうなっています? 特に件のガラスドア。時間外やセキュリティの作動中に開けたら、警報が鳴るような仕組みはありますか?」
「あるわ。リビングに設置された装置から、手動でセキュリティをオンオフする警備システムになっているの。昨日も寝る前に作動させたはずよ」
「そのシステムが何時から何時まで作動していたか、切れたタイミングはなかったか、警備会社に訊いてください」
「わ、わかったわ」
喜美子はスマートフォンを手に立ち上がると、三人から距離を取った。
「真田さんは社長秘書ということですが、どうして今ここに?」
蘭丸が居心地悪そうに固まっている真田に尋ねた。彼はややうんざりした様子で肩を落とす。
「社長命令です。留守の間、家でトラブルが起こったら対処するよう仰せつかっていまして。事前に奥様にも何かあったら私を頼るよう指示していたようで……。九時ごろ、奥様から連絡があったんです。バジリスクがいなくなった、探偵事務所を探すから車を出せって。あの家には社長と姪子さん以外、免許を持つ方がいないようで」
「なんというか、大変そうですね」
「なんか、然るべきところへ訴えた方がいいんじゃないすか?」
蘭丸も剣也も同情を寄せる。真田は力なく笑い、
「いえいえ。昔からの付き合いですから……。もうプライベートの延長線と考えることにしました」
何やら苦労人のようだ。
喜美子が三人のもとに戻ってきた。
「警備会社に確認したけど、システムは昨夜十時三分から今朝六時五分まで絶えず作動していたって。十時三分は私たちが眠った時間、六時五分は夫が出かけた時間ね。どちらも夫が動かしたんだと思う。それと、システムの作動中は鍵が施錠されているかどうかもわかるらしくて、その間、ずっと鍵もかかっていたらしいわ」
「そんなことまでわかるんですね」
「契約するとき夫と一緒に話を聞きましたけど、初めて知りました。通りでゴテゴテしたメカっぽい鍵のはずです」
剣也が腕を組んで思案する。
「うーん……。つまりバジリスクが家からいなくなったのは、六時三分からみどりさんがやってきた六時半までの間ってところですかね。リビングにいたその人がバジリスクを見てないんなら」
「そうなりますね。そして、社長さんがシステムを切った後に鍵を開けるという謎行動をしていないのなら、犯人は十分絞り込めます。家の、他のセキュリティはどうなっているんですか?」
蘭丸が喜美子へ尋ねる。
「他の窓や玄関扉、門扉にも同じセキュリティがしてある。家の周りの塀には赤外線センサーが巡っていて、乗り越えようとすると警報がなる仕組みになっているわ」
「警備は万全ということですか。……いくつか――まあほぼ一つですが――可能性見えてきましたね」
「可能性、ですか?」
「はい。まず前提条件として、犯人は喜美子さんのスマホの電話番号を知っている人物です」
脅迫電話は喜美子のスマートフォンにかかってきたのだ。当然である。
「そして、バジリスクが芹澤家の飼い猫であることを知っている人物でもあります」
「犯人は、私の知り合いの仲にいるということね」
喜美子は悲しげに顔を伏せた。蘭丸はあまり気にせず続ける。
「家政婦のみなさんは当然として、他には誰がいますか?」
「私のお友達……茶飲み仲間とでもいいましょうか。何度も自宅にお呼びして、バジリスクも見ています」
蘭丸が納得したように頷く。指を一本立てた。
「可能性一つ目。犯人は喜美子さん友人のうちの誰か。自発的に外へ出たバジリスクを偶然発見して捕らえた。……ただ、この推理には懸念点があります」
「どこですか?」
喜美子さんが真剣な表情で訊く。
「ガラスドアにずっと鍵がかかっていた点です。猫にはドアは開けられても、鍵を開けるのは厳しいですからね。もう一つは、犯人が社長さんの海外出張を知っていた点です」
蘭丸を除いた三人がぽかんとする。
「犯人は先ほどの電話にてこう言いました。『旦那さんや警察にも、このまま何も言わないことだ』と」
剣也がはっとする。
「このまま何も……ってことは、犯人は喜美子さんが社長さんにバジリスクがいなくなったことを報告していないと知っている?」
「そうです。何故知っているのか? それは社長さんが今日から一週間海外出張にいくことを把握していたからでしょう。海外出張のこと、茶飲み仲間に話したりしました?」
「いいえ。話していません」
「だったら、その中に犯人はいないのでしょうね。例え出張を知り得たとしても、それだけでは社長さんに連絡をしたか否かはわかりません。リアルタイムで喜美子さんの動向を探らなければ、わからないことなのです。以上の観点から、外部犯と考えるには無理がありすぎます」
蘭丸は指を二本立てる。
「可能性二つ目。こちらが本命です。犯人が家政婦の誰かの可能性。バジリスクを誰にも見つからないよう家のどこかへ隠し、バジリスクは自発的に外へ逃げていったという偽装のためにガラスドアを開けておいた」
喜美子と真田は呆気に取られつつも頷いた。しかし、剣也は首を傾げる。
「外へ逃げていった偽装って、おかしくないすか? 鍵の施錠情報については、それが警備会社に送られているのを犯人が知らなかったと考えれば納得できますけど、後々身の代金を要求する電話をかけるというのに、そんな偽装をしても意味がない」
「はい。そこに気づくのは流石と言ったところでしょうか」
剣也は、えへへ、とわざとらしく照れたように頭を掻く。しかし、
「そうでしょうか?」
真田が自信なさげに口を開いた。
「家の中を調べられるのを防ぐために外へ意識を向けさせたのでは?」
「それも意味はありません。ガラスドアが開いていようがいまいが、ペットがいなくなっていたらどのみち家の中をくまなく探すことに変わりはないからです。事実、みなさんはそうされた。ペットがいる家の中で働く方々が、そんなことに気づかないはずがない」
「た、確かに……。しかし、可能性を家の内部だけではなく、外部へ広げることを目的としてなら、そういう偽装もするのでは? 外部の人間が誘拐することはセキュリティ上できませんが、先ほど月代さんが仰ったような、自発的に抜け出した猫を偶然捕獲した何者かの犯行に見せかけるためとか」
先ほど剣也が言ったように、鍵が施錠されていたか否かを知る術を犯人が知り得なかったとしたら、そうした偽装をしてもおかしくない。
「なかなか鋭いですね、真田さん」
蘭丸がにやりと笑った。次に剣也が意見を述べる。
「それと、最初は身の代金を要求する気がなかったとしたら、その限りじゃありませんよね。バジリスクを隠した後、金が必要になる事案が発生した、もしくは金を得るチャンスだと思い至った……とか」
「二人とも、良い着眼点です。ですので、動機の面で容疑者を絞っていくのが得策でしょう」
蘭丸は喜美子に目を向けると、
「働いている家政婦さんについて、教えてくれせんか?」




