誰が犯人なのか【解決編1】
夜の十一時。金村総司は静まり返った住宅街を歩いていた。民家の灯りと一定間隔で立つ電灯があるとはいえ、夜の闇はどうしようもなく町を包んでいる。
町には彼の足音と電灯に群がる蛾の羽音のみが響いていた。金村は青いキャップを外して手の甲で額の汗を拭う。陽がない分、昼間と比べて気温は低いが、それでもじめじめした蒸し暑さと、太陽の置き土産とも言える熱によって、不快な暑さがまとわりついてくる。
金村はスマートフォンの地図アプリで目的地を確認する。ここらは似たような民家が多く、道も入り組んでいて迷いやすいのだ。
地図に従って進んでいると、遠目に目当ての建物が見えた。もう道に迷うことはない。そう判断した金村はスマートフォントをポケットにしまい、心持ち早足になる。目的地が近づくにつれて心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。『赤色の夜明け』として活動しているときでも、ここまで緊張したことはなかったのに。
目的地の目と鼻の先までやってきた。もはや数メートル先にある十字路の左通路に一本の街頭があるだけで、目当ての建物の周囲は暗闇に染まっている。非常に不気味だ。目的がなければ、おそらく無意識のうちに歩くのを忌避してしまうエリアだろう。
立ち止まり、深呼吸をする。両手で頬をひっぱたき、決意の表情と共に歩き出した。目的地に焦点を合わせて猛進する。そんなときだった。
「こんばんは」
十字路のちょうど中央にて、左手から気の抜けた声をかけられた。聞き覚えのある声だった。そちらを振り向く。
「お前……」
金村は目を見開いた。昼間の女探偵……月代蘭丸が電灯の柱に右肩を預け、眠たそうに団扇を扇いで立っていたのだ。
電灯の白く脆い光に照らされた彼女は随分と様になっている。金村は呆然と呟く。
「どうして、ここに……?」
「犯人の自宅の近くで待っていればやってくるんじゃないかと思いまして。ちなみに七時から待ってました。くるならもっと早くきてください」
蘭丸は目をこすり、あくびをかみ殺しながら恨みっぽく言った。犯人の自宅……目的地を指摘された金村は驚くことしかできない。
「お前は、俺の真意を読み取っていたのか?」
「あれだけ派手な解決編を見せられれば、流石に気づきますよ。私はただの探偵ではなく、名探偵なのがセールスポイントなので」
蘭丸は電灯から肩を離す。
「あなたが私の事務所に来たのは、私たちに犯人を特定させるためではなく、私たちを利用して犯人を特定するためだったんですね」
やはり、全て見通されているようだ。金村はその言葉で理解した。悟られたところで困ることもないのだが、バツは悪い。
「はて。何のことだ?」
「白々しい……というか、反論する意味もないでしょうに」
これは蘭丸の言う通りである。向こうは全てわかっているのだから、とっとと認めてしまえばそれで会話終了。おそらくは本題に入れるのだ。しかし、金村には興味があった。彼女が如何にして真相に辿り着いたのかに。
蘭丸は諦めたようにため息を吐くと、
「妹さんの事件には、普通のストーカー殺人と考えるには不可解な点がありました。それは、妹さんが殺された場所です」
「玄関とリビングを繋ぐ廊下、か?」
「はい。それだけなら別にいいんですけど、遺体の体勢が大きな問題になります。胸を刺され、仰向けで頭がリビングを向いていた」
「それがおかしなことなのか?」
「ええとても。昼間の情報では、犯人はピッキングで玄関の扉を開けて侵入したことになっていましたが、普通は玄関からストーカーがやってきたら、相手に背を向けて逃げます。そうなると刺されるのは背中で、倒れたときうつ伏せになるでしょう。リビングで犯人を躱して廊下へ抜けた場合も、刺されるのは背中、倒れるのはうつ伏せで、おまけに頭は玄関を向くことになります。おかしいですよね?」
金村はふっと笑みを浮かべる。
「そうでもないだろ。入ってきたストーカーに対して、身体を正面に向けたまま後ずさるように逃げようとしたところを刺された。もしくは、犯人がリビングへ逃げる葵を捕まえて振り向かせた上で刺した。まあ後者は揉めて現場が荒れそうだが。……いずれにせよ、そう考えればいいだけだ」
警察を呼んでおいて正面から立ち向かうのは悪手すぎる。相手の脇を通り抜けて逃げようとするのは最後の手段だ。背後のリビングに逃げ込めるのにリスクが高い。そもそも廊下は人が二人すれ違えなくもない程度で、幅に余裕はそれほどないのだ。考えられる可能性は金村が述べた行動だろう。
蘭丸は口を押さえてあくびをした後、
「ところがどっこい、それもおかしい。そもそも、犯人は玄関から侵入することができないからです」
金村は怪訝そうに眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「犯人はピッキングで鍵を開けています。それも二つの鍵を。それは無理ってもんでしょう。だって犯人が一つ目の鍵を開けて、二つ目の鍵にトライしている最中なら、妹さんはいくらでも開けられた一つ目の鍵を再び施錠できるのですから。何なら、ずっと鍵のつまみ――サムターンを握っていれば、ピッキング程度の力では解錠することができなくなります」
「リビングかどこかにいて、犯人がピッキングしている音が聞こえなかったんだろう。……いや、それはないか」
金村は自身の発言の矛盾に気づいた。蘭丸はこくりと頷く。
「妹さんがリビングにいたのなら、玄関へ逃げたとき刺されるのは背中、倒れるのはうつ伏せ、頭の向きは玄関になります。事実と真反対ですね。刺す際に振り向かせたとしても、頭は玄関側になります。これも事実に沿いません」
強引に解釈するならば、リビングへ現れたストーカーをよけて廊下へ出て、途中で身を翻して相手の横をすり抜け、犯人に相対したまま後ずさり、そこを刺されたことになる。命がけで逃げている人間にしては、行動にあまりにも無駄が多くなるのだ。
「あなたもわかっていると思いますが、犯人と揉み合って立ち位置が入れ替わり立ち替わりしてあの体勢になった……ということもありません。揉み合った形跡はなかったそうなので。また、合鍵の複製も困難とのことなので、ストーカーが密かに合鍵を造っていたという可能性も省きましょう。玄関以外からの侵入というのも、妹さんが玄関へ逃げることになるのでないです」
蘭丸は街頭に背中を預け、パタパタと団扇で顔を扇ぐ。
「事実と同じ体勢になるには、妹さんは犯人が家に入ってきたとき廊下にいないといけません。そして犯人は玄関から入ってこなければなりません。ですが、それならば犯人に侵入されることはないんです。ほら、不可解でしょう?」
「そうだな。その不可解から、何がわかるんだ?」
「矛盾というのは情報の誤りから生まれるものです。事件の情報のうちに、事実と異なるものが混じっているのでしょうね」
では、その綻びはどこなのか?
「犯人がピッキングによって侵入したと考えるから不自然になるのです。そもそも鍵穴に真新しいピッキングの痕跡が残っているからといって、それが事件によってできたものとは限らない」
「ピッキングじゃないというなら、犯人はどうやって家に侵入したというんだ?」
「簡単な話です。犯人は侵入したのではなく、来訪した」
蘭丸は淡々と言葉を紡ぐ。
「しかし、これもおかしな話です。家の前にいたストーカーに怯える女性が、来訪してきた者を簡単に家に通すわけがない。……ある存在を除いては」
彼女は金村の先にある建物に目を向ける。
「犯人はあなたの目的地であるあの寮に住む、妹さんの相談を唯一親身に聞いてくれていた、交番勤務の警察官……内海アキラ」