危機襲来
肉片と化す! 浅倉剣也がまず思ったのはそれだった。先ほどから何やら外がざわついているのには気づいていた。パトカーの音も聞こえていた。小規模と言えども爆発があったのだからそれは当然なのだが、脅迫されている自分たちには関係ないと考えていたのが迂闊だった。
騒ぎが起これば警察が駆けつけてくるのは自明の理。あのゴミ捨て場を使っているのは大半がこのビルの利用者である。警察官がこの事務所に話を聞きにくるのも当然なのだ。今、警察にこの事務所で起こっていることを知られたら命が危ない。
金村はこちらを頼る立場にあり、こちらも話を聞くだけならばリスクはなかった。とんだ起爆剤が放り込まれたものだ。
金村が素早く左手のスイッチをポケットにしまい込み、ゴミ捨て場を爆破したスイッチをジュラルミンケースへ戻し、ケースごとテーブルの下に隠した。
蘭丸が剣也に目と顎で応対するように促す。金村はその凄まじい眼力で「余計なことは話すなよ」と訴えた。剣也は緊張した面持ちで小さく頷く。
剣也はニコニコ笑顔を浮かべて扉を開けた。
「はいはーい。何でござんしょーか?」
扉の前にいたのは若い男性警察官だ。童顔でまだ幼さが抜けきっていないのが特徴的だった。彼は警察手帳を見せてくる。
「さっき外のゴミ捨て場で爆発騒ぎがあったのはご存知ですか?」
「あー……なんか、でかい音が鳴りましたね。あれって、爆発だったんですか?」
「調査中ですけど、爆発物のようなものが発見されています。面で怪しい人物などは見かけませんでしたか?」
「特に見てないですね」
警察官が事務所内を覗く。彼の目にはソファに座る蘭丸の顔と金村の背中が映っていることだろう。
「ここは探偵事務所なんですか?」
「はい、一応は。だからって爆発物を仕掛けた犯人を見つけてくれーって頼まれても、困りますからね」
「あははっ。そんなことは頼まないのでご安心を。まだ何か起こるかもしれないので、気を付けてくださいね」
「わっかりましたー」
「では、ありがとうございました」
直前に金村はちらりと後ろを振り向き、警察官が去っていくのを確認したようだった。剣也がほっと胸を撫で下ろしながら扉を閉める。深く息を吐きながらソファに腰をかけた。
「緊張したあ」
「ご苦労様です。警察官を露骨に遠ざけず、むしろ親しみやすいを通り越したウザキャラを演じる判断、見事でした」
「そりゃどーも。早いとこ解放されたいので、話の続きをお願いします」
金村がこくりと頷き、
「容疑者についての話をしよう。何度も言うように三人いる。いずれも、葵がストーカー被害を受ける直前に言い寄って、振られた男たちだ」
「妹さんモテますね」
「身内贔屓を差し引いても、あいつは可愛いかったからな。尤も、そそっかしくて被害妄想が強すぎるのが、全てを台無しにしていたが」
またしても蘭丸の横やりで脱線してしまった金村はうんざりする。
「お前はしばらく黙っててくれ。一人は葵の会社の上司、冴沼大吾。年齢は五十過ぎで、妻子がある身でありながら葵に交際を迫っていた。鬱陶しがった葵が社長に直談判したところ、冴沼は別の部署に異動となった」
「フットワークの軽い会社すね」
剣也から垂直な感想が漏れた。
「社長が女性だからな。不貞なことには厳しかったらしい。そういう事情から、冴沼は葵に気色の悪い愛憎を抱いていたと考えられる。冴沼は事件発生直前の十九時五十分ごろ、近所の公園で目撃されていた。それについて本人は駅に寄る途中に自販機で飲み物を買っただけだと証言している」
「近所の公園というと、全品百円の自販機がある公園ですかね。私もよく利用します」
「話を続けるぞ。二人目は葵がよく利用していた書店でバイトをしている大学三年生、池崎亮太。書店に訪れた葵に対して頻繁にアプローチをかけていたようだ。事件発生直後にあたる二十時十五分ごろ、駅で目撃されている」
「ご実家から駅までどのくらいの距離があるんですか?」
「走れば十五分かからずに着けるくらいだ。池崎はそれについて、友達の家から帰る途中だったと証言している。家を出たのは十九時五十ごろで、その家と駅の間に俺の実家はある」
事件が起こったのが二十時過ぎであるため、池崎に犯行は可能である。だから容疑者になっているのだろうが。
「最後の容疑者は今泉龍。『マニモニ食堂』という、キッチンカーで弁当を販売する弁当屋を営んでいる二十五歳だ」
今度は剣也が声を上げる。
「あ、知ってます。大学のツレがよく食ってますよ。安くて美味いと評判の弁当屋じゃないすか」
「葵はそこでよく弁当を買っていたらしいが、何度もナンパされていた。嫌がっていたがしつこかったので、きっぱりと振ったそうだ。今泉は二十時ごろに弁当の配達で俺の実家の近所にきていた。配達に使っていたキッチンカーも目撃されている」
「三人とも事件の前後に、現場の近くにいたというわけですか」
蘭丸が腕を組んでソファの背もたれに全身を預けた。
剣也も顎に手を添えて考えるが、全員が全員等しく怪しい。これだけでは犯人を特定するのは不可能だろう。
「容疑者のことについて質問はあるか?」
金村が二人の顔を見回すと、蘭丸が指を一本立てた。
「前提として聞いておきたいことが一つあります。あなたはこれらの情報をメディアとある筋から仕入れたんですよね? どの筋から得たんですか?」
「それは必要な情報なのか?」
「当たり前です。信憑性の怪しい情報で人を殺人犯扱いしようとするのは、探偵として愚の骨頂ですから」
金村と蘭丸の視線が交錯する。蘭丸から絶対に譲らない意志を感じ取ったのか、金村は折れたようにため息を吐いた。
「ストーカー被害を相談していた葵の会社の同僚にして友人の女性だ。彼女は犯人を突き止めるべく、独自に捜査をしていた。会社を休んでまで熱心に調べていたほどだ。間違いはないだろうさ」
「その方は、どうしてそこまで?」
「……彼女も、大学時代ストーカー被害に遭っていたそうだ。そのとき警察に取り合ってもらえず恐ろしい思いをして以降、警察に対して不信感を抱いている。警察の言うことなど信じられないってな具合にな。だから、友人の死を警察に任せてはおけなかったらしい。事件の担当刑事に何度も突っかかって、突っかかりすぎて公務執行妨害で捕まりかけたと言っていた。勝手に容疑者の周辺を探っていたこともバレて、大分釘を刺されたようだ」
「その女性と……コンタクトを取ったのですか?」
蘭丸が驚く。金村は頷いた。
「賭けだったがな」
「通報されなかったんすか?」
剣也もテロリストの行動力の高さに一周回って呆れた。
「されかけたが、説得してどうにか協力を取り付けた」
指名手配犯と好き勝手に動きすぎて警察に釘を刺された素人探偵。謎のコンビの爆誕というわけだ。
しかし、それはそれとして剣也は何か嫌な予感を抱いていた。だが蘭丸はすぐに次の質問に入ってしまう。
「情報の信憑性についてはわかりました。では、目撃された容疑者たちの持ち物がわかっているなら教えてください」
「今泉はキッチンカーで移動していたためわからない。冴沼は仕事用の手提げカバン。池崎はリュックだ」
「凶器はナイフでしたっけ? なら全員所持することは可能ですね。……妹さんのスマホの着信履歴、発信履歴はわかりますか?」
「流石にそこまではわからない。電話については報道されていることしか調べようがないからな」
「是非とも知りたい情報なんですけど、そこのところは仕方ないですね」
剣也は蘭丸の意図を考えていた。おそらくは事件が発生した時刻をある程度明確化したいのだろう。葵が警察官に連絡した時刻と、その警察官から連絡を受けた警察官が現場に駆けつけた時刻がわかれば、犯行時刻を絞り込めるのだ。
しかし、と剣也は首を捻る。容疑者たちの正確な動向とその時間がわからなければ、犯行時刻がわかったところで意味がない。どの道、全員に犯行は可能なのだから。
「うーん……事件現場、凶器、容疑者。訊いておきたいことは全部訊きましたかね。浅倉さんはどうです? 何かありますか?」
「え?」
突然話を振られた剣也は戸惑うも、すぐに質問を思いついた。彼は神妙な面もちになる。
「事件のこと……ではないんすけど、金村さんは犯人を見つけて、どうするつもりなんすか……?」
指名手配されている身でありながら、妹を殺した犯人を見つけようとしているテロリストの兄。あまり良い想像は浮かばない。
現に金村は厳しい表情で黙りこくってしまった。剣也が不安そうに声をかける。
「あの……?」
「……お前が考えていることで、相違ないだろうな」
「なっ……!」
最悪だ。剣也が頭を抱える。依頼を達成してしまえば犯人が肉片となってしまう。脅迫されているとは言え、殺人の片棒を担ぐことになるのだ。無論、犯人に対する同情心など微塵もない。微塵もないが……。
(殺しゃいいってもんじゃねえだろうがよ)
相手が悪いです。憎いです。殺しました。逮捕されます。十年以上刑務所に入れられます。……果たしてこれに、どれだけの価値があることなのだろうか。
復讐の価値を決めるのは当事者だ。外野には推し量れない。それ故に、復讐など、端から見ればその程度のことでしかない。自分の時間を十年以上無駄にしてしまうだけ。ストーカー殺人犯の命に、自分の時間以上の価値などあるはずがない。
この場の正解は、おそらく謎を解かないことだ。犯人を特定しないことで、金村に引き下がってもらうしかない。目的が復讐ならば二人を巻き込んで自爆したりはしないだろう。少なくともこの場は凌げる。後にお礼参りされるとも限らないが……。
そもそも、今の情報だけで犯人など特定できるわけがない。より多くの情報を持っているであろう警察が手をこまねいているのが、何よりの証拠だ。しかし、その状況をひっくり返してしまうのが名探偵。
剣也はちらりと蘭丸を見やる。報酬という人参を目の前にぶら下げられた探偵は、テーブルの一角に目を落としていた。思考を凝らしているのだろうか? いずれにせよ、犯人を特定する気なのは間違いなさそうだ。
(この人ドライなところあるからなあ。普段はこれなのに、妙なところでハードボイルドだから)
ストーカー殺人鬼の命と依頼達成の報酬を彼女の天秤にかけたら、マッハで報酬へ秤が振り切り、ストーカー殺人鬼の命が天の彼方へ放り投げられることだろう。
剣也は意を決して口を開く。
「金村さん、やめときましょう。あんたも、あんたの組織も、不殺を信条として掲げてきたんでしょ? クソ野郎に流されて、それを捨てないでください。先に捕まった仲間たちが、あんたが人を爆殺して捕まったと知ったらどう思う?」
金村は自嘲するような笑みを浮かべた。
「まあ、失望するだろうな」
「だったらやめましょう。俺だって、『赤色の夜明け』が何をしたいのかはさっぱりわからなかったけど、不殺を掲げていることだけは共感できた。そういう人はきっとたくさんいるはずだ。最後の最後に、俺みたいな奴らを裏切らないでくれ。そこらの犯罪者やテロリストと同じになるな。一風変わった犯罪組織の、一風変わった爆弾魔でいてくれよ」
不思議と説得の言葉が勝手に溢れてきた。これまで『赤色の夜明け』についてはたまに話題になるお騒がせ集団としか思っていなかったが、心の中ではこのように考えていたのかもしれない。やっていることはもちろん悪いが、それでも愉快な集団。創作物で見かける憎めない悪役。そんな立ち位置だった。
金村は目をつぶりスイッチを握る左手を緩めた。
「もう、遅い。どうでもいいんだ。全てな」
剣也が奥歯を噛み締める。説得は失敗。後は隣の探偵がどうにかしてくれるのを期待するしかない。
金村が蘭丸を真っ直ぐ見据えた。
「さて、他に質問はあるか? もしくは、結論は出たか?」
蘭丸が口角を釣り上げた。
「わかりましたよ。全てね」
剣也は絶句してしまう。最悪な展開である、と同時にあんな情報からそこまでわかってしまう彼女の推理能力の高さに驚愕したのだ。
「では、聞かせてもらおうか」
金村が表情を一切動かさず、無感情に言った。蘭丸は堂々とした態度で口を開く。
「何もわからないということが、よくわかりました」
隣の剣也ががくっとずっこけた。
「何なんすか!」
「逆に今の情報から犯人がわかると思っていたんですか、浅倉さんは。わかるわけないじゃないですか。あいにくと、私は名探偵ではなくただの探偵なんです」
蘭丸は悪びれもせず、脚を組んでやれやれと肩をすくめて見せた。状況的には悪くないのだが、剣也的にはとても裏切られた気分である。
金村は蘭丸を睨みつけた。
「殺人の片棒を担ぎたくなくてとぼけている……わけではないんだな?」
「全身全霊で考えた結果ですよ。身体に爆弾巻いてる人の前でそんなことする胆力は私にはありません。報酬もかかってるのに」
「……」
じっと金村に見つめられ、蘭丸は居心地悪そうに顔をしかめる。やがて彼はため息を吐いた。
「この情報だけで解決を期待するのは、やはり無茶だったか」
金村は窓辺に寄るとブラインドの隙間から外の様子を確認した。依然として騒ぎは続いている。先ほどよりも野次馬が増え、警察や消防も駆けつけているのだ。
「野次馬に紛れれば逃げおおせるか」
金村は身を翻し、起爆スイッチをポケットにしまうとテーブルのキャップを被る。二人を一瞥し、
「怖がらせて悪かったな。もう二度と会うことはないから安心しろ。じゃあな」
そのまま扉へ歩いていく。蘭丸があることに気づいた。
「あの、ジュラルミンケースとその中にあるスイッチは……?」
「いらねえからやるよ」
「いや困ります!」
金村は蘭丸の叫びを無視して事務所をあとにした。
蘭丸は苦々しい顔つきで面の騒ぎの証拠品を剣也に押し付ける。
「あげます」
「いりませんよ」
「まったく。最後の最後にとんでもない爆弾を残していきましたね」
蘭丸はうんざりした様子でケースを自室へ投げ込む。
剣也が深く息を吐いた。
「生きた心地がしませんでしたね」
「途中から慣れてませんでした?」
「最後の方の話ですよ」
彼は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注ぐと、勢いよく飲み干した。そして慌てた様子でトイレ向かう。蘭丸はそんな彼を尻目にスマートフォンを取り出した。知人の刑事に連絡するためだ。
「……あー、ジョウさんですか? 先日、若い女性がストーカーに殺された事件がありましたよね。そのことで、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」