赤色の夜明け
『赤色の夜明け』は数年前から活動しているテログループだ。尤も、本人たちは自らをテロ組織ではなく革命団、テロ行為ではなく世直しと言ってはばからない。官僚の自宅、権力者が職権を乱用して建てたモニュメント、大企業の社長が乗り回す高級車など、いわゆる上流階級の者たちに関わる物をターゲットとして、それらを爆破するのだ。腐った人間が国の上層にいれば、時期に国全体が腐っていく。そうなる前に赤い炎と共に吹き飛ばす。それが彼らの言い分。
字面だけならば本当にただのテロリストだが、彼らが自信満々に革命や世直しという言葉を使うのには理由があった。それは、彼らが不殺を掲げているからである。
事実、『赤色の夜明け』の犯行とされている五十件以上のも爆発事件には、死傷者が一人も出ていない。このことから、本来ならば身勝手な妄言としか捉えられない言葉も、世間では一定の評価を得てしまっている。しかし、そんな彼らも派手に動きすぎた結果、警察にアジトや構成員の数や身元を突き止められ、約一ヶ月前の六月二十日、大阪にて一斉摘発を受けて金村総司を除いた構成員二十名が逮捕された。
金村総司は組織の要として活躍していた。彼は『赤色の夜明け』発起人の一人であり、大学で電子工学と衝撃工学を学んでいたこともあって爆弾や爆発に精通している。つまり金村さえ生き残れば、『赤色の夜明け』は活動を続けることができる。復活することができる。そう判断した仲間たちに彼は身を挺して守られたのだ。
警察は金村を即刻全国に指名手配し、逮捕は時間の問題とされていた。……されていたのだが、その指名手配犯が現在、寂れた探偵事務所に、自らの身体に爆弾らしきものを巻きつけ現れた。
蘭丸と剣也は口をぽかんと開けたまま硬直している。唐突に非日常に放り出されたため、脳の情報処理スピードが追いついていないのだ。
やがて蘭丸が口を開いた。
「お、おおおおお、落ち着きましょう。一旦。は、早まるのはやめて、コーラでも飲みませんか? あ、コーラは私の口がついてるので、ミ、ミネラルウォーターでもいいですかね。コーラをミネラルウォーターで割るのもいいですよ。私の汚い唾液が中和されるかもしれませんしね。浅倉さん、それでお願いします」
「まずお前が落ち着けよ」
様子がおかしい蘭丸に金村が冷静な言葉を投げた。
次に剣也が精一杯の引きつった笑みを浮かべる。
「あ、あれっすよね? そっくりさんとか、双子の兄弟とかっすよね? その爆弾も偽物なんすよね?」
「そうに違いありません! 自分の身体に爆弾巻きつけるなんて刑事ドラマでしか見ないバカ丸出しなこと、天下の『赤色の夜明け』幹部、金村総司様がするわけありませんもん。あ、ちなみに私、こう見えて『赤色の夜明け』シンパなので。まとめサイトにも擁護コメントとかたくさん残してます。世直し最高!」
「煽りたいのか取り入りたいのかどっちなんすか!」
テンパりすぎて使い物にならなくなった探偵に剣也がつっこんだ。
金村は二人のやりとりに眉一つ動かさず、おもむろにジュラルミンケースを開けた。中に入っていた黒い正方形の物体を取り出す。中央にガラスのカバーに包まれた赤いボタンがついていた。彼はカバーを外してぽちりとボタンを押した。瞬間、事務所の外で低く何かが弾ける音が響き渡る。
騒いでいた蘭丸と剣也は黙り込み、ブラインドでシャットされている窓に目を向けた。金村が窓の方へ顎をしゃくったので、二人は事務机を回り込んで窓にへばりつく。ブラインドの隙間から外を見ると、村根ビルの正面にあるゴミ捨て場から黒い煙が上がっていた。積まれていたゴミ袋が道路まで吹き飛んで、破れ、ゴミが散乱している。ビル街で働く数少ない人々が面に出て騒ぎ始めていた。
今度こそ二人は呆然とする。蘭丸は酸欠寸前の金魚のように口をパクパクと動かし、剣也は口をあんぐりと開けたまま硬直している。
金村がトントンとテーブルを叩くと、青い顔の二人はゆっくりと振り返る。彼は左手に持つスイッチを翳した。
「これで信じてもらえたか?」
二人はこくこくと何度も頷く。
「取り敢えず、二人とも座れ。詳しい話はそれからだ」
指名手配犯が爆弾を巻きつけて現れる。現実感に乏しい事態だったが、先のデモンストレーションによって信じざるを、認めざるを得なくなってしまっていた。何かとんでもないことになってしまった、と。
金村は二人がソファに座るのを待って、口を開いた。
「先ほども言ったが、お前らには三人の容疑者の中から俺の妹を殺害した犯人を特定してもらいたい。訊きたいことや言いたいことは山ほどあるはずだ。落ち着いた方が頭も回るだろうから、詳細を説明する前に一つだけ聞いてやる。何か質問はあるか?」
蘭丸と剣也は困惑の表情で顔を見合わせる。剣也が目で促したので、蘭丸は渋々といった具合に口を開く。
「えっと、どうして私の事務所にやってきたんですか? こんな、見るからに繁盛していない探偵事務所の探偵に、そんなこと頼みますかね、普通……」
「この探偵事務所を選んだのはお前がいたからだ、月代蘭丸」
「もしかして私、裏社会だと有名人だったりするんですか?」
とても嫌そうに尋ねる蘭丸に金村は首を横に振った。
「欠片も聞いたことないから安心しろ。俺たちは出身大学が同じなんだ。学年は俺が一つ上だし、学部も違うから関わりは皆無だったがな」
「それなら、どうしてあなたは蘭丸さんのことを知ってるんですか?」
剣也が首を傾げながら訊いた。
「大学で殺人事件が起こったとき、解決したのが彼女だともっぱらの噂だった」
そうなんすか? と、剣也は蘭丸に目で尋ねる。
「友人が容疑者筆頭になってしまったので仕方なく……。こんなことになるなら解決するんじゃなかった」
「最低だなあんた」
心の底から後悔しているような蘭丸の態度に、剣也はどん引きした。
金村は二人のやり取りに顔色一つ変えず、
「俺が『赤色の夜明け』として活動を始める前、大学時代の知人から月代蘭丸が探偵事務所を立ち上げたらしいという話を聞いたことがあったんだ。調べたら『グッドジョブサーチ』に場所が載っていた」
蘭丸は冷や汗を流しながら睨む剣也から顔を背けている。余計なサイトに登録したばっかりに……。二人はそんなことを考えていた。
剣也は金村に向かって小さく手を挙げる。
「自分も質問いいですか?」
「ああ。構わない」
「俺関係なさそうなんで帰っていいですか?」
「駄目に決まっているだろう」
「ですよねー」
「お前も助手なら知恵を絞ることだ」
そこで蘭丸が口を挟む。
「彼は別に助手ではないですよ」
「じゃあ何だ? 雑用をするバイトか?」
「バイト代出りゃ嬉しいんすけどね……」
剣也が苦笑しながら呟いた。
「彼は暇なとき遊びにくる近所の大学生です」
蘭丸のこの紹介に流石の金村も訝しげな表情になったが、実際、月代探偵事務所と浅倉剣也の関係性はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
「まあ何でもいい。さて、そろそろ依頼の詳細を説明しようか」
「その前に一つだけ」
本題に入ろうとした金村に蘭丸が待ったをかけた。金村は眉をひそめる。
「今度は何だ。質問は俺の話の後で頼む」
「質問ではありません。必要事項です。依頼を受けます。ですので、謎を解いたあかつきには報酬はいただきます」
この状況からのその申し入れに金村は驚愕する。剣也は呆れのため息を吐いた。
「本来なら前金ももらうのですが、それは脅されているので自重します。ですが、解決したら絶対にいただきます。脅せば全て踏み倒せるほど、世の中は甘くありませんよ」
先ほどまでの情けない彼女はそこにはいなかった。あまりの変わりように金村は呆気に取られたが、すぐに愉快そうに唇を釣り上げる。
「いいだろう。有り金全て置いていってやる。もう使わないだろうからな」
(蘭丸さんの調子が戻ってきたぜ)
剣也から不安が消えた。この頼りない探偵が頼りになるときは、往々にして何とかなるためだ。
◇◆◇
「まずは、俺の妹のことから話そう。名前は葵。歳は俺の四つ下。化粧品会社に勤めていて、この事務所から徒歩六分ほどの場所にある実家で一人暮らしをしていた」
「近所ですね。ご両親は?」
蘭丸が口を挟んだ。
「親父は十年前に他界している。母は足が悪くてな。リハビリ施設に入っているんだ」
話を聞いていた剣也は腕を組み、記憶から何かを引っ張り出すように首を捻っていた。
「近所の、ストーカー殺人……。思い出しました。一ヶ月前、そんなニュースを見た気がします。確か、被害者は直前に警察に通報していて、駆けつけたときには既に……って事件でしたよね? 犯人が捕まったって話は聞かない」
「そういえば、ありましたね。謎に危機感を抱いて、古かった扉の鍵を強化しましたから」
蘭丸と剣也は金村の肩越しに扉を見た。全体的に古い建物には分不相応なほどゴテゴテした鍵が取り付けられている。
金村もちらりとそちらを見るが、
「鍵だけ強化しても扉が薄い木製だったら意味ないだろ。あれじゃ蹴破れるぞ」
「だから言ったじゃないすか蘭丸さん。鍵変えるなら扉も変えましょうって。むしろ扉を変えましょうって」
「面倒くさかったんです」
金村は大きく咳払いをした。この探偵のペースに引き込まれると話が進まなくなる気がしたのだろう。
「話を戻すぞ。葵は事件が起こる前々からストーカーの被害を受けていたようで、友人や警察に相談していた。しかし、被害は徐々にエスカレートしていったらしい。仕事帰りに後を尾けられたり、ポストに気味の悪い手紙を入れられたりな」
「指名手配されているのに、よく調べましたね」
蘭丸が疑問を呈した。金村は気にする素振りを見せず、
「苦労はしたな。だが、ある筋からの情報と、ニュースで仕入れた情報を合わせているだけだ。……事件が起こったのは六月二十四日の午後八時過ぎ。家の窓から不審者を目撃した葵が、相談に乗ってくれていた警察官に連絡をした」
言い方に引っかかりを覚えた剣也が首を捻る。
「相談していた警察官に連絡ってことは、110番ではなかったんすか?」
「ああ。この町の交番に何度か相談しにいったそうだが、一人を除いて相手にしてくれなかったらしい。そのせいで警察に対して不信感を抱いていたらしく、唯一親身になって話を聞いてくれた警察官に直接連絡を入れたんだ」
突然、金村は左手に持つ起爆スイッチを強く握りしめた。剣也は気が気ではない。
「連絡を入れたはいいが、その警察官は非番で寮にいた。彼はすぐに向かうと言ったようだが、時間がかかるのは明白だったため、交番にいる上司に連絡して先に向かってもらったらしい。……その上司が家に辿りついたときには、葵は既にナイフで胸を刺されて殺されていた。犯人と揉み合ったような形跡はなかった。壁に掛かっていた絵画、棚に並んでいた観葉植物や花、床に敷かれていたマットが荒れていなかったようだからな」
金村が懐かしむように天井を仰いだ。
「あいつとは、別に仲がよかったわけじゃない。ガキのころから、国を変えると言っては笑われていた。『赤色の夜明け』として活動をすると決めたときも、馬鹿なことはやめろ、冗談だろうと笑ってきた」
「つまり、真っ当な人だったということですね」
「ちょっ、蘭丸さん!」
あまり刺激するようなことを言ってほしくない剣也がたしなめた。しかし金村はふっと力のない笑みを零す。
「違いない。俺が指名手配されたときも爆笑したらしいからな。あいつが警察に伝えたせいで、ただの顔写真だった俺の手配書に名前がついちまった」
おそらく『赤色の夜明け』が死傷者を出すような集団ならば、金村葵も笑うことはなかっただろう。不殺の集団だったからこそ、彼女はそこそこに気が楽だった。
剣也は苦々しい表情になる。脅されている身ではあるが、少々同情してしまったのだ。彼には三人の妹がいる。その全員とは死ぬほど仲が悪いが、ストーカーに殺されてほしいと思ったことなどない。もし自分が彼と同じ立場になったとしたら、どうするだろうか。
金村はうんざりしたように頭を掻いた。
「お前たちと話しているとすぐ脱線するな。……ここまでの話で、事件についての質問はあるか?」
蘭丸が小さく手を挙げる。
「妹さんは家の中で殺害されていたんですか?」
「そうだ」
「家のどこで?」
「玄関とリビングを繋ぐ廊下だ」
「その廊下の形状と幅と、玄関からリビングまでの距離は?」
「形状は直線で幅は人が二人すれ違えなくもない程度。距離は、三メートルないくらいだな」
「妹さんの遺体の体勢と頭の向きは?」
「仰向けで、頭はリビングを向いていた」
「犯人はどうやって侵入したのか、手口はわかっていますか?」
「ピッキングだ。これはメディアで報道されている」
ここで剣也が思い出したように口を開く。
「確か、二つの鍵穴に真新しい傷跡が残っていたんでしたっけ?」
「ああ。鍵はストーカー被害を受けて新しく強固なものに買い換えたばかりだったらしい。鍵の性質上、合鍵の複製は非常に困難とのことだ」
「二つの鍵穴ということは、鍵は二つつきだったんですね。チェーンロックは?」
「なかった。つけても工具で切られるだけ、とでも思っていたんだろうな。バカが……」
最後の言葉を金村は悔しげに吐き捨てるように言った。
蘭丸がふむふむと頷く。
「事件現場のことは大体把握しました。続きをどうぞ」
「次は容疑者の話だな――」
金村が口を開きかけたそのとき、
「すみませーん。警察でーす。面の騒ぎのことでちょっとお話を伺いたいのですがー?」
扉がノックされると共に事務所にそんな声が響き渡った。