家族と飼い主【解決編2】
「夫が、犯人……?」
犯人から最も遠いと思っていた人物が犯人と知り、喜美子は絶句したようだった。
「脅迫電話を思い出してください。私は最初聞いたときから疑問に思っていたのですが、警察はともかく、どうして社長さんにも話してはいけないのか不思議でしょうがありませんでした。二回目の脅迫電話でも、社長さんの話題が上がりました。その理由は明白で、社長さんに知られたら自分の仕業だとすぐにわかってしまうからだったんです」
社長からすれば、唯一事情を話していた相手なのだ。脅迫電話を知ればすぐに察しがつくだろう。
剣也も困惑しながら口を開く。
「一体全体、社長さんはなんだって飼い猫を勝手に連れ出したりしたんですか? それも一週間も……。事情があるなら、同じ飼い主である喜美子さんにも説明するべきだと思うんすけど」
「まったくもってその通り。そこは明らかな社長さんの落ち度です。尤も、喜美子さんの落ち度とも言えることですが」
「それは、どういう?」
喜美子が納得しかねる様子で首を傾げた。完全に蚊帳の外で行われていた事象に対して、責任があるなどと言われたのだから、それも仕方がないだろう。
「まあそれは後で。今は事件の真相について話しましょう。……社長さんは一週間もバジリスクをどこへ連れ出していたのか。それはですね……動物病院です」
「ど、動物病院!?」
剣也が素っ頓狂な声を上げた。喜美子も口元を抑えて驚いている。
「何だってまたそんなところに?」
「バジリスクが病気だからに決まってるじゃないですか。彼は一週間も動物病院に入院していたのです。雑な主は、片や病院に預けてすぐ海外出張へ向かい、片や事情を何も知らない。知り合いが一人もお見舞いにこず、きっと寂しい思いをしたことでしょう。可哀想に」
喜美子は唖然としてしまっていた。雑な主呼ばわりされたことは耳に入ってこなかった。ただ、入院という言葉を受けて、十年前に他界した自分の息子を思い出していた。
彼女は深刻な表情で身を乗り出し、蘭丸へ顔を近づける。
「バ、バジリスクはどこが悪いの!? し、死んでしまうの!?」
「社長さんに訊いた方が詳しいと思いますが、まあいいでしょう。安心してください。たぶん死にはしません。そして肝心の病名ですが、バジリスクは遺伝性骨形成異常症です」
「いで、こつ、しょ……? え、なに?」
「遺伝性骨形成異常症。まあ骨軟骨異形成症と呼んだ方がいいのかもしれませんが、語感的に前者が好きなのでそっちを使います」
まったくピンときていない様子の喜美子に、蘭丸は呆れのため息を吐いた。
「本当に何も知らないんですね。……遺伝性骨形成異常症は足の骨や軟骨が変形してしまう病気です。関節には触れだけですぐわかるほどのコブができると言われています。気づかなかったのですか?」
「え、ええ……。触られるのを嫌がられるようになってからは、あまりベタベタしていなかったから」
バジリスクに同情するような声音に、蘭丸が若干苛立たしげに頭を掻いた。
「順序が逆ですよ。バジリスクが触られるのを嫌がったのは、病気が悪化して痛みを感じるようになったからです。ボール遊びが好きだったにも関わらず、のんびり過ごすようになったのも、痛くて動きたくなかったからです」
「そ、そんな……。好きなこともできなくなるくらい、痛がっていたなんて」
愕然と、喜美子が涙を流し始めた。
「私、そんなことにも気がつかなかった……。家族失格ね」
「何を仰りますやら。飼い主失格の間違いでしょう」
蘭丸の思わぬ強い口調に、喜美子がびくっと肩を震わせた。
「家族としては百点満点ですよ。泣くほど愛しているのなら。ですが、飼い主としてはゼロ点どころかマイナスです。最低辺のその下です」
唐突な暴言の嵐に喜美子は反応できずにいる。蘭丸は無表情のまま構わず続ける。
「病気に気がつけなかったと言いましたが、いちいち気づく方がおかしいんですよ。遺伝性と言いましたよね? 遺伝性骨形成異常症は先天的な病気。気づくも何も、最初から注意しておくのが普通なんです」
「で、でも、そんなの症状が出てからじゃないとわからないわ」
「わかります。耳折れのスコティッシュフォールドはもれなくその病気にかかっているんですから」
「え!?」
「そもそも軟骨異常のせいで耳が折れているので、患っているのが当たり前なんです。そういう個体を意図的に増やした結果が昨今のスコティッシュフォールド人気です」
「なんか、人の業深さを感じますね……」
剣也が気まずそうに呟いた。
「そうですね。ですが私は、それが倫理的にどうなのかを説くつもりはありません。興味もないですし。ただ、ペットを飼うなら家族としての自覚より先に、飼い主としての自覚を持つべきだと思っているだけです。……喜美子さん。あなた、バジリスクを飼う上でスコティッシュフォールドについて、何一つ勉強していないでしょう?」
「それは……」
言い淀む喜美子に容赦なく蘭丸は言葉を投げかける。
「スコティッシュフォールドを飼ってるのにスコ座りすら知らないのがその証拠です。ちなみにあの座り方も、関節に負担をかけないためにやっているという説が一般的です。……いいですか? バジリスクは家族じゃありません。猫です。猫にも感情はあります。性格もあります。けど猫です。猫は気まぐれと言いますが、人ほどじゃありません。普段と違う行動をし始めたら、必ず何か理由があるんです。もっと、ちゃんと、知ってください」
喜美子は呆然と、しかし力強く頷いた。
「え、えっと、一週間も入院していたってことは、バジリスクは結構重症だったんすかね」
剣也は話題を切り替えるべくやや明るい声音を出した。
「重症は重症でしょうね。普通は薬で痛みを和らげたり進行を遅らせるのですが、入院したとなると、手術で悪化していた部位を摘出するなりの手術を受けたのかもしれません」
「社長さんは、どうして喜美子さんにそのことを伝えなかったんすか?」
「それは――」
そのとき、事務所の扉が開いた。
「それは私から説明しよう」
入ってきたのは白髪混じりの髪に立派なヒゲを蓄えたスーツ姿の男性だった。
男の登場に喜美子が目を丸くし、蘭丸が立ち上がって頭を下げた。
「わざわざこんな辺鄙なところにきてくださり、ありがとうございます。芹澤社長」
「えええ!?」
剣也は事件の当事者の登場……ではなく、大企業の社長が前触れなくこの腐りかけたビルの一角に現れたことに衝撃を受けてしまった。
「実はあらかじめ呼んでおいたのです」
したり顔で言う蘭丸の耳に剣也は口を寄せる。
「どうやって呼んだんですか?」
「普通に会社に連絡しました。探偵ですが飼い猫のことで奥様から依頼を受けまして云々と」
「それでよく電話を繋いでくれましたね」
「ね」
蘭丸もびっくり。
喜美子は立ち上がって正久と向き合う。大企業の社長は申しわけなさそうに顔を背けた。
「すまなかったな喜美子」
「あなた、どうして黙っていたの……?」
「お前が……順一を亡くしたときのようになるんじゃないかと思ってしまったんだ。息子同然に愛しているバジリスクが、先天性の病気だと知ったらな」
剣也は思い出す。息子は生まれつき心臓が悪かったと喜美子は語っていた。つまり、先天的な病気だったのだ。そしてバジリスクもまた……。
喜美子は目を見開いて驚いている。
「最近のバジリスクの様子がおかしかったから、知り合いの獣医に相談してみた。そのとき、スコティッシュフォールドの病気のことを知ったんだ。バジリスクは重症かもしれないという話だったから、海外出張へ行く前に密かに連れ出して、その知り合いの動物病院で話を聞いた。薬でどうにかなるくらいだったら喜美子にも事情を話すつもりだったが、そうでもないらしくてな……。事前に話だけしておいた真田に連絡して、喜美子がパニックに陥ってトラブルを起こすかもしれないから宥めてくれと頼んだんだ」
おそらく、その事前の話の時点で面倒なことになる予感がしていた真田は、今回の計画を立て、音声を作っておいたのだろう。そして、正式に頼みをされたとき、実行に移すことを決めた。
正久は小さくため息を吐く。
「真田への頼みは、別に社長命令ではなかったんだ。昔からの友人としてのお願いのつもりだったんだが、会社が大きくなるにつれて私たちの関係も変わっていってしまったのかもしれないな」
真田を責めているというより、自分たちのことを憂いているようだ。会社の成長とともに社長である正久は大きな存在と化していった。正久が昔と同じように接しても、真田はもう昔のようには思えなかったのだろう。
「あいつにはまあ、色々と話しておかないといけないな。謝る必要もある」
肩をすくめる正久に、喜美子は詰め寄った。
「バジリスクは、大丈夫なの?」
「今後は鎮痛剤を使う必要があるが、命の問題はないとのことだ」
「よかった……。治るのね」
「いや、それは……」
正久が言葉を濁した。蘭丸はため息を吐き、
「治りませんよ。遺伝性骨形成異常症は完治しない病気です。そういう遺伝子なんですから」
「そ、そんな……」
顔を伏せる喜美子に、蘭丸は続ける。
「人の手で生み出された生物は、人の手がないとすぐに死んでしまいます。愛情を注ぐだけでなく、あらゆる方法でそういうペットを生き長らえさせるのが、飼い主の務めなんですよ。ペットからしたら、愛情より生の方が大事なんですから」
飼い主二人は気まずそうに互いを見つめ合うのだった。
◇◆◇
「蘭丸さんって、ペット飼ったことあったんですか?」
二人が帰った事務所にて、剣也がミネラルウォーターを飲みながら尋ねた。
事務机でスマートフォンをいじっていた蘭丸が顔を上げる。
「どうしたんですか、急に」
「いや、随分と熱い説教だったなと」
「説教のつもりではありません。一般論を言っただけです」
「で、どうなんすか? ペット」
しつこい剣也に蘭丸は鬱陶しげに顔をしかめる。逡巡する間を置き、
「ペットは飼ったことありません。ただ、小学一年生のとき、遠足の途中でクラスが捨て猫を拾ったことがあったんです。子供の前で保健所へ報告するのはどうなのかという話になり、猫の引き取り手が現れるまでクラスで面倒を見ることになりました。私もよく面倒を見ていたのですが、あるとき、美味しいものを食べさせれば自分に懐いてくれるんじゃないかと考えた蘭丸少女は、給食に出てきたハンバーグの一部を密かにその猫にあげました」
「可愛いところあったんすね。……ん? でもハンバーグってタマネギ入ってますよね。猫や犬にはNGだったような」
蘭丸はスマートフォンを机に投げ出して頭の後ろで両手を組んだ。遠い過去を思い出すように視線を天井へ向ける。
「その通りです。私が食べさせたハンバーグがきっかけで、猫は死んでしまいました。クラスのみんなはとても悲しみ、その中でも特に様子のおかしかった私を見た担任の先生が、話を聞きにきました」
誰もいなくなった夕暮れの教室で、蘭丸は泣きじゃくった。私は何も知らない。何もしてない。どうして死んだのかもわからない。そんな少女に、先生は優しくこう言った。
「知らないのは罪ではありません。ですが、知ろうとしないのは罪です。実際にはもっとわかりやすくて柔らかなニュアンスでしたけどね。……私の人格形成に大きな影響を与えた言葉です」
「ふぅん。何となく喜美子さんにキレた理由がわかりましたわ」
「別にキレてはいませんよ」
蘭丸は眠そうに大きなあくびをすると、再びスマートフォンを手に取った。気まぐれに『グッドジョブサーチ』を覗くと、
「あ、評価が増えてる」
詳細を確認する。
『困ったことが起こったら相談してみると良いかと思います。探偵さんは間違いなく優秀な方で、全ての謎を解決してくれるはずです。ただ、謎解きはしてくれましたが、よくよく考えてみると探偵さん自身は何もしていないので、星は4つです』
蘭丸がムッとする。
「やったでしょう! 五十万円払うのとめたじゃないですか!」
「どうしたんすか急に」
「いえこっちの話です」
確かに自分が関わらずとも解決してそうな案件ではあったが、微妙に納得できない蘭丸であった。




