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月代探偵事務所物語  作者: 赤羽 翼
バジリスクの身代金
10/12

家政婦とバジリスク


「家政婦さんたちを雇い始めたのはいつからなんですか?」

「三年前よ。大学を卒業しても就職せずにダラダラしていた姪の恋を、義弟おとうとが家事の手伝いをしてこいとうちに放り込んだのがきっかけです。私の気持ちが少しでも晴れるようにと、夫が無駄に大きく建てた新居だったので助かりました。それでもあの子一人じゃ色々と行き届かないところ多かったので、二年前の……バジリスクを飼い始める三ヶ月前に桜木さんを雇いました。何しろ、伝説の家政夫という触れ込みだったので、夫が興味を持ったみたいです」


 つらつらと話していた喜美子の言葉の一部に、剣也は顔をしかめた。


「伝説の、家政夫……? さっきもそんなようなことを言ってましたよね」

「ええ。いくつもの名家を渡り歩いてきたと有名らしいわ」

「なんか胡散臭いっすよ」


 喜美子は彼のつっこみをスルーし、


「そして一年前、友人から紹介された松野みどりちゃんを、彼女の境遇に同情した私が夫に話をつけて雇いました」

「境遇、といいますと?」


 蘭丸が興味深そうに尋ねる。


「服飾の専門学校を出てファッションデザイナーになるのが夢だったのだけど、頭の良い弟さんの大学入学への負担になるのを避けるために、夢を諦めて地元の企業に就職したの。けど、そこの上司から受けたセクハラのストレスで体調を崩してすぐに辞めてしまって……。話してみたらとっても良い子だったから、働いてもらうことにしたの。まだ二十歳なのに、よくできた子よ」


 松野みどりを語る喜美子は非常に熱かった。

 自分の同い年なのに偉いなあ、と剣也は顔も知らぬ女性に思いを馳せた。家族の負担にならないように夢を諦めて汗水流して働く。それに対して自分はどうだ。学費は親に甘え、謎の探偵事務所に入り浸り、課題のレポートを後回しにして猫を誘拐した犯人を突き止めようとしている。酷い話だ。


「うーん……動機が一番ありそうなのは、そのみどりちゃんさんなんですよね」


 蘭丸が申しわけなさそうに呟いた。喜美子は大きく目を見開く。


「あなたはみどりちゃんが犯人だと言うんですか!?」

「い、いえ、か、可能性の話です」


 小指一本分くらいまで顔を詰められた蘭丸が宥めるように言った。


「まだ夢を諦めていないのなら、お金を欲してもおかしくないかと……」

「でも蘭丸さん。五十万ぽっちで学費足りるんすかね?」

「貯金も合わせれば足りると踏んだとか」

「でも今七月っすよ? 仕事の給料については下世話なんで訊きませんけど、五十万なら頑張れば三月までに貯められると思います。今リスクを背負う必要はありません」

「まあ、言われてみればそうですね」


 喜美子が大きく頷いた。


「そうなのよ! それにみどりちゃんには、まだ夢が諦められないのなら自分たちに学費を頼っていいと夫とともに話しているんです。本人は申しわけないと断りましたけど、脅迫してお金を得る必要なんてないわ!」


 松野みどりには金銭的な動機はなかった。そもそも喜美子の可愛がりようから察すれに、五十万円ならば脅迫せずとも頼めば貸してくれそうである。


「では、上杉恋さんはどうですか? お金とか、欲してそうですか?」

「あの子のことは、よくわからないわね。けど、お金にはあまり執着がないように思う。あの子にはお小遣いの延長線上の給料しか払ってなくて、『もっといらないの?』って何度か訊いたけど『別にいい。大丈夫』としか言わないから」

「もったいない……。でもそれなら、わざわざ脅迫する必要もなさそうですね」

「当たり前です。そもそも、夫は恋に甘いので、あの子が欲しいと言ったものは何でも買ってあげています」


 おそらく上杉恋が給料を欲しない理由はそのためだろう。色々買ってもらえる上で自重しているということだ。


「じゃあ、伝説の家政夫さんは、どうですか?」


 剣也が何とも言えない表情で尋ねる。


「桜木さんは……おそらく違うでしょうね。だって伝説の家政夫と称されるほどの方ですもの」

「称されているのか称しているのかにもよると思いますけど……」


 剣也のつっこみはまたしても何処へ消えた。気まずい雰囲気を蘭丸は咳払いとともに流し、


「真田さんからの家政婦さんたちの印象はどうですか?」

「わ、私ですか? えっと、全然知らないんです。今のお宅になってからはほとんどお邪魔していないので……。話は社長から聞いていましたが、姪子さん以外には今朝初めてお会いしました」

「そういえばそうだったわね。みんな『誰?』みたいな反応をしていたかしら」

「ということは、真田さんはバジリスクも見たことないんですか?」

「はい。社長が見せてくれた写真で何度か拝見したくらいで、実物は……」


 喜美子が何か思いついてポンと手を叩き、


「あ、夫が犯人ということはないの?」

「それは可能性三つ目ですね。今朝出かけるついでに社長さんがバジリスクを連れ出した」


 蘭丸は一応頷いたものの、すぐに剣也がやや呆れながら首を振った。


「自分の飼い猫盗んでどうするんすか。そもそも、社長さんこそ五十万円いらないでしょう。自分の金だし、掃き捨てるほど持ってるでしょうし。そもそも機内じゃ電話をかけられない」


 さっきまで金銭的な動機について考えていたのだ。その点では、最も犯人になり得ないのが芹澤正久である。

 喜美子はうっかりしたような笑みを浮かべた。


「ああ、言われてみればそうですね」


 おそらく家政婦の中に犯人がいると思いたくないのだろう。だからといって夫を疑うのもどうかという話だが、逆に正久が犯人ならばこれは事件ですらない家庭の問題ということに収めることができる。

 蘭丸は腕を組んでバジリスクの写真を見つめていた。しばらく続いた事務所の静謐を彼女が破る。


「バジリスクは、どういう子でしたか? 性格や特徴といいますか」


 剣也は蘭丸の思考回路を理解した。金銭的な理由ではなく、猫そのものに何かしらの事情があって攫われたのではないかと睨んでいるのだろう。脅迫は本来の予定ではなかった、と。

 喜美子は自身の頬に手を添える。まるで子供を自慢する母親のような口調で、


「性格はかなり甘えん坊な子だったわね。誰にでも構ってもらいたがっていた。……けど最近は、反抗期って言うのかしら? 誰かが触ろうとすると嫌がってしまって、寂しいわ。まあそんなところも可愛いのだけど。ボール遊びが好きで、一人でもよく構っていたわ。でも最近はソファでのんびり過ごすのがお気に入りみたいね。他の特徴としては、そう。あまり鳴かない子よ。けど、たまに聞こえる鳴き声がとってもキュートなの。あ、そうそう」


 彼女はスマートフォンを軽く操作して、その画面を蘭丸と剣也に見せつけた。


「これ見てください。とっても可愛いでしょう?」


 画面に写っていたのはバジリスクがソファに背を預け、足を真っ直ぐ伸ばしで脱力したように座っている写真だった。


「なんか人間みたいっすね」

「スコ座りです。スコティッシュフォールドがよくやる座り方ですね」


 剣也と蘭丸が口々に述べた。喜美子が興味深そうに画面を自身に向ける。


「へぇ。これってバジリスクが特別ってわけじゃなかったのね」


 蘭丸はしばし顎に手を添えて思案し、


「家政婦さんたちはバジリスクにどう接していましたか?」

「みどりちゃんはとびきり可愛がっていたわね。恋は甘えられたら構っていたけど、普段はあまり気にしていなかったわ。桜木さんは……猫アレルギーだから近づくことはなかった。嫌ってはなかったと思うけど」

「社長さんは?」

「みんなの前で可愛がることはしなかったけど、恋が人目のないところで戯れているのを密かに目撃していました」


 蘭丸は唸り声を上げながらバジリスクの写真を見つめた。いくつか思いついていることがある。ピースも大凡揃ってはいるが、まだ絞り込めない。余分なピースが混じっているからだ。

 そのときだった。喜美子のスマートフォンが再び鳴り始めたのだ。


「そういえば、金の受け渡し方法は後で連絡するって犯人の奴言ってましたね」


 剣也が思い出したように呟いた。喜美子の表情が引き締まる。蘭丸が頷き、彼女はスマートフォンを手に取った。


「もしもし」

『現金は用意したな? 今から指示を出す。言う通りにしてもらおう』

「ま、まずバジリスクの声を――」

『駅前の赤いベンチの下に鍵を隠しておいた。その鍵を持って十二時までに、ヘラクレスジムというスポーツジムへ向かえ。人選は誰でも構わないが、全て一人で行うことだ。……そのジムの男子更衣室の十三番ロッカーを鍵で開けて、五十万円を放り込め。鍵は観葉植物の鉢植えの下に隠しておけばいい』

「ヘラクレスジムの、男子更衣室、十三番ロッカーね」

『ヘラクレスジムは会員しか入れない。会員の知り合いに頼むか、見学したいとでも言って中へ入れてもらうんだな』

「わかったわ。それで、本当にバジリスクを返して――」

『猫が返ってきても、このことは旦那さんや警察には言うな。こちらは()()()()お宅の猫に手を出すことができるのだからな。話は以上。もう話すことは何もない。猫が心配なら言う通りにしろ。じゃあな』


 通話が切れた。剣也が思い出すかのように天井を仰ぐ。


「ヘラクレスジムって、国道沿いにあるスポーツジムだったかな。駅から遠いですよ。徒歩じゃ厳しい。こっから駅もそこそこありますし」


 途端に喜美子が現金の入った封筒を握り締める。


「そ、そこへいかないと。もう三十分しかないわ! 真田! これを持っていってちょうだい! 駅の赤いベンチの下、ヘラクレスジムの男子更衣室の十三番ロッカーよ! 急いで! 法定速度を無視する勢いでお願い!」

「え、ああ、はい!」


 封筒を押しつけられた真田は困惑気味に頷くと、尻を蹴られでもしたかのように勢いよく事務所を飛び出していった。


「大丈夫なんすかね?」


 剣也が心配そうに蘭丸を見た。彼女は何も答えない。電話の切れたスマートフォンに注視し、凄まじい集中力でもって頭の中の情報を整理していたからだ。

 そして、蘭丸が口を開く。


「喜美子さん。今すぐ真田さんを呼び戻してください」

「え?」

「それから、今後、犯人の脅迫は全て無視しましょう」


 驚愕の提案に喜美子は思わず目を見開いた。


「な、何を言っているの! そんなことしたらバジリスクが――」

「大丈夫です」


 蘭丸はにやりと笑って力強く頷く。


()()()()()()()()()()()()()()()()()。心配せずともちゃんと帰ってきます。そう、一週間後くらいにはね」


 喜美子も剣也も、唖然とすることしかできなかった。

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