成長記録 厄災の霧と邪視の瞳~翌日
まだ日も昇りきらない、薄暗い庭。足元に魔具の明かりがほんのりと灯る。
外はまだ雪が積もっているが、温室には季節はなく、色とりどりの花が咲き乱れている。
ぼんやりと開く花を眺めていると、温室の扉が開き、騒がしい声がする。
「早いな!」
「おはようございます。陛下」
グランフェルノ公爵は花からそちらへ視線を移した。
国王は相変わらず悪戯っ子のような笑みで、軽く片手を上げた。
「こんな時間しか取れなくて、すまんな」
「お時間を取って頂けただけで有難く存じます」
公爵は軽く頭を下げる。
筆頭貴族からの面会の申し入れだ。普段であればすぐに時間を作るが、公爵は出来るだけ人に知られないことを望んだ。そうなると、昼間は難しい。
国王は肩を竦める。
「個人的なら、夜でも良かったんだが?」
「早く帰らねば、末息子が寝てしまいますので」
「…俺と子供と、どちらが大事なんだ」
「王家の存亡の危機でもない限り、子供たちです」
「子煩悩め」
「それは陛下もでしょう?」
悔しがる国王に、公爵の表情も緩んだ。しかし一瞬でそれも消える。
ふうっと公爵が息を吐く。国王から花へ、再び視線を戻す。
「レグルスが【邪視の瞳】を発現させました」
国王がポカンとして公爵を見つめる。公爵は横目でそれを確認して、そっと花弁を撫でた。
「紛れもなく、私の母と同じ、邪気を見ることができる眼です。妻と息子たちには話しました」
「まてまてまて!今までそんな素振り一切見せなかったじゃないか!」
「発現したのは昨日の朝です。レグルス自身、今までそんな物は見えなかったと証言しています」
国王が頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
国王の反応も尤もだ。レグルスがあんなに取り乱したりしなければ、公爵も同じような行動を取っただろう。
あんなに泣くから、頭が冷えた。
ふっと公爵は笑った。
「昨日の朝は大変でした。泣いて喚いて、暴れて…早めに仕事を切り上げて家に帰れば、まだ泣いておりました」
「泣く?あの子が?」
「ええ。我が家はどうも邪気塗れだったようで。朝は手で払っても払えない邪気に怯えて、その後は……」
公爵は昨日の様子を思い出し、また顔を顰めた。
国王が立ち上がる。
公爵が昨日邸で起こった事を話した。グランフェルノ家に災いをもたらす呪具が埋められていたこと。その中から獣のアンデッドが現れて討伐したこと。箱の中には数年前行方不明になった分家の子供の遺体が一緒に入れられていたこと……
レグルスには対処も教え、子供たちにも秘匿するように言いつけたが、どこからどう漏れるかはわからない。
国王が不機嫌そうに顔を歪めた。
「…最近、あの家もまた騒がしくなってきた」
「はい」
「お前の子を王家の血を守る盾にする。許せ」
「それがグランフェルノの役目にござりますれば」
幼くても筆頭貴族の家に生まれた以上、役目は果たさなければならない。
何もなければいい。何もないまま成長して、大人になったらやりたい事をやりに、行きたい所へ行けばいい。貴族の三男など、所詮その程度の存在だ。何もなければ。
それがもう夢物語にすらならないことを、知っていても尚。
苦い表情の国王に、公爵は毅然と顔を上げる。
「陛下と殿下はまずご自分の身を案じなさいませ。それで我が子らは十分守られます」
国王が溜息を吐いた。
温室の扉が開いた。外は明るくなりつつある。入って来たのは国王が信頼する近衛兵だ。
「陛下、お時間です」
「おう」
国王はすぐさま踵を返す。
忙しい人だ。会話の余韻に浸る暇もない。
「陛下」
その背を公爵が呼び止めた。国王が足を止めて振り返る。
「王妃殿下の行方はご存知でしょうか?」
「それは俺が一番聞きたいな!」
「…失礼いたしました」
自棄くそな答えに、公爵は生真面目に頭を下げた。
近衛の苦笑いと共に国王が去ると、公爵は天を仰いだ。
「さっさと帰ってくればいいものを…役立たずが……」
公爵の呟きを聞くのは美しい花々のみだった。