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幼年期 9.歓喜の陰~直後





 無意識に寝返りを打ったレグルスは、体を覆う柔らかな感覚に目を開けた。

 いつもより低い位置にある天井。美しい文様が描かれている。


 ――ここはどこ?


 ぼんやりと視線を巡らせると、隣に大きな影があった。その向こうから仄かな光が漏れている。

 薄明かりに青銀色の髪が煌めく。


「にい・さ・ま?」

「ん?」


 掠れた声で呼びかければ、影がこちらを向いた。

 それと共に光が動く。魔具ではない、魔法の灯り。小さな光の玉が兄の周りをふよふよと漂っている。

 目の周りをこする。


「お・は・よー?」

「まだ夜中だよ。もう少しお休み。それとも、お腹が空いたかな?」


 兄が頭を撫でてくれる。

 そういえば、最後に食事をしたのはいつだったか。

 彼はいつも食事を半分に分けていた。一度目は運ばれてきた直後。二度目は夜が明けてから。

 いつも食べていた時間とは違うから、それほどお腹は空いていない。


「おぉ・み・ず、ほ・しい・で・す」

「喉が渇いた?」


 こくりと頷くと、兄は枕元のテーブルから水差しを取った。グラスに移す間に起き上がる。

 兄はレグルスがグラスを落とさないよう、慎重に手渡した。水を飲む際も小さな体を抱えるようにして、手を添える。

 グラス半分ほどの水を飲み干して、レグルスは大きく息を吐く。そして改めて辺りを見回す。

 自分がいるのは、ふかふかの寝台の上らしい。天井が低いと思ったのは、ベッドの天蓋だった。

 助け出されたのだ。ここはあの石造りの部屋ではない。

 レグルスは布団を撫でた。シーツはサラサラで、肌触りも滑らかだ。次に枕を軽く叩く。ふんわりとした感触の枕は、押せば戻ってくる。

 ここは王宮だが、以前はこんな布団に包まれて眠っていた事を、朧気に思い出す。

 傍にあったクッションを抱きしめる。すると、頭上から笑い声が降ってきた。


「気持ちいい?」


 兄の問いに、レグルスは小さく頷く。


「そう。お腹は空いてないって言ったけど、少し何か食べようか。美味しいものも久しぶりだろう?」


 提案に、レグルスは素直に頷いた。

 呼鈴が鳴り、現れた侍女に食事の支度を頼む。

 兄がベッドから降りるので、続いて降りようとした。すると、慣れない高さのせいか、着地した途端転んだ。幸いにも床には毛足の長い絨毯が敷かれていたため、痛いということは無かったが。


「大丈夫?怪我は?」


 慌てた兄が助け起こしてくれる。ふんわりと兄からいい香りが漂ってくる。


「次は踏み台を用意するから。一人で降りないこと」

 

 少々きつめに言われて、レグルスは頷く。そして兄に抱き付いた。石鹸だろうか、漂ういい香りが心地よい。

 兄は小さく笑って、レグルスを抱き上げる。


「甘えん坊さんだな。困った困った」


 ちっとも困ったように聞こえない調子で言って、レグルスを隣りの部屋に連れていく。

 隣の部屋では、準備が整えられていた。レグルスの丈に合う椅子がないので、幾つかクッションを重ねた上に下ろされた。

 侍女が眉を下げる。


「スープとパンのみで恐縮なのですが……」

「構わない。それほど食べられるわけではないだろう」


 一日に与えられていた食事量を考えれば、平均的な一人前さえ食べられるかわからない。

 レグルスは目の前に置かれたスプーンを取り、くるくると回して眺めている。食事が楽しみというより、これは何だろうという雰囲気だ。

 やがて運ばれてきたのは、野菜のスープと白いパンだ。スープの野菜は細かく刻まれ、またよく煮込んであるため原形を留めていない。何か入っているという状態だ。

 目の前に置かれたそれを、レグルスはやはりじっと眺めていた。ホカホカと立つ湯気が邪魔そうで、時折手で払っている。


「温かいうちにおあがり」


 兄に促され、レグルスはスプーンを置いた。そしてパンを取ると、おもむろに千切ってスープの中に入れ始めたのだ。


「レグルス!?」


 焦った兄が立ち上がる。

 レグルスは手を止めて、兄を見上げた。無表情ながら、キョトンとした様子がうかがえる。

 兄はしばし固まった後、状況を悟った。レグルスにとって、パンはそうしなければ食べられないものなのだ。

 ぐるりと回り、レグルスの隣に屈む。


「これはね、そのままでも食べられるんだよ」


 新しいパンを半分に割る。そしてつまんだ指で、軽く押した。


「ほら。ふわふわだろう?これは柔らかいから、このまま食べても美味しいよ」


 レグルスは自分が握っていたパンに目を落とす。それはすっかり潰れていた。

 兄が苦笑いをこぼす。


「潰して食べるのが好きっていう人も、たまにいるみたいだけどね。試しにこれを食べてごらん」


 そう言って、半分に割ったそれを渡す。

 レグルスは掌に乗せられたそれをしばらく見つめていた。やがてそっとつまむと、口に入れる。それから目を見開いた。

 生まれて初めて食べたもののように、もくもくと咀嚼する。あっという間に半分を食べ終えると、握りつぶしてしまったパンに目を向ける。スープとそれの間で視線を彷徨わせ、それも口に入れた。無表情だが、それもお気に召したようでもぐもぐと口を動かしている。

 兄はほっと息を吐く。


「スープに浸して食べるのもいいけれど、投入しちゃだめだよ」


 レグルスは素直に頷く。そして今度はスープの入った器に両手を伸ばした。

 やっぱりというのが、その場にいた全員の正直な感想だ。スプーンを理解していなければ、必然的にこうなるだろう。

 レグルスは両手で器を持つと、直接口をつけて飲み始めたのである。

 浅いスープ皿ではなく、ボウルのような深い器だったのが幸いか。

 連絡を受けた料理長が、提供する際は大きめのカップか深皿にというという指示を出していたなどと、兄は知る由もない。

 レグルスが一度皿を置くのを待って、今度はスプーンの使い方を教える。

 レグルスは細い指でスプーンを握りこむと、スープを掬った。だが、口に運ぶ前に全てこぼれてしまう。首を傾ける。もう一度挑戦するがやはりこぼれて、口の中にスプーンを入れる頃には何も無くなってしまう。


「スプーンはこう、水平にしないと、こぼれてしまうからね。でも少しずつ慣れればいいよ。お行儀悪いけど、お皿に顔を寄せて食べればいいよ」


 レグルスはしばらく考えた後、握ったスプーンを器に突っ込んだ。器を傾け、音を立ててスープをすする。時折スプーンを動かして、具をかき込んでいるようだ。

 最後はやっぱり器を持って、全てを流し込む。ぷはっと満足げに息を吐いた。


「ごぉ・ち・そぉ・さ・ま・でぇ・し・た」

「お腹いっぱい?」


 レグルスは頷く。器を置いて、ふと自分を見れば、寝間着が汚れている。

 辺りを見回せば、汁がたくさん飛んでいた。


「すぐにお着替えをご用意いたします」

「…ご・め・ん・な・さ・い……」

「いいえ。お待ちくださいませ」


 レグルスは服を摘まんで見下ろしている。こぼしたスープが染みを作っている。

 ほどなくして新しい寝間着が持ってこられ、レグルスは汚れた服を脱がされた。ついでに体も軽く拭かれる。

 綺麗な寝巻に着替え、再びベッドに横になれば、大きな欠伸が漏れる。兄の手が伸びてきて、決して抱き心地がよくないだろう体が抱き込まれた。


「お休み、レグルス」

「お・や・すぅ・み・な・さぁ・い」


 暖かいものにレグルスは目を細めた。そのまま重い瞼が下りてしまって、笑ったことには気づかれなかった。

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