消しゴム戦争【先攻】
これは、何事にもネガティブな男の子が
ひとりの女の子と出会って成長する物語です。
関東甲信越地方に梅雨入り宣言が出されて2週間経ったある雨の日、釜無高校1年3組の《赤坂 大》はこの日の天気と同じくらい憂鬱な気分で3時限目の授業を受けていた……そう、ボクのことだ。
高校デビューに失敗した。「大」と名付けてくれた親の期待を裏切る147センチという低身長がコンプレックスだった。そのコンプレックスがそのまま陰キャで人見知りな性格になって、中学時代は周囲に馴染めずにほぼ「ぼっち」状態。友達といえばオタク友達が1人いるだけだった。
特に異性に関しては縁が無かった。2次元趣味だが別に3次元女子に興味がないワケではない。でも、どう接していいのかが全くわからなかった。
そこで高校入学を機に自分を変えようと心機一転、「新しい自分」で華々しくデビューする予定だったが……。
だが現実は残酷だ。所詮は田舎の公立高校、約3分の1は同じ中学出身者……こんな場所で突然キャラ変したところで、中学時代のボクを知っている者が約3分の1いるわけだからすぐに正体がバレて鼻で笑われるのがオチだ。
案の定、入学して3ヶ月が経った今でも男女通して新しい友達はできず、男子とは何人か軽く話をした程度で、女子に至っては会話どころかその人の声すら聞いたことがないレベルだ。
そんなボクにも唯一、会話……というか口をきいたことがある「女子」がいるにはいる。それは……
――ボクの《右隣の席に座っている人》だ。
でも、実際は席が隣り合っているため、日直が2回ほど同じ組み合わせにされてしまった……というだけ。会話といっても内容は日直に関すること……つまり業務連絡的なものだ。
しかもこの人に関してはあまり良いウワサを聞かない。何人かの男子が話していたが、この《右隣の席の人》は女子にはとても愛想がいい反面、男子に対してはやたらと威圧的な態度をとってくるらしい。
身長はボクと同じくらい小さいのに誰かれ構わず歯向かっていくので、一部の男子から陰で「ラーテル」というあだ名で呼ばれているそうだ。ラーテルとはコブラやライオンにも噛みついていく世界一怖いもの知らずの動物だ。
そういえばこのラーテル……じゃなかった《右隣の人》は以前、休み時間に数人の女子とボクの方をチラ見しながら何やら話が盛り上がっていたかと思うと、その後いきなり読書中のボクの方にやって来て……
「ねえ、ア……アンタ誰か付き合っている人いるの? いないよねー!?」
と、例の威圧的な態度で聞いてきた。
――えっ何? それっていわゆる「罰ゲーム」ってヤツだよね?
たぶんゲームか何かで負けた人が、クラスで一番キモいヤツに好きな人がいるか聞いてくるっていう……そりゃ見ればわかるでしょ、いないことくらい。
態度もデカいし、どんな回答をしても惨めな結果になりそうなことは目に見えてるので、ボクは読書に集中して聞こえていないふりをしていた。
――正直、友達は欲しいがこの《右隣の人》だけは関わりたくない。
ああ、早く卒業してこの不毛の高校時代を終わらせたい。クラス替えをしてこの人と離ればなれになるだけでもいい。その前に席替えをして少しでもいいから距離を置きたい。せめて1日でも早く夏休みになってこの状況から解放されたい……。
頭の中でネガティブワードを次から次へ巡らせているとき、事件が起きた。
ボクの席は窓際の中間あたりにある。黒板を右に見なければならないので、どうしても《右隣の席》が目に入ってしまう。
ボクが苦手な《右隣の人》はどうやら左利きらしく筆記具を机の左側に置いているのだが、その机の縁から消しゴムが半分ほどはみ出していた。
何か落ちそうだなぁ~っと眺めていた次の瞬間、《右隣の人》がノートか何かの位置をずらしたはずみで、消しゴムが落ちた。
ん? どこに落ちたんだろ? と足元を見た瞬間、ボクの心の中の戦争が……
【開戦】
――え?
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?
――なっ何で?
何で《右隣の人》の消しゴムがボクの……
上履き(足の甲)に着地しているのぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?
こっこれはマズい! こんなボクみたいな陰キャキモヲタの足に触っている時点でえんがちょ案件だ。ただでさえキツそうな性格の人だから、この状況を見られたら「何でアンタが持ってんの泥棒!」とか「触んないでよキモいなぁ~」とか「これもう使えんじゃん、弁償しろ!」とか不条理な罵声をイヤというほど浴びせられるに違いない。
――怖いよおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 耐えられないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
そっそそそそうだ! とっととととりあえずこの足にのった消しゴムをどうにかしなきゃ……でも、どうしたらいい? このまま拾う?
でもそうすると完全にボク=キモヲタが触ったことが確定するから、見つかり次第この消しゴムはゴミ箱行きだよね?
あぁ消しゴムさん、なぜよりによってボクの足の上に? ボクがリア充イケメンだったら逆に恋愛フラグでも立ったんだろうけど……ごめん、こんなブサメンで。
――でも、まだ《右隣の人》は気が付いてないみたいだ。
そうか! だったら足をブランコのように振って、勢いで消しゴムを前の席あたりに落とせばいいんだ! そして他の人に拾ってもらえば捨てられずにまた使ってもらえるに違いない!
よし、やろう……せーの!
…………(不安と恐怖で葛藤中)
やっぱりできないよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
もしボクが消しゴムを振り落とした瞬間を《右隣の人》や他の誰かに見られてしまったら? 絶対に「カースト最下層の分際で上層の消しゴムを拾わず、あろうことか前方に振り落とすという非情で身の程知らずなチビ陰キャ」と即、認定されてクラス……いや、学校中に広められ全員から軽蔑され白い目で見られ卒業までハブられるのは確実だ!!
そんなのイヤだぁあああああああああああああああああああああああああああ!
ならば……ボクが汚物扱いされてでも拾っておこう! まだ拾ってあげれば例え0.00000000001パーセントでも感謝される可能性があるかもしれない。だけど振り落とした瞬間を見られたら100パーセント嫌われるのは間違いない。
とりあえず気付かれないようそっと右足を持ち上げて拾わないと! 消しゴムを落とさないで足を持ち上げようとするとキツい体勢になってしまう……イテテッ!
……
ふぅ、何とか拾ってみた。さて、これからどうやってこの消しゴムを渡す?
《右隣の人》の肩をトントンとたたいて「消しゴム落ちたよ……」
――ム・リ・で・す・!
普通の人ならそれでもいいけど、ボクは絶対的な陰キャキモオタスクールカースト最下層。ボクの階層なら肩をトントンとしただけでもアウトだ。病原菌をうつすようなものだ。消しゴムもそのままティッシュか何かに包まれゴミ箱行きだ。そもそも「女子に話しかける」などという行為自体ボクには無理ゲーだ。
かといって消しゴムを放り投げて《右隣の人》の机にナイスオン……なんてそれもムリ。うまく机の上にのせられる自信もないし、第一もし放り投げた瞬間を見られたら「ずいぶんフザけた返し方すんじゃねーか!」と睨まれボコられ……あぁ終わりだ殺される。
やはり最も危険回避できる渡し方は「誰にも気付かれないようにそーっと机の上に置いておく」だろう。
拾ったのがボクだと気付かれなければ消しゴムも捨てられずに済むし、そもそも落としたという事実も無かったことにできる。
万が一見つかった場合でも、消しゴムはゴミ箱行きの犠牲にはなるが一番被害を最小限に抑える方法のはず……よしっ決行だ!
――ん?
消しゴムとケース(カバー)の境目のところに、緑色のペンか何かで書かれた線が見えるが……何だろコレ?
いやダメダメダメダメッ! ボクが触っているだけで許されない行為なのに、勝手にケースを外して見るなんてとんでもない大罪だ。だいたいそんなのを見たところで何になるというのだ?
改めて作戦決行! 消しゴムを右隣の席にそーっと……
「「あっ!?」」
しまったぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
その《右隣の人》と目が合ってしまい、思わず2人同時に声が出てしまった。
思った通りだ! 《右隣の人》はボクの顔と、持っている消しゴムを見るなり凄まじい勢いで顔が青ざめてしまい、まるで汚物か世界の終わりでも見るような表情になってしまった。その表情があまりにも怖かったのでボクは思わず目線をそらすように下を向いてしまった。
うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!
ゴメンなさいゴメンなさい! ボクみたいな陰キャキモヲタスクールカースト最下層がアナタ様の消しゴムを拾ってしまってゴメンなさい! その消しゴムはえんがちょ対象物だからゴミ箱に捨ててくださぁああああああああああああああい!!
ゴメンなさいゴメンなさい! 消しゴムメーカーの皆さんゴメンなさい! ボクが触ったせいで大事に大切に作った消しゴムがほとんど使われないまま捨てられてしまいます本当にゴメンなさぁああああああああああああああああああああい!!
こうなった以上「直接《右隣の人》に消しゴムを渡す」という選択肢しか残らなくなってしまった。怖い……でも、これを渡さなきゃダメだ!
「あっあの……これ落ちました……」
3次元女子に話しかけるなんて、ボクにとってアイテム無しでラスボスに挑むようなものだ。どんな反応しているだろうか? ゆっくり顔を上げて様子を……
ひっ……ひええええええええええええええええええええええええええええっ!!
怒っている……間違いなくあの表情は怒っている!! 《右隣の人》は顔を真っ赤にしてボクを睨みつけると、そっと左手を差し出し小声で……
「わかったから……早く返して」
うわぁあああああっ!! ゴメンなさい早く返しますから殺さないで(涙目)!
仕方ない、ここまできたら引くに引けない……直接渡そう。今のボクは死刑台に上る気持ちだ……緊張と恐怖で心臓がバクバクして破裂しそう。
しかし、こんなボクに更なる試練が待ち構えている。そう、この消しゴムの「渡し方」だ。このシチュエーションでの鉄則、それは……
――《右隣の人》の「手」に触れてはいけない……ということ。
すでに消しゴムに触っている時点でアウトなのに、本人の皮膚に直接触れてしまうなどという行為は、ボクのような陰キャキモヲタスクールカースト最下層は絶対にやってはいけないこと、つまりタブーだ。
できるだけ消しゴムに対して指の接触面積が最小になるよう、親指と人差し指2本でつまみ上げて、クレーンゲームのように《右隣の人》が差し出した左手めがけて腕を移動させる。そして手のひらの上に確実に「落下」させる……これがボクのようなキモヲタが他人に対して最もダメージを与えない方法だ。
緊張で腕が小刻みに震えているのが自分でもわかるけど、もし途中で落としたらゲームオーバー……命は無いだろう。怖い!
《右隣の人》の左手の上まで消しゴムを持ってきた。このままボクが指を離し手のひらに落下させれば成功だが……あれ?
ちょっと体が浮いたような……あっ!
バランスを崩してよろけてしまった。
このクラスの座席は机を離しているので少し距離がある。低身長のボクは椅子に座ったまま渡そうとしていたから、少し無理な体勢で腕を伸ばしていた。なので重心の移動に耐えきれず椅子の左側が少し浮いてしまったみたいだ。
マズいっ!! このままでは消しゴムと一緒にボクの右手が……
〝ペタッ〟
《右隣の人》の手のひらに、消しゴムを挟み込むようにのせてしまった。
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
――何というミステイク。最悪だ!
ゴメンなさいゴメンなさい! 手が触れてしまってゴメンなさい! キモヲタ菌が付いてしまいましたゴメンなさい! 速やかに消毒してくださいその消しゴムは捨ててくださいゴメンなさぁあああああああああああああああああああああい!!
あぁボクは何て罪を犯してしまったんだ……マジでこの場から消えたい。
しばらく《右隣の人》の顔は直視できなかったので下を向いていたが、少しずつ顔を上げて様子を伺うと……
さっきより更に顔が真っ赤になっているぅうううううううううううううううう!
ボクのことをまるで親の仇かのように睨みつけているぅうううううううううう!
そしてプルプルと小刻みに体を震わせているぅうううううううううううううう!
どうやら怒りがピークに達しているみたいだぁああああああああああああああ!
――終わった。
ボクは……殴り殺されるんですね?
もう煮るなり焼くなり好きなようにしてくださーい覚悟はできてまーすお父さんお母さん今まで育ててくれてありがとうございまーす先立つ不孝をお許しくださーい……という遺書を脳内で読み上げていまーす(棒読み)
ボクはしばらく防御のポーズをとっていたが……あれ? 殴ってこない? すると《右隣の人》が、
「ねぇ……消しゴムの……中……見た?」
と、こちらを睨んだまま、低いトーンで絞り出すような小声で予想外の事を聞いてきた。
――え? 「消しゴムの中」って?
えっ! えっ!? 何のこと? まったくわからない。「筆箱の中」とかなら意味がわかるけど消しゴムで「中」って一体……?
まだ《右隣の人》はこっちをずっと睨んでいる。メチャクチャ怖いし言っている意味もわからない……
「いえっ見てませんっ! 何も見てませんっ!」
こう答えてこの状況を回避するしかない。すると《右隣の人》は
「そう……」
と何やら納得したように呟き、再び教壇の方に顔を向けながら
「あ……あり……だと」
とかすかに聞き取れるくらいの声でこう言うと、何ごともなかったかのように再び授業を受け始めた。
――え? 「ありだと」って……?
【終戦】
とりあえず生還した……その後、教室のゴミ箱を確認したがあの消しゴムは捨てられていなかった。
ボクの心に再び平和が訪れた。もうこんなアクシデントはこりごりだ。
それにしてもあの《右隣の席の人》、ウワサどおり……メチャクチャ怖いよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 早く席替えしたい。それと……
「消しゴムの中」って結局何だったんだろう?
※※※※※※※
〈1年後〉
ボクは今、その《右隣の席の人》と付き合っている……ボクの『彼女』だ。
彼女の名前は《御勅使 美波》さん。身長はボクとほぼ同じだけどクラスの中では低い方。部活は陸上部で、ショートボブが似合う元気な女の子だ。
その後、色々あって彼女と付き合うことになったんだけど、何で「苦手な人」から「好きな人」に変わったのかは、これから少しずつ話していこうと思っている。
ただ、今思えばあのときの「消しゴムの一件」が付き合うきっかけだったのかもしれない。
そういえばこの前、
「あのとき……もしボクが消しゴムを振り落として他の人に拾わせていたら?」
――って聞いてみた。すると御勅使さんは
「絶対泣く……そして(ボクを)ぶっ飛ばす!」
と答えた……うわぁ、よかったぁ~振り落とさなくて……。
時々まだ少し怖い部分が出るけど、普段は優しくて笑顔の素敵な女の子だ。でも未だに、「『消しゴムの中』ってどういう意味?」という質問に御勅使さんは、少し頬を赤らめツンとした顔で視線をそらしたまま何も答えてくれない。
――どういう意味なんだろう? まあどうでもいいか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次は御勅使さん視点の【後攻】に続きます。