第6話 さっさとアイツから逃げなさい!
「う、ウソ……いや、いやぁぁぁぁぁっっっ!!!?」
楓の絶叫が廃校に響き渡った。俺は呆然と立ち尽くしていた。
人の死体。ましてや殺人の被害者の死体。本来なら関わるはずがない存在。
だけど、現実として目の前に転がっていた。胸が血に染まり、絶望と恐怖で顔が歪みきった死体。極限まで見開いている眼が、見ていて痛々しかった。
何なのか分からない。恐怖と疑問で俺の頭がショートしかける。
だけど、それで感覚が狂ったのか、死体から鮮明に“とある何か”が見えた。
「ちょ、ちょっと、アキ!? 何をしてるの!!?」
「この人の生徒手帳が見えたんだ! もしかしたら何かあるんじゃ!」
俺は死体の制服の右ポケット、見え隠れしていた生徒手帳を取り出す。
――女子中学生、――失踪事件、――学生の死体。繋がった気がした。
『――中学校 千葉明日香』
生徒手帳には、俺が思った通りの答えが記されていたみたいだ。
「マジかよ。こんなことが」
「アキ、どうしたの。生徒手帳なんか探って」
「この子は……あの集団失踪事件に巻き込まれた1人だ」
「えっ、そうなの!?」
正しいはずだ。通う中学も、被害者の名前も、一言一句一緒だった。
彼女は集団失踪事件の1人だ、やはり怪事件にこの廃校が関係していたというブログ記事は何故か正しかった。それと、同時に。
「だけど、この人。死んじゃってるよね……?」
「死んでる……というか、誰かに殺されたんだろ。こんな死に方異常すぎる」
「もしかして、失踪したの……こうして殺されちゃったからじゃ?」
楓の口から今回の事件における“真実”が、言葉で発せられた。
その次に頭に浮かんだのは“何で死んだのか”? 後ろから胸を一突き、逃げようと扉を必死に開けようとしたのか、爪が割れて血に染まった指。
これを自殺とか事故とか思えない。明らかに、誰かに殺されたんだ。
そして、それは要するに――殺した奴が、この廃校にいるかもしれないのか!?
「じゃ、じゃあ、今すぐ、ここから出ないと! あれ、開かない!?」
「えっ、カギとかなかっただろ! なんで開かないんだよ!!?」
だけど、戸を何度引いても扉が開くことはない。
しかも、ただ開かないんじゃない。もはや壁みたいに1ミリも動かなかった。
扉が空間に固定されたような、言ってて意味がわからないけど……とにかく、ここから出られないと俺たちにそう言いたげに見えた。
「そもそも外、真っ暗だし……もしかして、私たち。私たちがいた世界とは別の場所に来ちゃったんじゃ」
「そ、そんなわけ、ないだろ!? そんなこと……」
「だって、そうじゃないと説明できないよ! 私も信じられないけど!」
有り得ないと否定できない。俺たちが置かれた状況は異常すぎる。
だけど、それならどうするか、どう脱出するのか。なおさら不明になった。
――コツン、コツン、コツン、コツン、コツン
「っ!? ……な、なに?」
突如、規則正しい不気味な足跡が鼓膜を掻き立てた。
ゆっくりと、だけど確実に音が大きくなっている。誰かが近づいているのか?
「えっ、な、な、なに、なにあれ?」
そして、校舎を支配していた暗闇の中から、“ソレ”は姿を現した。
泣きながら笑ったような顔、不自然に揺れる眼が俺たちを見据える。
ボロボロに引き裂かれた制服、それを纏った体には……打撲や擦り傷、内出血といった暴力を受けた跡が点々としていた。
ボサボサノ¥の髪の頭から血を落としながら、手には刃物を手にしている。
死体、それ以上に非日常と思わせる奴は――怪異。怪異としか言えなかった。
『ミツケタ、ミツケタミツケタミツケタ、ワタシハオニ、ワタシハオニ』
“ワタシハオニ”。奴は、意味が分からない単語を繰り返している。
――見た目といい、行動といい、あんなの絶対におかしい。
“人だけど、人じゃない”。刹那に浮かんだイメージが俺の頭をよぎった。
アイツが何なのか、アイツの何が目的なのか、俺にはわからない、けども!
――逃げなきゃ、アイツに殺される! それは理解できてしまった!
「に、逃げるぞ、楓!!」
「逃げるって……どこにっ!!?」
「そんなもん知るかよ! とにかくアイツから逃げないと!!」
楓の手を強引に引っ張って、この場から離れようとした。
昇降口は何個かの下駄箱が平行に並べられていた。奴が迫ったところで、右に全力でダッシュを始める。
すかさず怪物は俺たちを追いかけたけど、ひとまず袋小路からは逃げ出せた。
「なんなの、あれ……!!」
「俺が知るかよ!!」
だけど、背後から聞こえる足跡は残り続ける、どころか加速している。
イヤだ、振り返りたくない。だけど、このままだと追いつかれる。どうすれば良いのかと、ただでさえ混乱で動かない頭を動かしつつ足を動かした、その瞬間。
「――きゃあ!」
……いきなり。右手でつないでいた楓の腕が落ちた。
重心が下に落ちて、俺も釣られるような形で倒れてしまった。驚きと、呆然と、体に走った痛み。頭を上げる楓を見ると、震える彼女の姿が目に入った。
「し、死体に、躓いちゃった、私」
楓に言われて、見てみると――その場所にも、死体があった。
今度は高飛車そうな女子が、首周りを無残に裂かれた姿で置かれていた。
楓が躓いたのは、ダラリと伸びていた、あの白い右手首だろうな。呑気にもそんなことを思って、ふと我に返った。
『ワタシハオニ、ワタシハオニ、ワタシハオニ、ワタシハオニ』
そんな俺たちに構わず。奴はニタニタと笑い、俺たちとの距離を縮める。
逃げなきゃ、どうにかしなきゃ、あれこれ考えるけど肝心の体が動かなかった。
どうすれば良いのかという思考と、もしかしてこのまま死ぬんじゃないかという諦めと恐怖。頭の中がぐちゃぐちゃになりかけた、瞬間だった。
「――何をやっているのよ、あなたたちは!!」
俺の頭上から聞いたことがある声が飛んできた。
思わず、はっと顔を見上げてしまった。すると、階段の上に――七星さん!? こんな場所で、なんであの人がいるんだ!?
「あ、葵ちゃん!? どうして!?」
「話は後でするから! さっさとアイツから逃げなさい!!」
「逃げる!? どこに!?」
「2階に決まってるでしょ、他に逃げ道はないんだから!!」
言われた通りに階段を駆け上がる。だけど、後ろからの足音は消えていない。
「お、おい、2階に逃げても出口はないし、追いつかれるんじゃ……!?」
「今は何も考えずに逃げて! 廊下を出て、2つ先の部屋に避難しなさい!」
そんなこと言われなくても、もう何が何だかわからねぇよ!!
複雑な感情と迫り来る脅威に飲まりそうになりながら、俺たちは部屋に向かった。