第13話 “今を生きる”しかないんですよぉ
「――はぁ。大人だというのにバカバカしいコト言ってますねぇ」
悲嘆と絶望とで染まった宍倉さんを……よりによって烏丸が否定した。
おい、烏丸。この状況で変なことを言い出さないだろうな。面倒になるぞ。
「あ、あなたに、何がわかるというの、この恐怖が、私の苦しみが!!」
「わかるわけないじゃないですかぁ。他人のコトなんてぇ」
「だ、だったら、なんで口を出してきたのよ……!?」
「だから、私はあなたの言動を言ったんですよぉ。バカバカしいんですよぉ」
今までに加えて怒りを含んだ宍倉さんと、不遜な態度で否定する烏丸。
まさに売り言葉に買い言葉のケンカ。俺は沈黙で見守り続けるしかできなかった。
「ふ、ふふふ、ふざけないでよ……!? 偉そうなコト言い出して……!? あなたは子どもから言えるのよ、そんな余裕染みたことを!!」
「そうですよ。子どもだからわからないんですよ。あなたの言っていること」
「……な、なんで!? なんで、あなたは余裕なのよ!? こんな状況で!!?」
だけど、烏丸は堂々としていた。堂々としたまま――対する答えを述べた。
「だって、“今を生きる”しかないんですよぉ。私たちには、小さい子には」
今を生きる。俺の心にも突き刺さるその言葉に、場の空気が急変した。
「明日、来週、来月、来年、3年後、5年後、10年後。下手をしたら老後に死んだ後。そんな未来を考えたら人は潰れますぅ。未来はわからないんですからぁ」
「……どういうことよ。いきなり、訳の分からないことを」
「今のあなたがそうなんですぅ。余裕がないのに先のことを考えて、過去の不幸と未来の不幸とを呪って二重に苦しんで、死にたいとか言い続けていますしぃ」
「だって、辛いんだもの!! 怖いんだもの!! わからないんだもの!!」
「だから、“今を生きる”んですぅ。今は怪異に襲われたくないから生きるんですぅ。他のことを考えず今の恐怖から逃れる。それで良いじゃないですかぁ」
「……そんなこと、できるわけ」
「できますよぉ。目の前の一瞬に、目の前の人生に、目の前の被写対象に。それ一直線に集中するんです。そうすれば、今を生きれる。今を輝かしいモノにできる。今の災難を乗り越えることができるんですぅ」
……目の前の被写体。盗撮だよな。楓とかにやってることだよな。
堂々と話しているけどさ、例に出せるほど誇らしいモノじゃないぞ。烏丸よ。
だけど、今を生きる。烏丸の発言には俺も心を動かされていた。
将来の不安をウジウジ考えて、誰かと、楓と比較して、勝手に落ち込むなんて。
まさか烏丸に気づかされるとは思ってもみなかったものの。あの宍倉さんのように。いや、それ以上に俺の心には浸透し、突き刺さるものだった。
今を生きる。怪異をどうするか考える。この後どうなるかは未来の俺が考えれば良い。わかっていたけれど、わかっていなかった。そんな気がしたから。
「だいたい、あなたもそうですよねぇ? 怪物から一目散に逃げたんですからぁ」
「っ!?」
「少なくともあの瞬間のあなたは生きたかったんですよぉ。違いますかぁ?」
「…………」
すっかり静かになった宍倉さん。どうやら烏丸がこの場を収めたようだった。
「いろいろ考えることはあると思いますけどぉ。今は生きなきゃですよぉ。怪異に、あんなに理不尽な存在から今を逃れるんですぅ」
「わ、私は……これから……どうしたら……良いの……」
「それはあなたが決めることですよぉ。これからのあなたが、ですぅ」
直向きの烏丸にそう言われて……宍倉さんはどこか変わったようだ。
恐怖で顔が引き攣り、震えていた姿は見せず。落ち着いた表情をしていた。
「私は。生きたいと思います。身勝手かもですけど、ちょっと思いました」
宍倉さんはそれだけ告げて、俯いたまま体育座りで身を縮めた。
まだまだ俺としては彼女に不安が残るけど。ひとまずは大丈夫みたいだな。
「サンキュ、烏丸」
「何が、ですかぁ?」
「宍倉さんを説得してくれて。俺だけじゃ無理だったし」
「良いんですよぉ。私もあの人に思うことがありましたからねぇ」
勝ち誇った笑みを浮かべる烏丸に、俺はどこか恥ずかしい気持ちになった。
正直、今の話で宍倉さん以外に。俺も少しだけ救われたんだけどさ。
烏丸を面と向かって話すのは恥ずかしいから言わないけども。少しは見直したし。
恥ずかしさとモヤモヤする思いで顔を背けていると。烏丸がまたもやニヤりした。
「それに一秋さんのこと、いろいろと好きになりましたからね」
「えっ?」
「まだまだ一秋さんのコトは知りませんけど、いろいろ好意を持ちましたよぉ。あんな状況で私を助けてくれたなんて、ロマンチックじゃないですかぁ」
う、うん? 好意か? まあ、良いけどさ。変なコトじゃなさそうだし。
なにかを企んでるわけじゃないみたいだし、こんな状況で企めないだろうしな。
掴めそうで掴めないような烏丸の反応にどこか落ち着かない気持ちに染まった時。
――ぶぅぅぅぅん
今まで何も反応を返してくれなかった俺のスマホが、唐突に震え始めた!?
「で、電話が!?」
咄嗟に俺と烏丸とで目を合わせる。この状況で起こりえないことだったから。
「ここ、圏外でしたよねぇ!? なんでいきなりぃ?」
「そ、そうだよな。えっと、電話の相手は……マジかよ、葵からだぜ!?」
そして、その相手は安否が分からなかった葵から。速攻で電話に出た。
『か、一秋くん!!? 無事なのね!? 生きているのね!!?』
「あ、ああ。何とか無事だぜ。いろいろとマズい状況だけどな!」
『アキ!? アキなんだよね!!? 大丈夫なんだよね、大丈夫なんだよね!?』
「楓!? お前は葵といるのか!? ということは無事だったのかよ……!!」
この状況で1番に聞きたかった声、確認したかった姿。楓が無事だった。
どうやら楓と葵は怪異に巻き込まれず、現実世界みたいだ。本当に良かったぜ!
『それはそうとして。今から必要最低限のコトしか言わないわ、ちゃんと聞いて』
「時間もなさそうだしな。良いぜ、何かはわからないけど話してくれ」
『今回の怪異だけど、単なる有象無象じゃなかった。もっと恐ろしい存在だったわ』
オカルトマニアの葵がそこまで言い切るなんて。どんなヤツなんだよ。
『一秋くん、あなたのいる場所は“きさらぎ駅”のはず。だけど、違うわね?』
「ああ、そうだ。前の異界の時みたいなコトもやったけど、ダメだったぜ」
『なるほど、それはそうね。今回の怪異は“きさらぎ駅”だけど“きさらぎ駅”じゃない。別の怪異が介在、要するに2つの怪異が混合しているの』
こんなことを葵に言われて、心がガンと打たれたような錯覚を覚えた。
なんだって。怪異が……2つ存在する? 2つ混合してる? どういう意味だ?
その一方で、今までのナゾに説明できる事実でもあった。
だから怪異名の判定が成立しなかったと。あんな怪物がきさらぎ駅にいるんだと。
「じゃ、じゃあ、どうするんだよ、そんなヤツを相手に!?」
『厳しいでしょう。無理かもしれない。だけど、あなたの能力は、私の見立てが正しければ。今回の怪異に――いや、今回の怪異にこそ真価を発揮してくれるはず』
……俺の能力。またか。また俺がわからないことを話してくるな、葵は。
それに、今回の怪異に真価を発揮する? いやいや、どういうことなんだよ。
良い、悪い、それ以前にまったく想像ができなかった。あれが、あの訳がわからない宣言が、あんなに奇妙な怪異を倒してくれるだなんて。
「そんなこと言われても。俺がやってること、今でもわからないんだけど」
『事情は改めて詳しく話すわ。いまはとにかく、あなた自身で怪異の真実を明らかにしなさい。だけど、命を大事に。無理はしないこと。良いわね?』
「お、おう……」
な、なんだか、葵の話している内容が上手く飲み込めなかったけど。
やれることはやってみる。それしかない。そうするしか方法がないんだから。
『怪異の正体もわかったわ。き――きの――に、か――さ――して――の』
う、うん? いきなり雑音が混じって、葵の言葉が聞き取れないぞ?
怪異の正体なんてかなり重要な情報のはずなのに? 聞き出したいのに?
「ちょ、ちょっと、聞こえなかった部分があるんだけど!!」
『ウソで――。こん――にも、タイム――が早――て。やはりか――んが』
どんどんノイズが混じり、まともに通話できない状態になりつつある。
俺の中で不安が増幅し始めていた。ウソだろ、この状況ってまさかだけど。
『こ――いは――し――ん、か――さ――から、かえ――し――い――てる』
もはや何を言ってるのか、わからない音声を最後に電話が切れた。
マジか。せっかく怪異の正体がわかりそうだったのに。希望が絶たれたのかよ。
案の定、電波は圏外。もう一度かけ直してみたけど繋がりそうな気配はないな。
「だ、大丈夫ですかぁ。一秋さん?」
「……!!あまり状況は良くないみたいだな」
この調子だともう2人とは連絡が取れない。状況としては良いと言えない。
だけど、この時の俺は。自分でも妙に思えるほど、どこか冷静な気持ちだった。
――“今を生きる”。今は、今だけは変なコトを考えない。今だけを考えるんだ!
「何はともあれだ。あとはやるしかないんだよな。俺が」
覚悟を決めて、タイムリミットが迫り来る中、俺は思考の海に身を投じた。