第9話 まさに“諸人縛りし闇の牢獄”だ
「イヤあああぁぁぁぁぁっっっ!!!? コワいぃぃぃぃぃっっっっ!!?」
異界で見つけた生存者、線路に飛び込んだあの女性。
恐怖に染まった眼で体をガタガタ震わせる彼女に。俺たちは驚いていた。
「こ、怖い……何が!? 異界が!? この状況がですか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
こ、この人に何が起きたというんだ? いきなり叫び始めたけど……!?
「ちょ、ちょっと、落ち着いてくださいよぉ!? どうしたんですかぁ!?」
「あ、あああ、ご、ごめんなさい。いきなり、大慌てしちゃって」
だけど、俺たちが諫めるところ。女性は落ち着きを取り戻した。
おどおどとしていて、まだ不安定だけど……ひとまず大丈夫、なのか?
あと、この人。改めてこうして見てみると。かなりの美人だな。
印象自体は地味で目立たないけど、素材自体はいろいろ高水準。何より乱れが存在しない髪とメイクとスーツで気持ちが良い清潔感があった。
本当に、疲れ切った表情と全身からにじみ出ている負のオーラがないと落ち着いた美人という感じなのに。すごくもったいないな。
「電車と聞いて思わず会社のことを思い出してしまって……」
「えっ、あっ、そ、そうなんですか」
……あと、彼女の言葉の意味はちょっと理解できなかったけど。
それはさておき、この人との話を進めるために違う話題を切り出すことに。
「えっと、失礼ですけど、あなたのお名前は何でしょうか?」
「は、はい。し、宍倉京子と言います。な、名乗りが遅れて申し訳ありません」
「俺は小山一秋です。んで、コイツが」
「烏丸茜ですぅ。この状況で会社を思い出すとかどんだけ社畜なんですか」
「社畜……ご、ごめんなさい、ごめんなさい……私は出来の悪い部下です……」
どうやらこの人。 “地雷”みたいなモノがあるらしい。
もしもそれを踏んでしまうと、あのように叫び出してしまうみたいだ。
そして、その地雷のほとんどは――会社とか社畜とか上司とか。要するに“会社のこと”だ。彼女は務めている会社がどこまで恐ろしいんだ。
と、まあ。自己紹介と話の掴みができたところで。本題を切り出そうか。
宍倉さんに聞きたいこと、いくつかあるけど……聞きたいことは“あの行動”かな。
「あの、宍倉さん。唐突で、なおかつ言いにくい話題で恐縮なんですけど……」
「――なんで、あなたはあの時、線路に飛び込んだんですかぁ!?」
「ええっ!!?」
うぉい! せっかく俺がワンクッションもツークッションも置いたのに!
「わ、私が!? 駅に飛び込んだ!? なんでですか!?」
「いやいや、私たちが知りたいですよぉ。巻き込まれたんですからぁ」
だけど、あれ。宍倉さんはあの時のコトを覚えていないのか?
「あんなに深刻そうな表情して、誰かに電話をしていて、それで宍倉さんは飛び込んだんですよぉ。それなのに、何で知らないんですかぁ――」
「電話……アポ電……10時間……ノルマ未達……いやあああぁぁぁっ!!!」
「えっ、電話もダメなんですかぁ!? まったく、メンドウな性格してますねぇ!」
宍倉さんの地雷……“電車”、“社畜”、“電話”。その他諸々。
この人は、きちんと日常生活を歩めてるんだろうか。こんなに非日常極まりない状況でも考えてしまうほどには、この人はいろいろアレだった。
なんか、たまに見かける不憫な人というか、そんなイメージがあるんだよな。
「えっと、宍倉さん。本当にあの時を覚えてないんですか?」
そして、ここで話を戻そうか。宍倉さん、重要なコトを話していたし。
「う、うん。ごめんなさい……どうしても、ぼんやりとしか。すみません」
「えぇ、ホントですか? あんなことやってたんですけど」
「信じられないんですけど、はい。この8時間後にまた電車に乗らないといけないのと考えるとウツになって、誰かから電話が、上司だと思うんですけど、それでさらに疲れちゃいまして。その後は、本当に記憶がないんです」
「なるほど。それで、過労と心労を苦に飛び込んだわけですかぁ」
これまた直球を投げたな。少しはオブラートに包んでくれよ。
地雷を踏んでないかと心配しつつ、宍倉さんの様子を伺ったところ。
彼女は、心底心外といった感じで。アワアワと手を振って否定していた。
「い、いえっ! 死にたいとは思ってないです!! 仕事はキツくて、怒られてばっかで、客もクレーマーばっかで、消えたいと思ってるだけで!」
「それを世間一般では死のうとしていると言うんですけど……」
「そうなんでしょうか……いえ、本当に消えたいだけなんですけど。残業100時間突破で頭の中の負の感情が大暴れしているだけで、それだけです」
「残業100時間ですかぁ。多いか少ないかどうなんでしょうぅ……?」
「多すぎると思うぜ。過労死ラインだぞ。産業医の面談になる対象だぞ」
「そんなことも言われましたっけ。仕事が忙しいから無視しましたけど……」
おいコラ、法的義務。会社の義務をなんで放棄されてるんだよ!
そりゃ残業3ケタ時間の人が面談を受けられるのか疑問に思ってたけどさ!
「あははっ……家を、マンションを売るためには走り続けなきゃいけないらしいんです。怒鳴られても、理不尽を押し付けられても、笑顔で……あははっ」
「個人向けの不動産仲介なんですか。そりゃブラック中のブラックですよね」
「ええっ、そうなんですかぁ?」
純粋な疑問をぶつけてきた烏丸に、俺は頷きつつそう答えた。
「家を売るって数千万、下手すら数億の話になるからな。競合他社もいる中でそれを仕事としてモノを売らなきゃいけないんだから、そりゃそうだろ」
「知りませんでしたぁ……そうなんですねぇ」
「しかも、不動産業界全体が体育会系だしな。競争的な社風のところ多いし、高ストレスな環境なのは間違いないぜ。だけど、歩合給のところが多くて成果主義で稼げるから図太かったり、金の亡者だったりと合う人には合うんだけど……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、私はお酒弱いんです。もう飲めないんです。日本酒はイッキするもんじゃないんです、あああ、あああああ、あああああ」
少なくともこの人には合いそうにないぜ。見るからに繊細みたいだし。
というか、なぜ入社したんだよ。こんな情報、調べたらすぐにわかることだろ。
「ああ、なんで私は運が悪いんでしょう。今日も上司に怒られて、お客様にも怒鳴られて、おまけにこんな変な場所に来てしまう。厄日ですぅ……」
「異界に迷い込んじゃうのがおまけなんですねぇ。なんかスゴイ世界ですぅ」
「その“いかい”はわかりませんけど。少なくとも怒鳴らないですから、はぁ」
またもや宍倉さんの負のオーラが大きいものに化した。大丈夫か、この人。
それはブラック企業による疲れなのか彼女自身の性格なのか。わからないけど。
――だけど、考えてみると。ブラック企業はコレだけじゃないはずだ。
例えば、情報通信業、というかIT企業、システムを作る企業。
もちろん会社によりピンキリだ。“IT社長”とか十把一絡げにも程がある。
だけど、その業界に属する企業の大半がブラックな労働になりやすい傾向だ。無理な納期に過重労働、炎上プロジェクトでは多くのエンジニアが苦しめられる。
とある銀行のシステム停止、それで生じたデスマーチはかなり有名な話だ。
――バラバラ殺人事件の1番目の被害者は……このような企業に勤めていたな。
例えば、小売業。薄利多売で競合他社が多いから低賃金になりやすい。
お客さんに合わせることが基本の商売だから長時間労働にも陥りやすい。
さらに人手不足な業界だから人手が集まらず、従業員に負担がかかりやすい。
――バラバラ殺人事件の2番目の被害者は……このような企業に勤めていたな。
例えば、保険の営業。これは不動産仲介と同じだろう。
歩合制でお金は稼げるけど、ノルマが過剰に化せられる上に競争は激しい。
家と比べるとそこまで高価なものじゃないから営業が自分やその家族の分まで保険を加入する、いわゆる自爆営業を行うこともあるようだ。
ちょうど数か月前に日本を代表する企業が不適切な営業をしていた、その裏でパワハラ指導があったことがニュースになっていたことも有名だ。
――バラバラ殺人事件の3番目の被害者は……このような企業に勤めていたな。
他にも、医療従事者に営業代理店。他の被害者もそういう業界だった。
もちろん業界がそうだからブラック企業とは言い切れないけれど。それでも、そういう傾向はあるわけだし、宍倉さんを見ているとそう思えた。
ここまで思考を巡らせると。俺の中で“ある結論”が浮かび上がった。
正直のところ、バカげたというか。ありえないと俺の中でも思いはする結論が。
――もしかして、被害者は全員ブラック企業に勤めていたのか?
“駅のホームに飛び込む”コトが異界に侵入するための行動だった。
他にも、葵が“心が弱った人間は怪異に巻き込まれやすい”と話していたな。
まだまだ、これは憶測の域を越えないけれど……その可能性はあるはずだ。この線で怪異を考えてみるの、悪くないかもしれないぜ。
そして、今までの推理で異界を考えてみるとわかったことがある。
過重労働も広義の意味なら事件というコト。もしかしてコレが事件名に?
バラバラ殺人事件だけじゃない、この名前も入れる必要があったんじゃないか?
「それで、これからどうするんですかぁ? 異界や怪異、ブラック企業に絶望してるような暇、私たちにはありませんよぉ?」
「あっ、そうだ!! 早く家に帰らないと出社に間に合わない!?」
「異常事態なんですから会社とか上司とかそういうことは忘れませんぅ?」
だけど、そんな俺の思考は彼女たちの会話で止められてしまった。
というか、この怖がりよう。見ている俺たちでもアレな感じがするな。
彼女が囚われているモノ、まさに“諸人縛りし闇の牢獄”だ。怪異より恐ろしいぜ。
「ここにいてもしょうがないです。この異界から脱出できるよう動きましょう」
状況を打破するために俺が発した提案には、宍倉さんも静かに頷いてくれた。
「わ、わかりました。足手まといにならないよう死ぬ気で頑張ります!!」
「いやいや、死なない程度で良いですからね……?」
「なんだか不安ですねぇ。変なコトやらかさないか心配ですぅ」
それも俺は同感だ。なんというか危なっかしいよな。楓とは違う意味で。
こうして異界で出会った人、宍倉さんを入れて俺たちは移動を始めたのだった。