21 銀狼少女
思ったよりも楽に狩れた大蜘蛛のバラバラ死体を回収し終えた私は、後方に下がらせておいたナナと狼少女の元へと向かった。
するとそこには、ピクリとも動かず地面に横たわる狼少女と、疲れた顔をしているナナの姿が。
「……間に合わなかったか」
「不吉な事言わないでください! 間に合いましたよ! 治しましたよ! ほら!」
言われてよく見てみると、確かに狼少女の胸はしっかりと上下している。
首筋に触れてみれば、脈もキチンとある。
生きているな。
しかも、あれだけの傷が綺麗さっぱりなくなっている。
ナナの回復の力は私の予想以上という事か。
だが、一応念の為だ。
少々悪いと思いつつも、狼少女に鑑定を使っておいた。
ーーー
銀狼族 Lv18
名前 サクヤ
状態異常 奴隷 疲労 気絶
HP 2250/2250
MP 111/605
SP 42/3096
攻撃 1780
防御 1163
魔力 175
魔耐 1004
速度 1811
スキル
『HP自動回復:Lv10』『MP自動回復:Lv5』『SP自動回復:Lv20』『刀:Lv18』『連携:Lv1』『HP増強:Lv2』『MP増強:Lv6』『SP増強:Lv8』『攻撃強化:Lv7』『速度強化:Lv7』『恐怖耐性:Lv44』『気絶耐性:Lv28』『痛覚耐性:Lv45』
スキルポイント 0
ーーー
ふむ。
生命力の数値であるHPが全快しているという事は、本当に大丈夫のようだな。
一安心だ。
だが、ダンジョンの真ん中で気絶していては、魔物の餌になるのが落ちだろう。
地上まで連れて行くとするか。
「では、こやつを連れて戻るぞ。ナナ、運べるか?」
「無茶言わないでください。わたしのミニマムサイズで人を運べる訳ないでしょう」
「そうか」
ステータスが高ければ案外いけるのではないかと思ったのだが。
そういう物言いをするという事は、ナナの筋力は見た目相応と考えておいた方がよさそうだな。
「では、私が運ぶとしよう」
「ええ、お願いしま……まさかの俵担ぎですか。お姫様抱っことかしてあげないんですか? 助けた女の子をお姫様抱っことか、どこの主人公だって感じになれますよ? 惚れてくれるかもしれませんよ?」
「そんな事をしたら両手が塞がるではないか」
「……ロマンの欠片もない」
ロマンなどいらぬ。
俵担ぎとて動きが制限されてしまうというのに、それ以上の事などできるか。
一番効率的な首根っこを掴んで引き摺るを選択しないだけ、これでも妥協しているのだ。
狼少女を担ぎながらダンジョンを逆走し、片手で魔物達の相手をしながら、ようやく中層を脱けた頃。
「う、うーん……ここは?」
「起きたか」
そんな声と共に狼少女が目を覚ました。
丁度、近くには魔物もいない。
それに、比較的安全な上層にも着いた。
一度、狼少女を肩から下ろして休憩するとしよう。
その後、可能ならば自分の足で歩いてもらう。
狼少女をそっと地面に下ろし、私は立ったまま辺りを警戒する。
そして、私の代わりにナナが狼少女に話しかけた。
「はい、とりあえずお水です。飲めますか?」
「飲める」
「それは良かった。では、気絶する前の事はどのくらい覚えてますか?」
「全部覚えてる。あなた達が助けてくれた。心から礼を言わせてほしい。危うく使命を果たせずに死ぬところだった」
そう言って、狼少女は深々と頭を下げた。
「私の名はサクヤ。銀狼族のサクヤだ。誇り高き銀狼族の一人として、この恩は必ず返す。本当にありがとう」
ほう。
主と違って実に礼儀正しい。
奴隷という明日をも知れぬ身でありながら、恩義には必ず報いるという気概もある。
斎藤とかいうどこぞの勇者候補と違って、誇り高き戦士の器だ。
ますます惜しいな。
奴隷でさえなければ、是非とも死条一刀流の門下に招き入れるというのに。
「ならば、お前が恩を返してくれる日を楽しみに待つとしよう」
「ああ、楽しみにしててくれ」
そうして狼少女、改め、サクヤは笑った。
とても奴隷とは思えない、奴隷にしておくには心底惜しいと感じる、いい笑顔だった。
その後、サクヤは自力で歩けると言うので歩かせ、サクヤに歩調を合わせてダンジョンから出た。
その頃には日が傾き、時刻は既に夕暮れ時。
そして最悪な事に、夕焼けに照らされた出口付近には、今私が最も不快に思っている男が出待ちしていた。
「お、やっと出てきた。遅いぞ、サクヤ!」
その男、斎藤はあろう事か開口一番サクヤに文句を付けた。
サクヤの顔が怒りに歪む。
私も思わず不快感が顔に出てしまう。
「まあ、いいや。無事に二人とも生還できたんだし、細かい事は気にしないでおこう。
いや、奴隷紋のおかげで生きてるのはわかってたけど、実際に顔見てホッとしたわー。
まさかリュウマくんが一緒にいるとは思わなかったけど。
もしかして、ウチのサクヤを助けてくれたの? だとしたら、ありがとねー」
……なんだ。
なんなのだ、こいつは?
奴隷とはいえ、死地へと置き去りにした仲間に対して、この言い草。
紙の如く薄っぺらい感謝の言葉。
しかも、そこに罪の意識は欠片もない。
こいつ、本当に人間か?
「じゃ、そういう事で。行くぞ、サクヤ」
「待て」
立ち去ろうとする斎藤に向けて、私は思わず声を掛けた。
斎藤が少しだけ不機嫌そうな顔で振り返る。
私はそれを、不快感に歪んだ顔で睨み付けた。
「貴様、それでも勇者候補か? 否、それ以前に、それでも戦士か? それでも男か?」
「はぁ? どういう意味だよ?」
「言葉通りの意味だ。まるで遊びのように適当な戦いをし、不利になれば人のせいにして罵倒する。
強敵が現れればすぐに逃げ出し、あまつさえ年端も行かぬ少女を囮にする始末。恥を知れ!」
「!?」
私の怒気に気圧されたのか、斎藤が息を飲んで後退する。
だが、すぐに安い怒りの表情を剥き出しにし、反論してきた。
「そ、それの何が悪いんだよ!? せっかくチート持って異世界に来たんだ! 好き勝手やって何が悪い!
それにサクヤは奴隷だぞ! 奴隷を囮にしたって罪には問われないんだよ! 日本の倫理観を持ち出すんじゃねぇ!」
「倫理の話などしていない。貴様の腐った根性の話をしているのだ」
そう言いながら、私は一歩斎藤との距離を詰める。
斎藤の足が一歩後ろに下がった。
構わず距離を詰める。
「好き勝手やって何が悪いだと? 悪いに決まっておろうが。
女神が私達に力を授けてこの世界へと送り込んだのは、魔王を討伐するという依頼の対価だ。
その責務も果たしていない者が、授けられただけの力を身勝手に振るっていい理由などない。ある訳がない。
それに、奴隷を囮にしても罪には問われないだと? ああ、確かにその通りであろうよ。だがな、そのような脆弱な選択を簡単に選ぶような者に勇者が務まるとは思えん。
お前には、勇者どころか命を懸けて戦う者としての意志も、強さも、誇りもない。
そんなに弱いのであれば、勇者などやめてしまえ!」
怒気と殺気を籠めて一喝する。
斎藤は顔面を蒼白にしてガクガクと震え出した。
弱い、弱すぎるぞ。
こんな者が勇者の一人とは、女神の人選はどうなっているのだ。
そう思って呆れ返っていたところ、斎藤は唐突に顔色を恐怖から怒りに変え、意外にも私に向かってきた。
「ふざけんな! 俺より弱い奴が上から目線で説教してんじゃねぇ!」
そんな事を叫びながら、斎藤が背中に背負った弓を構えようとする。
先程も使っていた斎藤のチート『超魔弓術』は、実弾の矢を必要とせず、それよりも強力な魔力で構築された矢を放てるスキル。
通常の弓矢よりも、構えて撃つまでの時間は遥かに早いだろう。
だが、それでも遅い。
斎藤の動きはお世辞にも洗練されているとは言えず、そもそも弓使いが、この距離で剣士と戦うのは無謀だ。
斎藤が弓を構えて撃つまでに、私は斎藤を余裕で十回以上は斬り付ける事ができる。
それがわかっていないのだから、こいつは本当にド素人なのだろう。
私は斎藤との距離を一歩で完全に詰め、奴が矢を放つ前に攻撃を仕掛けた。
刀ではなく、拳で。
━━死条一刀流 番外壱ノ型 死打
番外ノ型。
それは、剣術である死条一刀流において、剣を使わずに繰り出す型の事。
その目的は剣術の補助、あるいは剣を使えない状況でも戦えるようになる為。
無論、番外であろうとも死条一刀流としての本質は変わらず、その全てが殺人技だ。
だが、今回は殺すつもりまではない。
斎藤はクズだが一応、本当に一応だが罪を犯した訳ではないのだ。
先に武器を構えたのは奴であり、正当防衛で反撃は許されるだろうが、殺しまですれば問題になりかねん。
私にも、それくらいの分別はつく。
故に、この攻撃は手加減している。
死打は本来、相手の人体急所に叩き込み、その箇所を完全に破壊する技。
しかし、今回は斎藤の顔面に叩き込み、鼻をへし折って前歯を砕く程度に抑えてある。
「ぶげっ!?」
そんな手加減された一撃を受けて、斎藤が地面に沈んだ。
奴は派手に失禁しながら涙を流し、顔を押さえて呻いている。
「痛い……痛いよぉ……なんで……せっかく……異世界に……来たのに……こんな……思い……しなきゃ……いけないんだよぉ……!」
わかってはいたが、なんとも根性のない男だ。
痛覚耐性まで持っているくせに、この程度の傷で泣きわめくとは。
だが、まだだ。
私は刀を抜き、斎藤の首筋にそっと添えた。
斎藤の首から僅かに血が流れる。
「ひぃ!?」
「覚えておけ。次に貴様が勇者候補として恥ずべき行いをした時は、同じ勇者候補として私がお前を斬る。わかったか?」
「わ、わかった! わかったから!」
「そうか。ならば、いい」
私は刀を納める。
その瞬間、斎藤は悲鳴を上げながら脱兎の如く逃げて行った。
これで多少なりともまともになればいいのだが……期待はしないでおくとしよう。
そうして、この場には私とナナとサクヤだけが残った。
「さて。私達は街に戻るとするが、サクヤ、お前はどうする?」
「……私は、あいつの所に戻らないと。これがあるから」
サクヤは苦々しい顔で首輪を撫でる。
……どうにかしてやりたい気持ちはあるが、こればかりはサクヤ自身の問題だ。
私がそこまで助ける事はできぬ。
「では、街までは共に行くとしよう。構わんか?」
「ああ……その、ありがとう」
「気にする必要はない」
その感謝の言葉は、街まで送る事に対するものだけではないとわかった上で、その言葉を返す。
礼を言われる筋合いはないのだ。
あれはサクヤの為にした事ではなく、むしろ私のエゴに近いのだから。
そうして私達は、妙な出会いのあったダンジョンから立ち去った。