2 女神様
「ようこそ、神々の住まう世界『天界』へ。歓迎しますよ、シジョウイン・リュウマ」
光に視界が潰された直後、そんな声が私の背後から聞こえてきた。
神聖さや神々しさを感じる女の声だ。
私はその声のした方へと、━━振り向き様に持っていた竹刀を一閃した。
反射的に。
━━死条一刀流 壱ノ型 首斬りの太刀
最短距離にて相手の首筋へと刃を走らせ絶命させる、死条一刀流基本の型の一つである。
それを背後の女へ向けて放った。
まあ、竹刀では殺せないだろうがな。
相手が死なないからこそ、この刀は死無いと呼ばれるのだ。
「へ? ちょ、まっ!?」
女は焦ったような声を発するも、しっかりと私の剣を避けてみせた。
だが、そのくらいは予想の範疇。
相手はこの私に気配を悟らせず、この至近距離まで接近した上に、私の背後を取るような手練れだ。
このような、様子見の一撃で倒せるなどと楽観はしていない。
私は即座に竹刀を引き戻し、間髪入れずに次の技へと繋げた。
━━死条一刀流 弐ノ型 無明突き
正確な刺突により相手の眼球を破壊して光を奪い、更にその奥にある脳までもを破壊する事で確実に絶命させる、死条一刀流基本の型の一つである。
「ひぇ!?」
しかし、女はこれも避けた。
必死に首を横に倒して直撃を回避している。
この女、動き自体はぎこちないが、反応速度が凄まじい。
反射神経だけならば、私が今まで見てきたどの武人よりも上かもしれぬ。
ますます油断できん。
より一層、神経を集中させて次の技を繰り出す。
━━死条一刀流 参ノ型……
「いい加減にしなさーい! 《ホーリーチェーン》!」
その瞬間、どこからともなく、いくつもの純白の鎖が現れ、私を絡めとろうとする。
なんだ、これは?
鎖は、まるで生き物の如く自在にうねって私に迫ってくる。
しかも、鎖は女が手に持って操っている訳ではない。
勝手に動いて、勝手に私を捕らえようとする。
如何なる理屈の技術だ?
皆目見当がつかぬ。
だが、
「初見の技か。おもしろい」
━━死条一刀流 拾ノ型 惨劇舞踏
私は踊るように足を捌き、鎖の攻撃をかわし、時に竹刀で受け流す。
本来であれば、複数の敵を効率良く斬り殺す為の動き。
それを応用し、鎖を避ける。
避ける、避ける、避け続ける。
「ウソッ!? なんでLvアップの恩恵も受けてないLv1の人が、私の魔法を回避できるんですか!? この人、本当に人間!? 私、召喚の術式間違えました!? 何か変な化け物召喚しちゃったんですか!?」
女が何やら取り乱している。
その隙を突いて仕留めに行きたいところだが、思った以上に鎖の動きが速く、回避に精一杯だ。
かつてテレビ番組の企画とやらの時に斬り裂いた銃弾と同じか、それ以上の速さで鎖はしなっている。
目で追っていては間に合わぬ。
銃口の向きから銃弾の軌道を見切った時のように、鎖の動きから次の攻撃箇所を予測する他にない。
だが、それだけの作業をこなすには、相当に神経をすり減らす。
おまけに、一度鎖を受け流しただけで、竹刀は半ばから折れてしまった。
自身が追い詰められていくのを感じる。
苦戦か。
実におもしろい。
高揚する。
必ずやこの苦境を撃ち破り、あの怪異な女を斬り捨ててみせよう。
「ぬ?」
だが、私が気合いを入れ直したその瞬間。
鎖は綺麗さっぱり消え去ってしまった。
……どういう事だ?
「あのー! すみませーん! そろそろ私の話を聞いてくださいませんか!」
そして、視界を女に戻せば、女は不可思議な半透明の球体の中から私に声をかけてきた。
その表情に殺気はなく、闘志もない。
ただ、困惑したように私を見詰めるのみだ。
これは……
「お前は私を襲撃したかったのではないのか?」
「なんで、そんな感想になるのですか……」
「音もなく背後に忍び寄られれば、誰であろうとそういう発想に至ると思うが?」
「背後に忍び寄る……?」
女は何故か不思議そうに顎に手を当てて考え始めた。
首を傾げたいのは此方の方なのだが。
そうしている内に、やがて女は合点がいったように顔を上げた。
「それ誤解ですから! 背後に忍び寄ったんじゃなくて、私はあなたをこの天界へと召喚したんです! ほら、ここはあなたが元居た場所と違うでしょう!?」
言われて辺りを見回してみれば、辺り一面は白い靄のような物で覆われた不可思議な光景へと変わっていた。
成る程、確かに夕陽を眺めていた道場の中庭とは似ても似つかぬ。
言われるまで気づかなかった己に呆れる。
どうやら、戦いに夢中になり過ぎていたらしい。
そして、召喚とやらが何かはわからぬが、女の言葉に少しは信憑性がある事は理解した。
「詳しく話せ」
「あ、はい」
どうやら、私は何やら誤解をしていたようだ。
私は鎖を受け流し続けた事でボロボロになってしまった竹刀を納め、女の話を聞く体制に入る。
そんな私に対して、女はこの状況に至った経緯を粛々と話し始めた。
◆◆◆
「成る程、大まかな事情は理解した。正直、理解できない単語が多過ぎて半信半疑ではあるがな」
荒唐無稽にも程がある話だったが、この女は魔法なるこの世のものとは思えぬ技法を多く披露してみせた。
この世には私の理解の及ばぬ事柄が数多くあるという事で、一応は納得しておくとしよう。
「……むしろ、私はこの説明で理解できないあなたの事が理解できません。
あなた、娯楽大国日本の若者ですよね? なんで異世界とか女神とか勇者とかの単語で理解できないのですか? あり得ません」
そんな事を言われてもな。
私のこれまでの人生は死条一刀流を習得する為の修練が九割を占めているのだ。
普通の若者と一緒にしてもらっては困る。
そして、そんな理解できない単語が数多く出てきた女の話を纏めると、こうなる。
まず、この女の正体は神の一柱である『女神』なる者らしい。
神とは、人が住むような世界を管理する者の事であり、私が暮らしていた世界は、この女神が管理する世界の一つなのだそうだ。
そして、同じくこの女神が管理する世界の一つに、その世界の人間達を滅ぼそうとする邪悪なる存在『魔王』が現れた。
魔王の力は強大であり、その世界の人間達の力だけでは魔王に滅ぼされかねないと判断した女神は、他の世界から戦力を調達し、チートなる強大な力を授けてその世界へと送り出す事にしたとの事。
そうして力を授けられ、魔王討伐の使命を与えられた者を『勇者』と呼ぶ。
「そんな面倒な事をせずとも、お前達神がその世界を救うか、あるいは、その世界の者達に直接力を授ければいいのではないか?」
と問うたところ、
「神は直接的に世界へと大きな干渉をする事ができないのです。現地の人々に力を与える事も大きな干渉と見なされるので、できません」
という答えが返ってきた。
だからこそ、神ではなく人の手によって世界を救わせる必要があると。
他の世界から連れて来た人間に、一度この天界という場所を経由させ、その時に力を授ける。
この方法ならば、世界への直接的な干渉ではない為に、本来であれば許されない程の力を人間に与えられるとの事。
所謂、裏技というものらしい。
ちなみに、この手法は神々の間で割とよく使われている常套手段だそうだ。
そして、どうやら私はその勇者候補の一人という事になるらしい。
召喚魔法とやらを使って、女神がここに喚び出したのだそうだ。
何故、私なのかと問うたところ、
「召喚魔法というものは『異世界へ行く事を強く望んでいる者』しか喚べませんからね。
おそらく、あなたは心のどこかで異世界に行きたいとか、今の世界から抜け出したいとか、そういう事を考えてたのではないかと」
という答えが返ってきた。
確かに、言われてみれば戦国時代辺りにタイムスリップしたいとは考えていた。
これは今の世界から抜け出したいという願望に相当するだろう。
女神の言っている事は間違っていない。
「それで、どうされます? 異世界に行かれますか? 当然、断る事もできますよ」
「……そうだな」
少し考える。
女神曰く、異世界とやらに行った場合、当然ながらその世界に骨を埋める覚悟がいると言われた。
つまり、元の世界には帰れない。
……父に二度と会えないのは辛いな。
まだ、ろくな親孝行もできていない。
それに、私がいなくなれば、由緒正しき死条一刀流の継承が途絶えてしまうやもしれん。
しかし、
「一つ聞く。その世界では殺し合いが許されているのか?」
「……ええ、まあ、はい。許されていますよ。基本的に争いの絶えない世界ですから。ただ、できれば殺すのは魔王軍関連だけにしてもらいたいなーと言いますか……」
「つまり、魔王軍とやら相手ならば、いくらでも暴れていいという事か」
「ま、まあ、そうと言えなくもないですけど……」
「そうか」
その一言で、私の心は殆ど決まってしまった。
「腹は決まった。女神よ、私を異世界とやらに送ってほしい」
申し訳ありません、父よ。
私は、あなたの跡を継ぐ事はできないようです。
その代わり、いつしかその異世界とやらで弟子を取り、その世界において死条一刀流を継承していきます。
それで、どうかご勘弁を。
「わかりました。最初にも言いましたが、あえてもう一度言いましょう。
歓迎しますよ、シジョウイン・リュウマ」
そうして女神は、この世のものとは思えぬ程に整った顔立ちに笑みを浮かべ、柔らかく微笑んだ。