19 遭遇
中層の魔物達を刀の錆に変えながらダンジョンを突き進み、中層最後の階層である地下19階層にまで到達した。
その頃には300を越える魔物を斬ったのだが、ガルドン殿から頂いた無銘の刀には、未だ欠片の刃こぼれすらない。
そこらのナマクラ刀では、どんなに上手く振るったとしても20~30人を斬るのが限界と言われているにも関わらず、この刀は人間よりも遥かに頑丈な魔物を何百と斬り続けても、その切れ味に衰えが見えぬのだ。
果たして、ガルドン殿の腕が化け物じみているのか、それとも、この世界の武具が特別なのか。
恐らく、両方であろうな。
そして、ここまで多少の休憩を挟みつつも、ほぼ戦い通しで来た。
にも関わらず、私は欠片の疲れも感じていない。
体力の数値を表す筈のSPも、満タンの状態から変化なしだ。
ナナ曰く、これは『超回復』の効果の一つらしい。
このスキルには、体力の回復効果も備わっているという。
……やはり貰っただけの力を振り回すのは気分が悪い。
だが、鑑定と同じ理由で、その不快感は飲み込む。
それでも、なるべく頼らないようにしようとも思ったが。
そんな調子でここまで来たのだが、そこで私は神秘的な光景を目にした。
「ナナよ」
「言いたい事はわかります。わたしもちょっと驚いてますから」
「そうか」
私とナナは、二人してその光景に目を奪われた。
地図によると、ここは19階層の端。
その地図におかしなマークが付けられていたので、確認の為にこの場へと足を運んだのだが、実際に目にしてみて初めて、そのマークの意味がわかった。
この場所には、巨大な滝が流れていたのだ。
あの激流に打たれれば、今の私でも洒落にならないダメージを受けるだろう。
しかし、それを差し引けば、あまり危険という訳ではなさそうだ。
周辺に魔物の気配はなく、地図にも注意喚起の文言は書かれていない。
恐らく、近づきさえしなければ、ただの綺麗な滝なのだろう。
後で滝行でもしに来るとしよう。
だが、今は先に進む。
滝を素通りし、地下20階層への入り口を目指して進む。
尚、20階層から下のダンジョン下層領域は、しっかりとした地図が作られていない。
並みの冒険者では対処できない化け物が複数彷徨いている為、そこまで精密な調査ができなかったそうだ。
そして、私は人生の殆どを剣術に費やしてきた武人であり、戦闘力にこそ自信があるが、地図のない場所を探索するなどといった、戦闘以外の事に対するノウハウなど勿論ない。
そんな状態で下層を突き進めば、遭難するのが落ちだ。
ナナの『マッピング』があるとはいえ、過信はできない。
故に、今日のところはダンジョンという場所に慣れる事を主目的とし、下層の雰囲気を僅かでも体験してから引き返す事になっている。
焦る必要はない。
剣の修行と同じく、一つずつ段階を踏んで進めばよいのだ。
そうして、今日の最終目的地である20階層への入り口を目指していた時、ふと見覚えのある者達を発見した。
「りゃああああ!」
気合いの掛け声と共に魔物へと挑みかかるは、狼のような耳と尻尾を持った銀髪の少女。
その相手は、私もこの中層で何度か出会った狼型の魔物、マーダーウルフ。
ーーー
マーダーウルフ Lv38
HP 1700/2013
MP 55/55
SP 2879/3300
攻撃 2900
防御 2682
魔力 21
魔耐 1779
速度 3010
スキル
なし
スキルポイント 380
ーーー
ライオン並みの体格で、チーターの如く俊敏に動く魔物だ。
中層の魔物の中では間違いなく上位に入る強さを持つだろう。
そんなマーダーウルフを相手に、狼少女は危なげなく戦っていた。
マーダーウルフが本能のままに突進し、前足の爪を狼少女に叩きつける。
それを狼少女は横に跳躍する事で紙一重で避け、反撃に手に持った刀でマーダーウルフの側面を斬りつける。
鮮血が舞った。
だが、マーダーウルフの体毛は硬く、致命傷にはなっていない。
惜しいな。
今の一撃、斬りつけ方によっては、もっと深く斬れただろうに。
それこそ、マーダーウルフの体表と筋肉を裂き、臓物にまで届く程に深く。
しかし、狼少女の攻撃は、ただ刀を叩きつけただけに等しい。
あれでは剣道の打突だ。
刀の切れ味をまるで活かせていない。
「ガウッ!」
マーダーウルフが反撃に首を伸ばし、その牙で狼少女に噛みつこうとする。
狼少女は体を仰け反らせ、またしても紙一重で避けた。
……洗練されているとはお世辞にも言えぬ動きだ。
敵の攻撃を予測している訳でもなく、次の動きに繋げる為の動きで避けている訳でもない。
ただ、その場その場で反射的な動きで避けているだけ。
だが、筋が良い。
身体能力も高く、反射神経も優れている。
戦闘技術は未熟の一言だが、天性のセンスと野生の勘が合わさったかのような独特の動きで、身体能力的には格上のマーダーウルフを相手に互角以上に戦えている。
惜しいな。
あの少女が正式な武術を学べば、かなりの強者になれるだろうに。
正直、死条一刀流の門下に欲しいくらいだ。
「弟子にしてみたいものだな」
あくまでも、私が他者に教えられる程に技の改良を済ませてからの話だが。
「いやー……それは無理なんじゃないですかね?」
「む? 何故だ?」
「それは、あの人を鑑定してみればわかります」
ナナは、とてつもなく渋い顔をしながら、そう言った。
だが、それはできぬ相談だ。
「ならん。相手が先に仕掛けてきたなどの事情があるならばともかく、そうでない者に対して勝手にステータスという個人情報を覗くなど、恥ずべき行いだ」
「……いや、まあ、確かにそうですけど。リュウマさんて、変なところで律儀ですよね」
律儀ではなく、常識の範疇だと思うが。
それとも、この世界では勝手に鑑定を仕掛けるのは普通の事なのだろうか?
思い返せば、エドワルド殿にも、ガルドン殿にも、斎藤にも勝手に仕掛けられていたな。
もしそうだとすれば、少々認識を改めるべきか?
「……って、ちょっと待ってください。リュウマさん、一回わたしに無断で鑑定仕掛けましたよね?」
「お前に遠慮する必要はないと思っている」
「リュウマさんは、わたしをなんだと思ってるんですか!?」
それは、私がいつもお前に対して思っている事だ。
「ま、まあ、それはともかく。今はあの人の説明をしてあげましょう。
あの人の首に首輪が付いていのが見えますか?」
「ああ」
「あれは奴隷の首輪です。魔道具の一種で、あれを付けられた状態で特殊な契約を結ばされると、主人として登録された相手に逆らえなくなるんですよ」
「……それは許されているのか?」
「……はい。殆どの国では社会システムの一つとして扱われてしまっています。悲しい事に」
……そうだったのか。
地球でも、昔は奴隷というものがいたという。
そして、それが社会に許された正式な法であると言うのならば、私にどうこうする事はできぬ。
「奴隷が解放される事はあるのか?」
「主人がそれを認めれば解放されますが、そういったケースは稀です。奴隷とは基本的に物扱いですから」
「……そうか」
つまり、あの狼少女を弟子に取りたくば主人の許しが必要であり、よしんば弟子にできたとしても、主人の支配下にあるという事は変わらない。
私がどんなに心血注いで育てようとも、後継者にする事もできず、主人の機嫌一つでどうとでもなってしまう。
本当に惜しいな。
せっかく見つけた逸材だと言うのに。
しかも、主人と思われる者がアレだ。
「《ソニックアロー》!」
マーダーウルフ目掛けて、淡い光の塊のような矢が飛来した。
しかし、それは避けられ、それどころか狼少女の攻撃を邪魔する始末。
それを打った者は、かなり離れた位置で苛立たしげに舌打ちをした。
「おい! ちゃんと引き付けておけよ!」
しかも、明らかに自分の過失であろうに、それを狼少女のせいにしている。
私に弓兵の戦い方なぞわからんが、それでも奴、斎藤の戦い方が下手な事は見てわかる。
斎藤がしている事は、離れた位置でまんじりとも動かず、ただ適当に矢を打つばかり。
一応狙いはつけているようだが、タイミングはバラバラで、マーダーウルフの隙を突く事もできず、援護としても機能していない。
矢の速度と威力だけは驚異的だが、それも当たらなければどうにもならん。
「ワォオオオン!」
矢に危険を覚えたのか、マーダーウルフが狼少女から斎藤に狙いを切り替えた。
その隙を突くように狼少女が動くが、またしても斎藤に邪魔された。
「《スプレッドアロー》!」
斎藤の弓から、まるでシャワーのように無数の光の矢が放たれる。
普通の弓矢ではあり得ない光景。
恐らく、スキルによる攻撃。
先程の矢より威力も速度も落ちているようだが、その分、攻撃範囲が広がっている。
その広がった攻撃範囲に狼少女も入っていた為、慌てて回避するしかなく、マーダーウルフへの追撃に失敗した。
一方のマーダーウルフは、大きく横へと跳ねて矢を避けようとしたようだが、さすがに攻撃範囲から離脱する事はできず、何本かの矢がその体に突き立った。
だが、威力が落ちていた為に、仕留めるまでには至らない。
マーダーウルフはダメージを無視して、斎藤に向かって再度突撃を敢行した。
「バカが! いい的なんだよ! 《炎の矢》!」
そんなマーダーウルフ目掛けて、今度は炎の矢が飛来する。
しかし、マーダーウルフはこれを避けた。
野生の動体視力を遺憾なく発揮し、顔を半分削られるも直撃は避け、走る足を止めない。
ほう。
獣にしておくのが惜しい根性だな。
「やばっ!? サクヤ! 俺を守れ!」
「ガウッ!」
「ぐっ!?」
サクヤというのが名前なのか、命令された狼少女がマーダーウルフの前に飛び出し、刀を盾に無理矢理マーダーウルフの突撃を止めた。
「《曲射》!」
そうして動きの止まったマーダーウルフを、斎藤が弧を描いて飛翔する矢で上から撃ち抜き、ようやくマーダーウルフは沈黙した。
……マーダーウルフ一体にああまで手こずるとはな。
技術もステータスも足りていない狼少女は仕方がないとしても、斎藤、貴様それでも勇者か。
私より遥かにLvが高いにも関わらず、驚く程弱い。
「はぁー、危なかったー。サクヤ、お前もっとちゃんとしろよ。なんの為の前衛だと思ってんの? マジ使えねぇな」
身体も心もな。
そして、醜い。
あのような者が主人では、狼少女も大変であろう。
せっかく才能を持っているというのに、それを発揮する事も磨く事もできず、無能の下で飼い殺しにされる、か。
いと哀れ。
心底同情する。
「ん?」
どうにかして、あの狼少女を斎藤から解き放つ方法はないものかと考え出した時、何かの気配を感じた。
気配感知のスキルだけでなく、私の武術家としての勘が告げている。
こちらへ凄まじい速度で向かって来る、強者の気配を。
見れば、狼少女も野生の勘か何かでそれを感じているらしく、私と同じ方向を向いていた。
「? どうしました?」
「なんだよ? どうしたんだよ?」
離れた位置で、ナナと斎藤の声が重なる。
どうやら、この二人は感じていないらしい。
だが、そこからほんの数秒としない内に二人も理解したらしい。
その更に数秒後には、気配の主が現れた。
斎藤と狼少女の真正面から。
「━━━━━━━━━!」
襲来したのは、体調10メートル以上はあるだろう巨大な魔物。
その魔物が、声にならない声を出す。
牙を擦り合わせるような不快な音を発する。
鳴き声の代わりか、威嚇の代わりか。
そして、その魔物の特徴を一言で述べるのならば、蜘蛛だった。
マダラ模様をした、巨大な蜘蛛。
咄嗟に鑑定を使う。
ーーー
ジャイアントスパイダー Lv69
HP 8888/8888
MP 4044/4044
SP 5021/9599
攻撃 7511
防御 6998
魔力 3386
魔耐 6770
速度 8005
スキル
『蜘蛛糸:Lv19』『毒牙:Lv40』『毒液射出:Lv39』
スキルポイント 690
ーーー
それは、今回私が狙っていた魔物。
ダンジョンの下層にしか生息していないと聞かされた怪物に他ならなかった。




