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さよなら噛みつきヒーロー  作者: ゆらゆらゆらり
8/23

カーニバルもフィナーレだよ

 スタンドにも多くの人がいるが、馬場に面したスタンドの下には、もっと多くの人が集まっている。

 観客の見つめる先にはスタートゲートがあり、ゲートの後ろでは馬たちが騎手を背に、引き綱を引かれて円を描くように輪乗りをしている。


 このスタートゲートの位置はレースの距離によって、それぞれの場所に移動される。そして、今日の最終レースである千ハ百メートルのスタート位置は観客の正面で、時計回りに一周と少し走ったところがゴールとなる。


 観客たちのボルテージは、頂点に近づいている。ファンファーレも鳴り終わり、馬たちがゲートに入るのを、ワクワクしながら見守っている。


 ☆


 貫太郎はスタンドの横に立っていた。そこにはレースを終えた馬たちが全て集まってくる。

 マサルもレースが終わればここに戻ってくる。だから、本来なら引き綱を手にマサルを迎えるはずだが、今は何も持たずに立っている。

 パドックの出来事に関して調教師に厳しく叱責され、本来の業務から外されていた。


 その年下の調教師の言っている事は全て正しかった。だから、貫太郎は黙って素直に聞いていた。でも、最後に言った言葉には素直に従うことができなかった。


「もういいです。今日はこのまま帰ってください」


 その言葉には従えず、今ここに立っている。そして、眺めるように馬場へと視線を向けている。輪乗りを続けるマサルを見つめている。


 ~マサルが輪の中から外れ、一頭だけゲートに誘導されている~


 ☆


 奈々子はスタンド下に立っていた。初めて生で競馬を見る奈々子はできるだけ近くでレースを見たくてスタンド下にやってきていた。


 返し馬(レース前に馬場を軽く走るウォーミングアップ)を終えた馬たちはほんのり汗をかき、照明で馬体が輝いている。


 もっと近くでお馬さん見たい。そう思うのだが、人の多さに圧倒され、前に進む勇気がでない。

 立ち止まる奈々子の横をさらに人が流れていき、人の頭で視界がさえぎられていく。人を避け、なんとかお馬さんが見えるところへと、移動していると、いつのまにか端のほうまで来ていた。



 スタンド下やゴール前、スタート地点付近には人があふれていたが、ここはガラガラである。

 レース後には、奈々子も知ることになる。ここが空いている理由――ここからではゴールが遠いので、馬の着順が全く分からないのだ。

 柵前(馬場の目の前)に立つ奈々子、その横は引き込み口になっている。ゴールした馬たちはそこを通って、馬場からスタンド横へと引き上げていく。

 その場所に白髪男性の姿がある。馬場への出入り口から身を乗りだすようにして、スタート地点を見つめている。



 奈々子は手にある馬券に目を向けた。

【マサル】

 しっかりとその名が印刷されている。

 奈々子は首を伸ばし、背伸びをしながら、離れたところにあるスタート地点へと視線を送った。

 馬たちがグルグルと規則正しく並んで回っている。奈々子はマサルの姿をさがした。まるちゃんが教えてくれた言葉を頭に浮かべながら、


「芦毛はマサルだけか。高齢馬だから、白くなっているだろうし。これはいいねぇ! レースを見る時は白い馬を見てれば大丈夫だよ。それがマサルだから」


 新聞を見ている時に教えてくれたその言葉は、彼の大きな体と同じように頼りになった。その真っ白な馬体は、どの馬よりライトで輝き、すぐに目に入ってきた。


(彼氏と同じ名前の君に全てをゆだねます。君が勝ったなら今までどおり〝まさる〟と付き合い。君が負けたなら……)


 なんとなく流され生きてきた奈々子の、ふとした思いつき。くだらない賭け。でも――これは真剣勝負。


 運命の神様! あなたの答えは?


 ~マサルが輪の中から外れ、一頭だけゲートに誘導されている~


 ☆


 マキが一生懸命背伸びをしている。でも、周りを人に囲まれて、まったく馬が見えていないようだ。


「ほら、あっちのほうが空いてそうだから、あっちに行こうか」


 坂本の言葉にマキはうなずいた。

 あいかわらず沈んだ表情だったが、なんだか会ってすぐの頃とは違ってきている気がする。とにかく、この子の表情を見ていると父親への怒りがこみ上げてくる。


 マキの手を握り、この子の父親のことを考えながら歩いていた。

 ふと気付くと、周りには人がまばらにしか見当たらない。どうやら端のほうまで来てしまったようだ。


 マキがなんだか不満そうな表情で坂本を見上げてくる。


 表情を?


(おう、そうか! 表情だ。さっきまでは無表情だったけれども、表情がでてきてるぞ。少しだけど……)


 坂本は少しだけホッと胸をなでおろした。とにかく、あの無表情さは本当に胸が苦しくなる。


 マキは顔を坂本から馬場のほうへと向け、必死に背伸びをしている。人が周りからいなくなったとはいえ、遠く離れてしまったので、よく見えないようだ。しかも、目の前の柵はマキの背ほどある。

 白ウマのぬいぐるみを抱えて、飛び跳ねたりしている。


 その姿に、思わず微笑んでしまう。

 子どもらしさが戻りつつある気がする。今度は笑顔だって見てみたい。


 坂本はマキの後ろにまわり、両手を脇に入れると、高々と持ち上げた。そして、肩へと乗せた。


「うわぁー」


 なんだか、そんな声がしたような気がした。笑顔が広がる楽しそうな声がしたような。


 ~マサルが輪の中から外れ、一頭だけゲートに誘導されている~


 ☆


 健太はファンファーレを耳にしながら、スタンド下に立っていた。

 周りには数えるほどしか人の姿はない。普段なら最終レースはゴール前で、常連客と一緒に見ることが多かったが、今は人が少ない端のほうに立っていた。


 紳士の言葉を聞いて、心はだいぶ救われたが、どこかでまだ引っかかっている。足は自然と人が少ないほうへと向かっていた。


 まるで魚の小骨が引っかかっているようだ。

 その小骨は気になってしょうがなく、飲み込もうとしても、飲み込むことができない。きっと、そんな小さな骨はほっておけば、知らないうちになくなるだろう。でも、やっぱり気になってしょうがない。


 顔を上げると、近くにいる若い女性が馬場を見つめている。

 その近くにいるのは親子だろうか? 女の子が肩車をされながら馬場を見つめている。


 健太は彼女たちと同じほうに視線を向けた。


 ~マサルが輪の中から外れ、一頭だけゲートに誘導されている~


 ☆


 信一はフラフラと歩いていた。

 頭は〝後悔〟と〝謝罪〟の気持ちで埋めつくされている。

 彼の中で胸のポケットにある馬券、それはすでに【ハズレ馬券】になっている。マサルが勝つことなどありえない。そう確信しているから……。


(この二十万のために、父さんはどれだけ魚を売ったんだろう。母さんはどれだけ「ありがとうございます」ってお客に頭を下げたんだろう。俺はどれだけ二人を裏切ってきたんだろう。何をするために東京にきたんだろう。親は俺の何に期待しているんだろう。俺はどうなりたいだろう)


 茫然としたまま、人をよけながら歩いていたら、スタンド下の端まできていた。目の前に柵があるから、足が止まったといった感じだ。


 今、誰もが砂舞台の上にいる役者たちに目を向けている。


 ~マサルが輪の中から外れ、一頭だけゲートに誘導されている~

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