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さよなら噛みつきヒーロー  作者: ゆらゆらゆらり
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OL――奈々子

 奈々子はバスをおりると戸惑っていた。

 終点でおりたところが競馬場だったからだ。

 大井競馬場行きのバスに乗ったのだから、終点まで乗れば、大井競馬場に着くのは当然のこと。でも、奈々子は途中の品川駅前でおりる予定でいたのに……。


 奈々子には、短大の頃から付き合い始め、もう五年付き合っている彼氏がいた。彼は誰もが認めるような〝イケメン〟であり、自慢の彼氏だった――だった。そう、過去形。


(今も、本当に自慢の彼氏だろうか……? 彼には他にも女の人がいるようだし。それに……)


 今日は会社帰りに、彼と会う約束をしていた。もし約束どおり品川駅前で待っていれば、彼はやってきて、どこかで食事をし、ホテルに行っていただろう。

 そして、彼はいつものようにベッドの上で「ごめん。悪いんだけど」と言い、奈々子は文句を言いながらも何枚かのお札を渡していただろう。


 奈々子は、別れようといつも思っているのに、結局、言いだせずにいた。いや、言いださずにいる。


(なんで?)


 時々、そう問いかける自分がいる。

 カッコイイ彼氏がいるという見栄だろうか。

 それもあるだろう。

 でも、ただ時に流されているだけのような気がする。どうしようもない彼なのに、なんとなく別れずにいるだけのような……なんとなく言わずにいるだけのような……。


 自分でもよく分かっている。今までいつもそうだったから。今までの人生が、なんとなく周りや、時に流されてきたから。


(いつからこんな自分になったんだろう。きっと、私はこのままずっと時に流されていく……)


 だから、バスの中で近くのおばあさんが財布から幾枚かの小銭を落としたときも、誰かが拾い始めたから、なんとなく一緒に拾い始めた。そして、一緒に落としたというお守りが見当たらないというから捜した。

 品川駅前にバスが到着しても、まだ見つからず、周りの人がさがしていたから止めなかった。そして、なんとなく終点に着いていた。


 なんとなく、なんとなく、なんとなく……。


 おり立った奈津子が、ふと視線を送ったその先。競馬場入口から覗くイルミネーションに引き込まれるように、中へと吸い込まれていく。


 場内の木々や壁がオシャレな光のアクセサリーをつけてもらい、うれしそうに輝いている。スタンドや建物が色を変えながら輝き、微笑んでいるようだ。

 そんな光の世界に包まれ「うわぁー」という声が自然と漏れていた。

 暗闇と光の中で人々の笑顔が弾けている。体から力がドンドンとあふれだし、心が躍りだしていく。なんだか胸の中が子供の頃のように、はしゃいでいた。


「なんか夜の遊園地みたい」


 キョロキョロと周りを見渡した。そして、遊園地とは明らかに違うことに、すぐに気付いた。

 それは、楽しそうにビールを飲んでいる人も、おいしそうに食事を楽しんでいる人も、会話を楽しんでいる人も、話題は同じであるということ。

 そう、競馬が全ての中心。


「せっかくだから、私も買ってみようかな」


 信じられないことを呟いていた。

 普段の奈々子なら自分から未知の世界に足を踏み入れることなんてない。

 この光景と雰囲気が、奈々子を興奮させ、そんなふうに思わせたのだろうか……光に導かれて、好奇心いっぱいだった子供の頃に少しだけ戻ったのかもしれない。


「よしっ」


 自分に気合いを入れ、馬券を買いに行こうと――足が進まない。

 競馬なんてしたことないし、競馬場も初めて。当然、どこでどうした馬券を買えるのか、全く分からない。


 分からないのなら仕方がない。いつもならやめてしまうのに今は――周りを見回し、雰囲気で馬券の売っていそうなほうへ、足を進めていた。


 今日の奈々子はひと味違う。感覚も冴えている。

 ちゃんと馬券を購入できる機械の前まで来ていた。しかし、そこからが問題だった。とにかく競馬は馬が競争するとしか知らない奈々子には、買い方も何も分からない。でも、足が出口に向かうことはなかった。


 とりあえず、銀行のATMのような機械で、馬券を買っている人を覗き見た。

 どうやら、お金を入れて、その後、手の平くらいの紙のカードを入れているようだ。


「まずは、紙のカードか」


 近くに置いてあるカードを手に、


(これをどうするの?)


 一難去って、また一難。

 それはマークシートになっており、数字を塗りつぶすようだ。でも……思わず顔を上げ、キョロキョロとしていた。


「どうしました?」


 奈々子の横で機械の上にあるモニターを見上げていた男性が声を掛けてきた。

 彼は会社帰りのようでスーツを着ている。彼を包んだスーツは『もう、無理です』と言っていそうなほど、横に引っ張られている。手にはタオルを持って、走ってきたのか、息が少し乱れている。顔は赤く、汗が噴きだしている。


 はち切れそうだが、きちんとスーツに身を包んでいるのに銭湯帰りのようにタオルで顔を拭いている姿に、奈々子は思わず微笑んでしまった。


 奈々子より少し年上だと思う、その男性は奈々子の視線がタオルに向けられていたので、


「いやー今日は暑いっすよね」


 微笑みながら汗を拭い、タオルを奈々子の目の前に広げた。


【ぽっちゃりの友】


 奈々子はタオルに印字された文字に思わず吹きだしてしまった。


「我々にとって夏はタオルが必須アイテムです。ハンカチなんかじゃ、役不足です」


 男性はハキハキとした口調でそう言うと、まん丸顔から目がなくなり、白い歯が現れた。 


「あっ、それよりどうしました?」

「あの……買い方が分からなくて」

「あー、買い方ねっ。どの馬、買いたいですか?」

「どの馬? それも分からなくて」

「えっ」彼の動きが一瞬止まったがすぐに、微笑みながら「そっか」と言い、手にしている競馬新聞を指し示しながら、


「ほら、ここに載っている好きな馬の番号を選らんで、マークシートの数字を塗りつぶせばいいんです。たとえば、三連単なら――」


 馬券の種類から丁寧に説明してくれた。


「んー、二頭とか三頭とか選ぶのって難しいですね」


 奈々子が首を傾げると、


「じゃあ、単勝がいいですよ。一着にきそうな馬を一頭だけ選んで買えばいいから」

「ん。それにしてみようかな」

「よしっ、どの馬にします?」


 男性は楽しそうに競馬新聞を奈々子の前に差しだしてきた。その表情が本当に楽しそうだったので、奈々子の気持ちもワクワクしてくる。

 改めて競馬新聞とやらに目を向けたが、細かい字で書かれた数字や記号で頭が混乱しそうだ。


「いきなり新聞見ても難しいですよね」


 笑顔で彼が言うと、奈々子は苦笑いしながらうなずいた。


「それなら、馬の名前とか、好きな数字とかで選んでもいいと思いますよ」

「そうですね」


 新聞に書かれた馬の名前に目を向ける。

 すると、一頭の馬の名前に目が止まった。

 奈々子が新聞を見つめたままだったので、選べずに困っていると思ったのか、


「ちなみに、お勧めは8番の馬なんですけど。この馬がきっと一着にくると思いますよ」


 奈々子はあいかわらず新聞を見つめている。


「お勧めだと思うけど……8番の馬」


 男性がもう一度言うと


「えっ、ごめんなさい。なんて?」

「いや、8番の馬なんていいんじゃないかなと思って」

「そうなんですか。でも、この馬にします」


 奈々子が指差したところに目を向けた彼は、本当に困ったように苦笑いを浮かべ、


「その馬だけは(一着に)きませんよ。その馬は力がもう衰えてしまっているし、隣の8番のほうがいいんじゃないかな?」

「そうなんですか。でもいいの。この馬にします」


 そう言いながら、笑顔を彼へと向けた。


「よしっ、分かった! じゃあ、まずマークシートのここを――」




 奈々子は機械からでてきた馬券を手にし、視線を向けた。そこには9番の数字とともに【マサル】という名が刻まれている。


「やっぱり、この馬だけはこないと思うな」


 横から馬券を覗き見た男性から、そんな声が聞こえてくる。


「そうですか? でもいいの。百円だけだし」

「そっか……」


 ちょっと困り顔の彼に、奈々子は思わず微笑んでしまった。


「あっ、やべぇ。友達を待たせていたんだ。それじゃあ」


 彼は慌てて走りだした。


「ありがとうございました」


 走りだした男性に声を掛けると、彼はいったん立ち止り、振り返って、


「そうだ。もしマサルが一着にきたら、あそこで踊っちゃうから観に来て」


 男性が指差した方向には、イベントやミニコンサートに使うのだろうか。野外ステージらしきものがある。

 奈々子が、ステージから彼のほうへと目を戻すと、そこにはまん丸顔いっぱいに笑顔を広がっていた。

 男性は白いタオルを握った手をあげ、二、三度振ると、大きな体なのに軽やかに走り去っていった。


(ありがとう。まるちゃん)


 自然とそんな名前で男性のことを呼んでいた。そして、姿が見えなくなると視線を馬券へと向けた。

【マサル】という文字が目に映ってくる。


(まさるは今、品川駅にいるだろうか? いや、いつも約束の時間に遅れてくるから、きっと、まだ……)


 彼氏と同じ名前が新聞にあった時、運命的なものを感じてしまった。と同時に、奈々子はあることを決意していた。


 奈々子は人々の流れが向かっている本馬場のほうへと歩きだした。






 まるちゃん。あの女の人の事を……思わずニヤけてしまう。

 と突然、男の人の大声が聞こえてきた。

 ボクは気になり、声のほうに近づいていくと若い男の人が競馬場の係員を相手に怒鳴っていた。列に並んでいる人は好奇の目を彼に向け、警備員も数人集まってきた。

 ボクはその若い男の人が気になり、気持ちを集中させると、心を覗きこんだ。そしたら見えてきた。心の中が。

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