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さよなら噛みつきヒーロー  作者: ゆらゆらゆらり
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ハンバーグ店・店主――坂本

 坂本の横を人々が流れていく。

 川の小さな中州に残された空き缶は、周りを勢いよく水が流れていても、飲み込まれることなくポツンと立っている。坂本はそんな空き缶のように人の流れに飲み込まれることもなく立っていた。

 そして、馬が去り、寂しさの残るパドックを見つめていた。


(もう終わってしまう)


 胸の中で何度もその言葉を繰り返していた。

 小さい頃から夢見て、やっと手に入れたモノが消えようとしている。


 連帯保証人――その言葉が坂本を圧しつぶそうとしている。


 坂本が経営するハンバーグ店は、こだわりの国産和牛を使ったハンバーグで人気店として十年以上も続いていた。

 高校卒業後、誰に頼ることもなくアルバイトをしてお金を貯め、やっと持つことのできた店であり、いろいろ店を食べ歩き、やっと作りだした手造りハンバーグだった。


 この店が人生の全てだった。


 親友がやってきたのは、突然だった。

 高校時代、たった二人しか男がいないバトミントン部で、一緒に汗を流し、涙を流し、笑いあった親友。そんな彼が久しぶりに現れ、泣きながら頼みこんできた。

 坂本は友の言葉を信じ、目の前の書類に判を押していた。


 やがて、親友は消え、利子で膨らんだ膨大な借金だけが、連帯保証人の坂本へと圧しかかってきた。

 必死に積み上げてきた積み木だったのに、ほんの少し力が加えられただけで、脆くも崩れてしまった。


 人生をかけて積み上げてきたのに……。


(俺の人生はもう終わってしまう。人生の全てをかけた店も消えてしまう。かけがえのない高校生活を共に過ごし、掴んだ友情だったのに……)


 閑散としているパドックを見つめながら、怒りや悲しみで体が震えだしそうだった。そんな中、背後から若者たちの声が聞こえてきた。


「これが一着でこれが二着だったら、百倍だって」

「マジで! 超金持ちじゃん」


 ふと気付く。自分がこんなところにいる意味に。


(あのしっかり者だった親友を狂わせた競馬。俺の積み上げてきた全てを奪おうとしている金。その復讐のためにここにいるんだ)


 何をどう復讐するのか、坂本自身分かっていない。何をすれば、復讐になるのかさえ。

 大金を手にする――それが復讐だとぼんやり思っていた。それが金という魔物に勝つことだと。


 でも、ほとんど競馬をやったことのない坂本には、さっき買ったこの競馬新聞とやらが理解できない。

 以前、何度かは馬券を買ったことがあったが、その時は一緒に来た人をまねて買っていたから、競馬新聞なんて見ていなかった。


 だから、とりあえず人が集まるここ(パドック)へと足が向いていた。

 ここで歩く馬の姿を見れば分かる――わけがなかった。


 ぼんやり眺めていると、閑散とする中、馬がいなくなったパドックを見つめる小学校低学年くらいの女の子の姿が目に止まった。


(もし、この子を誘拐したら、大金が手に入るだろうか……? もし、大金が手に入ったら借金も返済できるし、店も手離さなくて済む。そしたら、俺の人生は取り戻せる! 俺の家族だって救われる)


 頭の中は、どの馬を買ったらいいのか分からずパニックを起こしていたのだろうか。

 借金返済を迫られた時に、すでに狂っていたのだろうか。

 思考は最悪の方向に向かっていた。


 坂本は女の子の周りに目を向けた。周りには親らしき人影は見当たらない。それを確認すると一歩ずつゆっくりと近づいた。


(まずは近づいたら声を掛けるだろ。んっ……どうやって声を掛けるか……?)


 足が止まる。

 何かいい方法はないかと周りに視線を走らせると、売店が目に止まった。


「あれだ!」


 思わず声がでる。

 自分の声に驚き、キョロキョロしながら周りを確認した。

 坂本に目を向ける者は誰もいない。女の子が振り返ることもなかった。


 名案をもって急いで走りだす。


 ぬいぐるみ=女の子は好き。

 男の子の親ではあるが、女の子は育てたことのない四十男。しかも、仕事が忙しくて子育てにあまり関わってきていないであるがゆえの単純な発想だ。


 坂本は売店で一番目立つ【白いウマ】を手にした。

 そして、駆け戻る。




「こんにちは」


 女の子が背後から聞こえた声に後ろを振り返った。

 目の前に立つのは怪しいおじさん。

 当然、女の子の顔がひきつっている。

 坂本はしゃがみこむと、手にしている白ウマのぬいぐるみを前に突きだして傾け、


「こんにちは」


 もう一度、精一杯かわいらしい高い声をだしてみた。


 女の子は飛び上がって喜び、白ウマに笑顔を向けた――そんなわけはなかった。


 無表情で坂本の目を見ている。

 それでも何かを探るような引いた声ではあるが、「こんにちは」という声が返ってきた。


 想像と違って嫌な空気になっている。

 これはまずい、と慌てて言葉を足した。


「だっ、だれと来たのかな?」

「パパときた」


 たんたんとした答え。顔からも言葉からもまったく感情が伝わってこない。それでも言葉が返ってくるということは、脈はある。


「パパはどこに行ったのかな?」

「しらない」

「知らないって……」


 この無感情な受け答えに、坂本は不安になってきていた。さらに女の子は、


「マキ、すてられたの」


(捨てられたって……競馬場に?)


 不安が増幅していく。何がなんだか分からない。


「えっーと、マキちゃんって言ったよねぇ」


 マキがうなずく。


「マキちゃんを置いて、パパがどこかに行っちゃたってこと?」


 再びうなずいた女の子は、肩から襷掛けにされた小さな鞄を開け、メモを取りだし、差しだしてきた。


「なにかな?」


 涙を見せることもなく相変わらず無表情の女の子に、恐怖さえ感じ始めながらも、メモを受け取り広げると、そこには何やら数字が書かれている。


 電話番号?


「パパが言ってた。セイフクをきている人に、『まいごになりました』って言って、それをわたしなさいって」


 迷子? それで電話番号ってどういこと?


「これ(メモ)は?」

「たぶん、おばあちゃんのところだとおもう」

「じゃー、おばあちゃんが迎えにきて、後でおばあちゃんのところにパパが迎えにくるのかな?」

「ちがう。パパはもうこない」


 無表情だった女の子が、一瞬唇を噛みしめた。


「どうして、そう思うの?」

「ごめんな。さよならっていってた」

「でも、それなら後で、迎えに来るんじゃない?」

「もうこない。パパはもうこないよ」


 女の子はまるで他人事のように、投げ槍に言い切った。


(この子の父親は本当にこの子を捨ててしまったんだろうか……? もし、そうであるなら最低だ。最低最悪の親だ)


 坂本の頭の中から、誘拐計画なんてものは、すでにどこかに吹っ飛んでいた。


 マキに目を向けると、泣くこともなく無表情で坂本を見つめてくる。なんだか胸が締め付けられるように苦しい。


(この子は、自分の置かれた状況をどれだけ理解しているのだろう……?)


 思わず、自分の格好に目がいく。

 借金のことで金融会社に行ってきたままのスーツ姿だ。


(おそらく、この子の父親は制服を着た〝警備員〟にでも、これを渡せと言いたかったのだろう。だが突然、声を掛けられて、俺のスーツでも制服に見えて……いや、格好なんてどうでもいいんだ。誰でもいい。とにかく助けを求めているんだ。無表情な顔の奥できっとこの子は泣いている)


 坂本はこの子が捨てられてしまったんだと確信していた。

 胸の中に怒りがこみ上げてくる。

 捨てる理由がなんだか知らないが、とにかくこの子の父親が許せない。怒りの中で、ある考えが頭に浮かんだ。

 メモをそっと胸のポケットへとしまい、


「マキちゃん。おいで」


 微笑みながら手をだすと、マキは素直にその手を握ってきた。

 マキのすがりつくような気持ちが、手に込められた力から伝わってくる。

 坂本はしっかりと握り返し、競馬場の出口に向かって歩きだした。




 出口が近づくとマキの足が急に止まり、つながれていた手が引かれた。

 坂本はその変化に足を止め、マキに見ると、


「ねぇ、さっきの白いおうまさん、はしるの?」


 マキの言葉が一瞬分からなかったが、


(確か、あの狭い陸上トラック――パドック――みたいなところを白い馬が歩いていたような……)


「うん、たぶん走るよ。あっちで走るよ」


 坂本が後ろのスタンドに目を向けると、マキも振り返った。そして、じっとスタンドを見つめている。

 しばらく待っても、マキの視線が動くことはなかった。


「走るの見たい?」


 坂本の問いかけにマキはスタンドを見つめたまま、うなずいた。


「よし! 見に行こう」

「うん」


 坂本はマキの手を引いて、スタンドに向かって歩きだした。

 少しマキの表情が緩んだ……そんな気がした。


 坂本はスタンドに向かいながら、一旦足を止めた。


「ちょっと待っていて」


 マキをその場に置いて走りだした。


 やがて、戻ってきた坂本。彼の財布の中には馬券がある。

 馬券発売機の所で、近くの人に「白い馬は何番?」と聞き、教えてもらった馬の馬券が、お札に混じって入っている。


【マサル】と印字された単勝馬券。


 坂本は「お待たせ」と言うとマキの手を取り、再び歩きだした。


「ハイよ!」


 手に持っていた白ウマのぬいぐるみを渡すと、


「ありがとう」と言って、坂本を見上げてきた。

 その見上げてくる顔に、思わず微笑む。マキの表情が緩み、一瞬だが今度は間違いなく微笑んでいたから。






 ボクはスタンドへと消えていく二人の姿を目で追っていた。


 どうするんだ? 


 ボクには男の心の中がしっかりと見えていた。だから、あの男が一度は吹っ飛ばした誘拐計画を再びしようとしていることも、ちゃんと分かっていた。

 その誘拐の目的が〝金のため〟から〝救いのため〟に変わり、父親を懲らしめようとしていることも。


 それに、女の子の心の中もちゃんと見えていた。だから、女の子が何を考えているのかも、ちゃんと分かっていた。


 さて、どうなるんでしょう……?


 それにしても、人間も大変だねぇ。

 お金なんてものに振り回されちゃって。特にここに来る人は、お金に関してはいろいろ振り回されている人もいるんだよねぇ。お金によって人が変わってしまったり、関係が壊れてしまったり、ついには消えてしまったりするのを見ると、本当につらいよ。


 でも、勘違いしないでね。競馬を楽しんでいる人のほうが断然多いんだから。ほら、あっちもこっちも笑顔がいっぱいだ。


 そんな中、ひとりの男が目に止まった。

 その男は屋根付きの小さな台上でうなだれている。屋根の下の蛍光灯に照らしだされ、スポットライトを浴びる悲劇の主人公のように浮かび上がっている。




 男は、一畳ほどの屋根付き台の上にいた。場立ちといわれる公認の予想屋が立つ台だ。

 普段、その男はこの予想台の上で口上し、10×5センチ程度の紙に予想の数字をハンコウで押して、お客に二百円で売っている。

 大井競馬場では、三十ほどの予想台が場内にあり、その周りにはお客が集まっている。

 この競馬場の予想屋には決まりがあり、ひとレースごとに、自分が売った予想を、予想台の壁に張ってある規定の紙に発表しなくてならない。


 予想が当たると発表された予想の数字の目を強調するように、赤いマジックで囲むので、その紙を見れば、誰にでもすぐに、その予想屋の今日の成績が一目瞭然である。

 

 予想屋は人それぞれ予想の仕方やスタイルは様々だが、誰もが自分なりの方法で、信念をもって予想を売っている。




 ボクはうなだれている男が気になり、気持ちを集中させると、その男の心を覗きこんだ。そしたら見えてきた。心の中が。

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