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季節ハズレの新生活〜1〜

「ん…ぅん……」


ピロリロリン、ピロリロリン。

何処か間の抜けたアラームの音で鶫は目を覚ました。音の発信源を見れば己の携帯。こんな音だったっけ?と内心首を傾げながらも、鶫はそれを止めた。

寝ぼけた頭を振って布団から這い出し、何処か違和感のある気がする部屋を眺める。しかし、何が違うのか分からずに欠伸を噛み殺してドアを引けば、ふわりと香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。なんの匂いだろうか、と辺りを見回せば見覚えのない景色。


「…あれ?僕ってこんなに記憶力悪かったっけ…?キッチンは…どっちだっけ?」


左右に伸びる廊下をキョロキョロと見回してどちらに行くべきか考える。んー?と唸って首を捻っていると、不意にツンツン、と肩を突かれた。なんなんだ、とそちらに目を遣ればひょろりとした真っ黒な手が宙に浮き、あっちだよ、と言わんばかりに指を指していた。


「あ、あっちか。ありがとう。」


手の誘導に従って歩き出して数歩。鶫の足は床に縫い付けられたかのように止まり、鶫は電池切れのロボットの如く、ピタリと止まった。「ん!?」という妙な声と共に。

ぱっと後ろを振り返って見てもそこには何もなく、ただ静かな廊下が伸びて少し先に壁が見えるだけである。


「…何、今の手…?夢……?寝ぼけてんのかなぁ、僕…」


ぽりぽりと頬を掻き、先程の手は幻覚だったのかと目を擦る鶫。朝から妙なものを見るなぁ、とぼんやり考えながらひんやりとした床をペタペタと歩く。すると一、二分でキッチンらしき場所に辿り着いた。

やはり覚えのない道順に首を傾げてキッチンに入ればそこには先客――鮮やかな赤色の髪をポニーテールにし、くるくるとキッチン内を行き来する少女の姿が。


「だ……誰!!?」

「んえ?」


鼻歌まじりに陽気に料理を作る見覚えのない少女に鶫が大きな声を出した。それに驚いたらしい少女が目をぱちくりとさせて振り返る。

林檎のような赤色の髪、若干つり上がった青い目、色白な肌…そして、誰もが振り返るであろう整った顔立ち。身長は鶫よりも少しばかり低いものの、女性としては高い方に分類されるだろう。

これだけ目立つ人をそう簡単に忘れる筈がない、ならば誰だ?と鶫の脳を疑問が駆け巡る。

完全にフリーズしてしまった鶫。そんな鶫の姿を捉えると、少女はにっこりと花の咲いたような笑みを浮かべた。


「おはようございます、鶫さん。朝ご飯はもうすぐなので先にシャワーでも浴びて来たどうですか?昨日はすぐ寝ちゃいましたし。」

「へぁ!?お、おはようございます…?」


知らない筈なのに、まるで旧知の友であるかのように話しかけられ、鶫は焦る。混乱する頭で何かを言わなければ、と考えを巡らせてたっぷり数十秒後、鶫の口からは「じゃあ、シャワー借りますね」と言う、訳の分からない言葉が飛び出した。

……鶫がその日本語を理解できない訳ではない。鶫が分からないのは、何故知らない場所で知らない人に勧められてシャワーを浴びなければならないのか、と言うことだ。

だが、そんな鶫の思考とは別に、鶫の足は慣れたように動き脱衣所に入り、服を脱ぎ、そして気付けばその手はシャワーのコックを捻っていた。

そこまで来てやっと鶫が発した言葉は、「あ…着替え忘れた…」という、なんとも間抜けなもの。


「な、なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」


ふと鏡に映った自分の姿を見て鶫が叫ぶ。中肉中背の至って平均的な、何の面白味もない筈の自分の体。そこには大小様々な裂傷の痕…そして、特に酷い左側に傷痕を隠すかのようにに広がる黒い痣。…刺青と言った方が納得できるかも知らない黒い痣が、蛇が這ったように浮き出ていた。最後に見た時とは全く違う己の体に戸惑いを隠せない鶫はぽかんと呆ける。


「どうされましたかぁぁぁぁぁ!??」

「ぎゃあぁぁぁあぁあ!!??」


鏡を食い入るように見つめていると、鶫の叫び声を聞きつけたらしい先程の赤髪の少女が風呂場のドアを開けた。それも、何の躊躇いも無く。

掛けた筈の鍵も、少女が開けた拍子にバキョッ!!と嫌な音を立てて使い物にならなくなってしまっていた。


「な、なななな…!」

「どうされましたか!?ゴキちゃんでも出現しましたか!?」


少女が飛び込んできたのに驚いて反射的にしゃがんだ為、大事なところは少女に見えてはいない。とは言え、鶫とて年頃の男子高校生。一糸纏わぬ姿を同年代の異性に見られて恥ずかしくない訳がない。魚の如く口をパクパクと動かし、顔を真っ赤にする鶫。それに対して少女は極めて冷静に、恥じる素振りすら見せず、「何があったんですか?」と鶫に尋ねる。


「な、何でもありません!!ちょっと驚いただけなので!!出て行ってくださいぃぃぃ!!」

「で、え?」

「いや、え?じゃなくて!!っていうかさっきお湯浴びちゃったから寒いんですよ!!」


既にお湯で濡れた体が外気に晒されて体温を奪われていた鶫は思い出したように少女に訴える。実際、恥ずかしさの方が上回っていて寒さなんて感じていなかったのだ。

だが、とにかく少女の目から流れたかった取ってつけたような鶫の言い分に、少女は成る程、と頷くと「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ」と笑顔で風呂場を後にした。いや…ごゆっくり、じゃないよ…という鶫の呟きはシャワーから噴射されたお湯が立てる湯気に溶けるように消えて行った。

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