非日常の世界へ〜13〜
まるで医学の発展だね、と鶫はのほほんと笑みを浮かべる。夜寝る前に枕元で絵本を読んでもらう幼い子供のようにその瞳をキラキラさせて。
今、目の前で起きているあまりにも突拍子の無く、それでいて妙な現実味を残した一連の出来事は夢である、と既に鶫の中で結論が出ている。しかし、これが夢であったとしてもこんな風にドキドキワクワクハラハラするような、心踊る出来事とは久しく出会えていなかったのだ。その為だろうか。鶫はこの状況を目一杯楽しもうとしていた。砂漠で渇きに耐えきれず水を求めるかの如く、目が覚めれば覚えていないかもしれないと思っているこの夢を、もっともっとと強請るかのように楽しもうとしていた。何処までも無邪気に、それでいて貪欲に。
「そうとも。人間の進化と何ら変わりない。人間が永い年月を経て科学を発展させたのと同じように悪魔は魔法を発展させた。そこに違いなどありはしないさ。」
三度、鶫の膝の上に舞い戻りごろりとうつ伏せで脱力するイララバ。完全にリラックスして己の膝の上で寝転ぶ彼のその、艶のある黒い羽毛のように柔らかな背中に鶫はゆっくりとその手を滑らせる。それが余程心地よいのだろう。イララバはぴょこぴょこと尻尾を動かしてとろん、と目を細める。完全にリラックスし切ったその状態で、イララバはぼそりと「魔法は不気味な力か?」と鶫に問う。
「うーん…不気味って言うよりも不思議な力かな?それこそ『奇跡』みたいなさ。」
「奇跡、か……。我らにとっての科学がまさにソレだ。」
初めて『車』を見た時は一体何の化け物かと思ったぞ、と遠い昔を見つめるような目をし、呆れとも感嘆とも付かない微妙な溜息を吐くイララバ。彼のその溜息を後者の意味で捉えた鶫が、なんだか不思議、と笑う。
先程、悪魔なんていない、と馬鹿げている、と憤りすら感じていたにも関わらず、それらは既に鶫の中から消えていた。風船いっぱいに入っていた空気が抜けるようにあっさりと萎んで、そして消えてしまったのだ。
「…ところで、先程からニヤニヤと…。何がそんなに面白いんだ?」
「え!?嘘…そんなに笑ってた?」
にこにこと笑みを浮かべる鶫に投げかけられたイララバの疑問。純粋に気になったのであろうそれに、鶫はイララバの背を撫でる手を止めて両手で自身の頬を摘む。ムニムニ、ふにふに。先程から無自覚に緩みっぱなしだった己の頬を叱責するかの如く、軽く摘んでは引っ張り、捏ねては摘んでを繰り返す。
気遣うような、「良いことでもあったか?」というイララバの言葉に、鶫は自分の頬を弄るのをやめて今日一日の出来事を振り返る。何か楽しいことでもあっただろうか、いつもと違うのは一体何なんだろうか、と思考を巡らせる。しかし、一度にたくさんの量のファンタジー要素を盛り込んだ出来事に遭遇してしまった鶫の脳はそこでパンクしてしまった。
…とどのつまり、鶫は今日一日振り返るだけという行為を放棄してしまったのだ。そこでふと己の膝の上に視線を落とした鶫は「これかもしれない」という理由を見つけた。
「…ラバちゃんと、こうしておしゃべり出来たからかも…。」
「何?」
「なんて言うか……そう…うん。ラバちゃんとおしゃべり出来たのが嬉しいんだよ。」
鶫の返答に生返事をしたイララバ。しかし一拍置いて、ん?と首を傾げた。余程驚くことでもあったのか、鶫を三度見くらいする。そんなイララバに、今度は鶫が首を傾げた。
「どうかした?」
「いや……お前ってそんなにメルヘン思考だったか?」
「え?…あぁ!違う、違う!!そうじゃないんだ。別に、『動物さんとお話ししたい!』みたいな感覚じゃなくて……えぇっと…難しいな…。なんて言うんだろう…?こう…ラバちゃんがいつも何かを訴えてるって言うか、伝えようとしてるって言うか、そんな気がして…。ちゃんと僕に伝わってくれれば良いのにって…あれ?これってメルヘン思考?」
「だと思うがな。」
自分の感じたことを頭の中で纏めきれず、身振り手振りを踏まえながらわやわやとその感覚を懸命に伝えようとする鶫。だが、一度否定したものの、いざそれを口に出してみれば、自分が如何にホワホワした考えを持っていたのかを実感する。じわじわと顔に熱が集まるのを感じながらも自分の思いとそれに対する問いを投げかければ、肯定を返される。
その瞬間、鶫の羞恥心が許容範囲を超えて爆発した。今まで感じたことのないような恥ずかしさが鶫を襲い、鶫は頭を抱えて「あ」とも「う」とも「お」ともつかない呻き声を発する。そんな鶫を怪訝に思いながらも、イララバはそっとその姿を見守る。そんな中で鶫は何かに気付いたように、あっ!と声を上げて呻くのを止める。
「そ、そういえば!!あの…ハンマ?って何なの!?」
今のは忘れてくれ、と言外に訴えるように鶫が無理矢理話の流れを変えようとする。そのあまりの剣幕にイララバが小さく吹き出してしまったのを、話題を変えようと必死な鶫は気付きもしなかった。