非日常の世界へ〜9〜
フレイたちが話し込んで早数分。すっかり打ち解けたらしい2人の会話はかなりの盛り上がりを見せていた。内容の殆どは「悪魔のあるある」。鶫には何がなんだかさっぱりな内容である。
その為、完全に置いてけぼりを食らい手持ち無沙汰になってしまった鶫は、自身のスクールバックの中から参考書を取り出して課題に取り組み始めた。そしてどういう訳だか、ククリも鶫の課題を共に解き始めて2人でプチ勉強会を開催し始めたのだ。
談笑する男と子猫っぽい何か、共に課題に励む学生と異形の者……。何ともよく分からない空間が出来上がっていた。
「に、しても…お前のその声、本当にどうにかならねぇのか?見た目と声との差が激しすぎて視覚と聴覚が事故ってるんだって、マジで。」
「そうは言ってもな…生まれ持ったもの故にどうこうできるものではなくてな。」
「いやいや、できますよ?」
ふと思い出したようにフレイが問えば、子猫っぽいソレはゆっくりと首を横に振り否定をしながら溜息を吐くように零す。そこに割り込んで来た、間延びした声。聞き慣れたその声に鶫が反射的に顔を上げれば、そこにはいる筈のない人物がニコニコと立っていた。その姿を視界に捉えた瞬間、鶫は目を大きく……目玉が飛び出してしまうんじゃないかという程大きく目を見開いた。
「せ、先生っ!?」
「コンビニならともかく、学校帰りにこんな所にまで寄り道するなんて感心しないな、菊地?
明日だって学校あるんだから遠出するなら休日にしなさい。」
黒いスーツをだらしない印象を与えない程度に着崩し、溌剌とした笑みを浮かべる短髪の男性――鶫のクラスの担任の教師である男がそこに立っていた。
なんで、どうして、あり得ない……そればかりが鶫の頭を支配してしまい、鶫は軽くパニックに陥った。
どこからどう見たってほぼ毎日顔を突き合わせている担任なのだ。一週間の内、5日もの間その顔を嫌でも見ている相手なのだ。そうそう間違えることもないだろう。
慌てふためく鶫の反応が面白かったのか、男性はくすくすと小さく笑いを漏らした。
「と、まあこんな感じで容姿や声は簡単に変えられるんですよ。」
一通り笑った後、男性は ゴートの声で楽しそうにそう言った。担任の口から聞こえる筈のない声で、成人男性のものから一瞬で変わったそれで、鶫の脳が現状を処理しきれずにパンクする。え?、と鶫が聞き返す暇もなく、担任の姿はたちまちのうちにゴートとなる。
「どうです?そっくりだったでしょう?」
乳白色の仮面の下で口元を緩めて鶫に尋ねるゴート。
しかし、人間の脳とは自分の処理が追いつかない状況に遭遇した場合にはその仕事を放棄してしまうらしい。ただただ、言葉も発せずにゴートを見て唖然としたまま固まって彫像のように動かなくなってしまった。
「変化系統の“魔法”を極めて仕舞えばこのように好きな姿や声でターゲットに近付くことだったできるんですよ。やってみます?」
「いや、遠慮しておこう。今の私は“魔力”が足りないのでな。それに、変化系統の“魔法”は必要最低限しか会得していない。」
「それは残念ですね〜。」
お教え致しますよ、と言えばあっさり断られるゴート。その返事に幾分か不服そうな声を出しながらも然程気にしていないらしい。引きずることなくさっさと新たな話題に切り替えてしまう。
「よっこいしょ〜。お待たせして申し訳ありませんね。まずはこちらをお返し致します。」
「あぁ」
ドサリと先程事務机の引き出しから引っ張り出した、図鑑ほどの大きさの古めかしい本をローテーブルに置くゴート。厚さもかなりのもので、少なくとも辞書はあるだろう。
そしてそれをローテーブルに置いた後、手に持っていた“紋章”と呼ばれた石を返し、バラバラバラと本のページを勢いよく捲る。お目当てのページを見つけると、ゴートはその中の数行を指でトントンと叩いた。
「さて、それでは…。お名前がイララバ・ダンドールさんでお間違い無いですか?」
「そうだな。」
「記録によれば、証書類の発行が20年前。期限が切れたのが昨年10月末となっております。」
極めて事務的にゴートが淡々と話を進め、ラバちゃんことイララバが相槌を打つ。マニュアル通りと言わんばかりに機械的に確認作業を続けていくゴート。
「……確認は以上となります。では、帰還書類の作成や許可を頂かなければいけませんので何故、期限を過ぎてしまったのか理由をお聞かせください。」
「…少しばかりヘマをしてな。動けるまで回復するのに時間がかかったのだ。」
ゴートの問いに、一瞬だけ考える素振りを見せたイララバ。だが、彼はハッキリとした声でその理由を述べる…と、そこへ今まで話を聞いていないように思えていたククリが、ダメ、と声を上げた。
「嘘はダメ。特に、関所はダメ。罰則規定に触れるよ。」