残骸(三十と一夜の短篇第19回)
・前書きにかえて
こしあんでも、つぶあんでも、あんぱんはおいしい。
これが今度の戦争で得られた唯一の教訓だ。
・戦争の結末について
三年間つづいたこしあん・つぶあん紛争は旧状復帰に終わった。
つまり戦争が始まる前の状況に全てを戻すということだ。
死者たちを甦らせる方法があるのなら、それも可能だろう。
開戦当初、両派の民兵はあんこ製造業者の技師と製パン会社の技師を狙ってテロを繰り返した。あんこの製造ノウハウに長けたものはその家族まで命を狙われたのだ。現在、日本のあんぱん生産量は戦前の一割以下にまで減じている。
休戦が有効になったいまもあんぱん製造業は人気がない。
それでもこれだけははっきりしている。
こしあんでも、つぶあんでも、あんぱんはおいしい。
・戦争の名称について
旧こしあん派の人々はあの戦争を「こしあん・つぶあん紛争」と呼称している。
一方、旧つぶあん派の人々は「つぶあん・こしあん紛争」と呼んでいる。
海外ではあの戦争はJapanese civil war――つまり「日本内戦」だ。
それが一番正しい呼称だと私は思う。
・私が知っていること
あの戦争について私が知っていることはごくわずかだ。あの出来事全体を俯瞰できるだけの知識も経験も私は持っていない。あの出来事が日本人のアイデンティティにどのような影響を及ぼしたかを論じられるほどの知性もない。あの戦争をドラマチックに再現できるほどの文章力もない。あのいまわしい戦争の概説、詳説、論説については他著にゆずるべきだと考える。
結局、私はあの戦争では兵士に過ぎなかった。民兵出身で最終的な階級も戦地任官された三等陸曹に過ぎない。私が戦争について知っていることは私のふるさとであるK市が戦火に巻き込まれ壊滅したこと、私自身は東京の戦闘で三年間世田谷の市街戦に参加していたことだけだった。
・言い訳 ♯1
世田谷の戦闘でつぶあん派の人々を殺したが、全員が兵士だった。何人が私の戦闘行為によって死亡したのかは分からない。暗闇で動いたものに発砲し、それが倒れたからといって、殺害確認戦果にいちいち計上はしなかった。
十人以上は殺していないと信じたい。
・言い訳 ♯2
祖師ヶ谷大蔵駅の戦闘で殺した兵士は少女だった。
ただし、彼女は自動改札口の陰に隠れていた。私は彼女をメロンパン屋のカウンターから彼女の首を狙って発砲した。即死だった。
彼女はタクティカル・ジャケットを身につけていたし、サブマシンガンも所持していた。実弾は装填されていたし、安全装置も解除され、フルオートになっていた。
後は私を狙って引き金を引くだけだった。
・言い訳 ♯3
加えるなら、彼女は目だし帽をかぶっていた。だから、少女とは分からなかった。
・私について
人様にお話できるほどおもしろおかしい半生を送ったわけではない。ごく普通の少年だったと思う。私は徴兵されたとき、高校二年生で遅生まれの十六歳だった。私は生まれ故郷のK市から県内の訓練キャンプがあるS市へ送られて、八九式小銃の使い方を教わった。教わったのは本当にそれだけだった。それ以外のことは戦地で覚えた。
・処刑
トラックにゆられながら、初めての東京で私が見たものは埼玉との県境でつぶあん派のスパイと目された男性二人が後ろから頭を撃たれて処刑される光景だった。一人は老人でもうひとりは、金髪の若者。若者の髪の根元がプリンのカラメルのように黒々としていたことを覚えている。二人とも泣きじゃくりピザの宅配員が切る赤いジャンパーを身につけていたが、だからといって彼らをピザの配達員と断定することはできない。戦争が始まって以降、ピザの配達は前線では当然廃止となっていた。銃後の西日本でも様々な諸弊害から出前自体が壊滅状態に陥っていたという事情を考慮すれば、彼らはやはりピザの配達員ではない。家を焼け出されピザ屋に住み着き、そこのジャンパーを寒さしのぎに着ていただけだろう。そばにピザ屋の建物があったのだが、処刑者はそこの後ろまで不運な犠牲者を連れて行く手間も惜しみ、道沿いで二人を射殺した。見せしめの処刑を行ったのは、おそらくトラックに乗っていた我々あわれな少年兵の戦争童貞を卒業させてやるつもりだったのだと思う。
・帰還したときのこと
戦争が終わると、私と親友の亮介は歩いたりヒッチハイクをしたりして、K市まで帰った。
K市はゴーストタウンと化していた。世田谷同様、嵐のような戦闘に巻き込まれ、さっぱり何もかもなくなってしまっていた。私の家族は祖父、祖母、父、母、妹、それに雑種のコロにいたるまで現在も行方不明だ。おそらく家族は瓦礫の下敷きになって死にコロは野犬になったのだと思う。
初めてK市の惨状を目にしたとき、私が言ったのは「ああ、やっぱり」。K市につながる唯一の国道が落ち葉に埋まって腐葉土と化していたことから、私はもはやK市に人が住んでいないことを覚悟していた。だから、世田谷同様、焼け爛れたK市の全容を亜麻崎トンネルの出口の展望台から一望したときも「ああ、やっぱり」くらいしか言えなかった。家族が行方知れずになり生存が絶望視されたことはもう戦争が始まって三ヶ月目に知っていた。つまりK市は私たちが帰還する二年と九ヶ月前には廃墟と化していたのだ。
「帰ってきたぜ」亮介は言った。
「なにに?」私がたずねる。
「おれたちの生まれた町にだよ!」
亮介は原爆を落とされた直後の広島のようになったK市を指して言った。
・亮介について
我が友安藤亮介についていくつか説明しておこう。
彼とは同じクラスだった。とは言っても平和だった時分、さほど親しくしていたわけでもない。私は勉強が多少出来るほかは何の取り柄もない目立たないタイプの少年だった。安藤亮介は県大会まで行ったサッカー部のエースだった。クラスのムードメーカーであり、まあ人気者だったわけだ。だから、誰にでも分け隔てなく明るく接することができた。私はあまり人付き合いが得意なほうではなく、休み時間も何をするわけでなく机に突っ伏して昼寝をしていた。隠し持っていた漫画を開く元気もなく、いつもだらけていた。ちょっと悪ぶった男子たちが大人の真似をして賭け麻雀をしたり、女子たちが百合っぽいことを話しているとき、私はぐうすか惰眠をむさぼり、亮介はグラウンドを駆け回っていた。
・戦争の馬鹿馬鹿しさについて
日本人はパンのなかの小豆の皮がどのような形状で存在するのかにこだわり、三年間も骨肉相食む殺し合いを演じてみせたわけだが、私はそれを取り立てて愚かなこととは思わない。戦争は常に他者への不寛容から生じている。人種、民族、宗教、国家。こしあん・つぶあん紛争の場合はそれがたまたまパンの中身だったに過ぎない。
ちなみに私も亮介もクリームパンが好きだった。
・羽田空太
彼の作品、人柄、日本の文学界におよぼした影響は微々たるものでも彼の住んでいた丘、現在の羽田公園は相当なものだった。一つの丘を竹林がぐるりと囲み、熊笹が足場もないくらいに密生した秘境のような場所が世田谷にぽつんと残っていた。そこに彼の住んでいたあばら家があった。そこは戦争孤児たちの寝床となり、やがて闇市として使われるようになる。中隊司令部もなかばその存在を公認していたため、ここではつぶあんでも、こしあんでも、好きなあんが入ったあんぱんを買うことができた。クリームパンすら買うことができた。私は新品のAKとカスタードクリームパンを交換したことがある。
クリームパンはとても甘かった。
パンはもちっとしていた。
・羽田空太の小説
もし、もう一度高校生としてやり直せるなら、そして課題図書を自分で選んでもよいというのならば、私は彼の小説で読書感想文を書いてみたい。
・ティラピア
師団司令部には内緒だが、我々の中隊は前線から数百メートルと離れていない釣堀にティラピアを飼っていた。ティラピアは太平洋戦争後、鯛の代用魚として日本に持ち込まれた魚で当初はこれを日本じゅうの湖沼に放流し、戦後日本の食糧難を一気に解決しようと意気込んだらしいが、その後、真鯛の養殖技術が確立されると、ティラピアはお払い箱になってしまった。日本において横文字の魚はあまり人気がない。我々の中隊がなぜティラピアを手に入れられたかは割愛するが、ともかくこの魚には大いに助けられた。刺身や煮物、塩焼き、ガーリック・ソテー。こうした食事が乾パンばかりを食べている敵軍の耳に届けば、敵はこぞって我々の軍門に下るだろう。そう、ティラピア養殖も立派な軍事戦略の一部だった。
・ティラピア(補足)
ティラピアのガーリック・ソテーをつくるときはニンニクを出来るだけ薄く切ること。プレパラートをつくるがごとく。
・忍者部隊について
この噂は何度も流れた。選りすぐりの少年少女に諜報や殺人術などの高度な訓練を施し、ついでに肉体改造もおこなって、二階建ての家を飛び越えたり、飛んでくる弾の動きを目で捉えたりできる最強の兵士をつくったというやつである。士郎正宗の読みすぎかメタルギア・ソリッドのやりすぎだろう。近未来的な忍び装束を纏った一団が敵の陣地へ音もなく浸透していくのを見たというやつもいたし、実際に忍者部隊に会ったというやつもいたし、おれの妹が忍者部隊に選ばれ殺人マシーンになったと自慢げにいうやつもいた。私自身もこの噂に便乗して、忍者部隊に選ばれるには最低でも怒首領蜂をワンコインでクリアすることが求められるらしいと尾ひれをつけさせてもらった。この噂については亮介が実に的を射た発言を残している。
「そんな殺しのプロみたいなのがいるんなら、おれたち必要ないんじゃないか? 後はそいつらに押しつけて、家に帰ってもいいんじゃないか?」
誰もこれには答えられなかった。
・闇市について
はしっこい戦争孤児たちは己の才覚で生き残るためになんでも手に入れてみせた。我々には支給される煙草のほかにティラピアという生鮮食品があったから、比較的不自由なく物々交換ができたものだった。闇市は、パキスタンの武器マーケットのように物にあふれていて、異国的情緒すら漂っていた。ランボーが肩にかけるような弾薬帯がカーテンのようにぶら下がった穴倉の奥ではマリファナの煙が漂い、手榴弾と交換でゴマ油が手に入った。彼らは戦線のどこかに野菜工場を持っていて、そこで作られたキュウリが兵士たちのあいだで大人気だった。ゴマ油と刻みを入れたキュウリをビニール袋に入れてよくもむと、魯山人先生もびっくり、まったくたまらないほど美味しかった。もっとも手榴弾はそうぽんぽん手に入るものではないのでこのご馳走もそうたびたび味わえたわけではない。手榴弾が手に入ったとしても知らない土地に足を踏み込んだときは死角という死角に、鳩にくれてやるポップコーンのようにばら撒いて、待ち伏せしている敵兵やブービートラップをふっ飛ばさなければならないので、いつも数が不足していたくらいだった。
【・ぷっぷくぷー】
【ぷっぷくぷーぷっぷくぷーぷっぷくぴっぽっぴっぽっぽーぴっぽっぴっぽっぴっぽっぽーぽっぽっぽーぽっぽっぽーぽっぽっぴっぽっぽっぴっぽー】
・ロケット・ランチャー
分厚い雲が空一面に垂れ込んでいる。突如雲の緞帳が左右に開き、神の怒りでも買ったかのようにロケット弾が光とともに降ってくる。
家が吹き飛び、通信線が寸断され、トヨタのテクニカルが蹴っ飛ばされたゴミ箱のごとく三回転する。
掩蔽壕に逃げたがる我々を中隊長がミネベア拳銃を振り回して、追い返し、持ち場を離れるなとのたまう。
持ち場とはなんぞや? それは砂袋八十個とゴム引き防水布一枚でこしらえた機関銃座にすぎない。袋も布も擦り切れて、砂をこぼし、雨がぽたぽた落ちてくる。ロケット弾がどこかに落ちるたびに防水布の窪みにたまった雨水がばっさばっさ踊りだし、水が滝のように機関銃の銃身に落ちてくる。我々はロケット弾がいつ命中するかひやひやしながら、ここで機関銃を構えなければならない。
なぜそんなことを? 敵だってロケット弾の降ってくるなか前進したりしない。
中隊長はのたまう。つぶあん派はつぶなのだ。だから、必ず前進してくる。
ここで我々は初めて悟る。この隊長はいかれてやがる。
・少女が暗殺者としてマフィアだの傭兵だのを殺していくアニメについて
実に結構だ。正直、こういう冷酷な暗殺少女が我々の部隊に数人いれば、戦争全てにカタがつけられるだろう。というのも、我々は基本的になまけものの集まりで、実際、烏合の衆と呼んでもさしつかえない。偵察はやりたくないし、歩哨に立ちたくないし、こんなまずいレーションこれ以上食べたくないし、中隊長の命令にいちいち従いたくもない。そのくせ銃を撃つときはいつもフルオートで撃ちたがる。AKだろうがM4カービンだろうがサブマシンガンだろうがミニミだろうがフルオートで撃ちまくる。的に当てる必要はない。とにかく撃てば響くのだ。相手に心理的効果を与えるときはフルオートに限る。誰だって途切れなく弾をまいてくる敵に突撃はしたがらない。
暗殺者タイプの少女兵はうちの隊にもまわされてきた。少女兵は実に笑えるアイテムを持っていた。少女兵の持っている銃のことなのだが、これがまことに傑作でスプリングフィールド一九〇三なのだ。一九〇三というのはどういう意味か、銃マニアでなくとも予想はつく――まさかとは思うだろうが、一九〇三年に開発されたという意味だ! 一九〇三年というのは日露戦争がまだおきてなくて、伊藤博文がご存命で、インフルエンザにかかったら即死亡、そういう時代だ。かわいそうなことに少女兵はアンティークを押しつけられ戦場に放り込まれたのだ。サイレンサーだけはスイス製であったが、それでも銃は国宝級で、縄文時代の土器とか最上大業物の太刀とともに博物館に陳列されているべき代物だ。
彼女が感情の一切を失うのも無理はない。
・言い訳 ♯4
勘違いしないでほしいのだが、我々は全てをなまけたがったわけではない。とりわけ食事の改善とニンテンドー3DSのために我々は努力した。ティラピアを育て、ニンニクを手に入れ、発電機を修理し、変電器を手にいれ、ガソリンを装甲車部隊からちょろまかした。我々はいつだって真剣だった。
・川のぬしを求めて
3DSのソフトは移植版の「川のぬし釣り2」であった。我々十数名からなる分隊は四つのセーブデータを共有し、お魚図鑑のコンプリートを目指して魚を釣った。ゲーム内で釣った魚はお魚図鑑に登録されるのだ。経堂駅方面で散発的な銃撃が起きて、我々の陣地までぱーんぱーんという銃声が聞こえるなか、私は渓流で尺岩魚を求め、山上湖でサクラマスを探し、清流で鮎の友釣りを楽しんだ。湖では九十センチ越えの鯉を釣り上げ、下流では誰も釣り上げたことのないタイワンキンギョを釣り上げた。今は河口で川のぬしアカメを釣り上げようと挑戦している。
ゲームにうつつをぬかして戦争をおろそかにしたと我々を責めないでいただきたい。祖師ヶ谷大蔵から千歳船橋にかけての防衛ラインが破られたとき、我々は死にものぐるいで戦った。本当に死んでしまったものもいる。
・K市のゲームセンター
私は戦前ゲームセンターにいったことがなかった。私は男に珍しい偏頭痛もちで煙草の臭いとあの騒々しさに遭遇すると、こめかみが万力で締められたように痛みだした。この手の頭痛には吐き気すら伴うのだ。だから、ゲームセンターには近寄らなかった。それに格闘ゲームも苦手で複雑なキー操作についていけず、波動拳すら撃てなかった。
亮介はよく通っていた。戦後、K市のゲームセンターを見たとき、ここでそのとき付き合っていた彼女にぬいぐるみをとってあげたこともある。かつてクレーンキャッチャーがあった場所には焼け焦げた鉄とどろどろに溶けてかたまったプラスチックの燃え滓があるだけだったが、私と亮介はジャングルブーツでその残骸を踏み壊し、中から球体を救い出した。それはひよこのぬいぐるみで、亮介がその彼女にとってあげたものと同じだった。
「四日前だ」亮介は言った。「徴兵される四日前にとってあげたんだよ」
【・るーるるーるるるー】
【るーるるーるるるーるーるるーるるる―るーるーるーるーるーわわわーわーわーわーみなさんこんばんは黒柳ケツ子ですきょうのゲストはびっくりなんとあのジャイケル・マクソンさんです番組の途中ですが臨時ニュースをお伝えします第三次世界大戦が勃発しましたかるがもの赤ちゃんはきょうも元気です】
・言い訳 ♯5
この文章を読むときは、私にとってまとまった文章を書くことが中学校の卒業文集以来であることを常に心にとめておいてほしい。前述《私が知っていること》にもあったように私の文章は著述を本業にしている人のものと比較されたら至極お粗末な代物なのだ。だから、視点のブレや描写のアラ、誤字脱字、句読点の読み慣れない使い方についてゆるしてほしい。
【・おれを無視するんじゃねえよこのタコ!】
【おいおまえ!おまえだよ!おまえ!おまえ!おまえ!お・ま・え・だよ!このタコ野郎さっきからおれの書いたもんが見えてんだろうが!こいつがゲーセンでゲロ吐きそうになったとかクリームパンを闇で買ったとかへたっぴな文章でゴメンネとかンな与太話は読めておれのほうは読めねえってのかよ!?こいつの話なんかどーでもいいからおれの話を読みやがれこいつは最低の大嘘つきでいかれきったクソゲス野郎なんだぞわかってんのか?】
・言い訳 ♯6
私は軍医から二重人格性障害を診断されたことがある。だから文章を書いているとき私は自分でも分か【おれはてめえの妄想の産物なんかじゃねーぞクソゲス】れない。この文章を完成させたその段階で別の人格が勝手に私の文章を書き変えてしまうこともありうるのだ。軍医は私が戦争のストレスに負けて、そのストレスを肩代わりさせるために別の人格が私自身のために生み出され【てめえがいつ戦争にストレス感じた?てめえはいつだって楽しんでやがったじゃねえか都合のいいことばかり書くんじゃねえよ】虐な行為があった。全てはあんぱんのためだという思想教育から自分を守るために多くの兵士たちがこうし【ふざけんなアンパンのせいにするんじゃねえてめえはあのコになにをした?あのスプリングフィールドの女のコになにをした?あの手榴弾はどこから降ってきたんだよ言ってみろコラてめえはあの哀れな安藤亮介が最後にどうなったのか言わねーまま済ませるつもりらしいが冗談じゃねえいいかこのクソゲスは帰還したあとなんの理由もねーままあいつを】前線の兵士たちはみな罪の意識から逃れようと【おれが書いてるときに邪魔するんじゃねえ!今度やったらぶっ殺すからな!!!!】
【・絶滅について】
【あんたもあんただぜそうこれを読んでるあんただよもっとしっかりと読んでくれでないとこのクソゲスがなにもかも乗っ取っちまうぞいまだっておれの邪魔ができないもんだからおれをあの『言い訳 ♯6』のなかに置いてきぼりにしようとしやがったこいつは話の脈絡もあの戦争をどこか寓話めいた話にまとめようとした意図も全て棄てて人間が動物を絶滅させていくのは文明のせいだいずれ人間は自らの作り出した科学と文明によって滅ぼされるとかくだらねえありふれた与太をほざこうとしやがったいいぜそれならおれがかわりに書いといてやるよいいか目の玉ひんむいてちゃんと読めよ人間は世界に生まれたその瞬間から絶滅に手を貸してきたモアやマンモスやでっかいナマケモノたちは科学者が滅ぼしたわけじゃない原始人が滅ぼしたんだ何千年と時間をかけて手当たり次第に狩りまくった人間はこの世に存在したその瞬間から大量絶滅の片棒をかついできた人間の上に乗っかった科学とか文明とかのせいじゃねえ人間そのものが絶滅の根源なんだでも勘違いするんじゃねえぞそれが悪いってわけじゃねえこれまでウン十億年のあいだに大量絶滅はなんどもあったんだただ今回は人間さまがかかわってるってだけの話でこいつみたいな人間これ悪即絶滅の理屈を信じちゃならねえいいか世間にありふれたこいつの傷ついた少年兵風の寓話っぽい与太なんて読むんじゃねえ現代社会を風刺したつもりの寓話なんかうそっぱちのくそくらえだ人間は滅ぶべきなんだとかいう与太にあんたの目玉を貸すんじゃねえおれの書いてることにただおれの遺す文字に集中しろくだらねえ文字を追わずにおれのことに集中しろでねえとあんたは大切なことを見逃してこいつのくだらねえシメの言葉を読まされるハメになるんだからなもうおれも息がつづかねえんだこいつは戦争を通してただ絶滅だけを感じたでも本当は違うあんぱんの中身のためだけに殺しあった人間だけどなんとかなるまだなんとかなるんだおれはあのクソゲスの手でもうじき閉じ込められるこんな恥ずかしいこと何度もいわねえぞ一度で理解しろおれが永久にこのパラグラフに閉じ込められる前に理解しろいいか人間はまだ】
・結びにかえて
こしあんでも、つぶあんでも、あんぱんはおいしい。
これが今度の戦争で得られた唯一の教訓だ。
そして人間は滅ぶ。
これは次に起こるであろう戦争から得られる唯一の予言だ。




