月見の井戸
気持ち美しくも物悲しい旋律と主の歌うような祝詞が溶け合って、この空間が日常から少しずつ切り離されていく。既に日は落ち、まんまるのお月様が静かに光を投げていた。
虫の声。
胡弓の音。
主の祝詞。
それだけが、わっちの耳を占領する。それが何とも心地いい。
目を閉じて、その美しい音に集中した。
そうしてわっちは、不思議な光景を目の当たりにする事になった。目を閉じているというのに、何故か何かが見える。自分のようで自分じゃない感覚に、さすがのわっちもちいとばかり混乱したねえ。
だってさあ、天上の楽の音のように美しい音色が聴こえて……暗闇の中で頭上から光が差し込んで来たんだよ。
見上げりゃまん丸に空いた穴から、冴え冴えとした満月が見える。深い、深い、穴の中から…満月を見上げてるみたいだった。
月を見てるうちに、天上の楽の音から胡弓の音色が浮かび上がってきて、しまいにゃ胡弓の音色だけしかもう聴こえない。胡弓の音はどんどんどんどん大きくなって、胸がきゅうって締め付けられるみたいに痛むんだ。
「金次郎……」
慈しむように呟かれたそれは、誰の言葉だったのか……。
勝手に溢れ出してくる、胸があったかくなるような、幸せな気持ち。きゅうっと胸が締まるような切ない気持ち。慈しみの気持ち。いろんな感情がないまぜになって、瞼には胡弓を奏でる男が映し出された。
これってもしや若かりし日の、金次郎……?
ぱちん、と何かが弾けたような感じがして、不思議な感覚は消えていった。かわりに目の前には可憐で儚げな美しい女が立っている。このお方がきっと水神様なのだろう。
「水神様……お久しゅう……ございます……!」
「金次郎、妾を呼んだのはお主か。……痩せたな」
金次郎と水神様は、多くを語らない。言葉は少なくとも、お互いに見つめだけで確かな絆が見て取れる。
……さっきの幸せで切ない複雑な気持ちは、きっと水神様のお気持ちなんだろうねえ。神様もあんなに切ないお気持ちがあるもんなんだと、わっちは初めて知ったよ。
「手前ももう長くはありません。最後に、どうしても貴方様にお逢いしたく……」
「親父!最後だなどと!」
銀之助ときたら、なんて不粋なヤツなんだろう。久方ぶりの邂逅くらい、黙っていられないのかねえ。次に邪魔したらわっちの爪の餌食にしてくれよう、と決心した。
「金次郎、無理をするでない。お主の体はもう……」
「分かっております。故に、最後の力で貴方様に雨を乞いたく」
「駄目じゃ。一心に祈るのは存外体力を使うものじゃ、今のお前では体に障る」
水神様が辛そうに眉根を寄せる。
金次郎の病状は、思ったよりも随分と進んでいるらしい。