水神の苦悩
「この地ではもはや妾を信仰する者はおらぬ。妾の力はもはや落ちていくばかりなのじゃ」
悲しげに俯く水神様の姿を痛ましく思いながらも、金次郎はその言葉に納得する部分も強くあった。
ここは店が軒を連ね、町人が忙しく立ち働く界隈だ。雨が降れば客足が落ちる。農作物を作るわけでもないここらの住人が専ら信仰しているのはお稲荷様や大黒様で、言われてみれば確かに、水神様を祀った祠などはこの界隈で見た事がない。
この二年ほどで少しずつ、女の姿が細っていくように思ってはいたが、その裏にそんな理由があったとは。金次郎は小さく嘆息した。
「妾に自ら力を奮う神力はもはや残されておらぬ。だが……このままでは死人が増えるばかりじゃ。妾は……」
「皆まで仰いませずとも、この金次郎、貴女様の御心はしかと心得ましてございます」
「ふ、急に畏まりおって」
少し寂しげに笑った水神様に、金次郎は一心に祈りを捧げる。多分、人の祈りや信仰の力が、かの水神様の力になるのだと、この時初めて金次郎は理解したからだ。そしてもはや信仰すらされていないというのに、水が足りない事で人が害されるのを見かねて、自ら祈りを請いにきたこの優しい水の神を金次郎は心から崇敬した。
この美しくも寂しげな女神が、金次郎の奏でるもの悲しい音色に惹かれたのも、そんな女神の境遇が影響していたのだろう。
無心で祈り続けて、どれくらい経ったのか。
ふわりと、柔らかな風が頬に触れた。
目を開けると……水神様の身がゆるりゆるりと空へ浮かんで行く。薄く光を纏い、これまでみた中で最も神々しい表情を浮かべた水神様は、両の手をゆるやかに、弧を描くようにあげていく。
金次郎の鼻の頭に、一滴の雫が落ちた。
見る間に音を立てて雨足が強まっていく。金次郎は、初めてその目で神のみわざを目にしたのだった。
「それで力を使い果たした水神様は、手近にあった屋敷の井戸に身を寄せられ、以後、主人の金次郎が篤く篤く信仰してまいりました。祠も立派なものを用意し、奉公人たちも丁寧に祀ってきたのです」
汗っかきの作治はそう話を締めくくったけど、それじゃあこんな事態になった理由が掴めないじゃあないのさ。今の話で終わるなら、めでたし、めでたしで、主が呼ばれる筈もない。
ただ、話を聞いているうちにお屋敷についてしまったらしい。作治に案内され木戸を通り抜けて庭に回ると、そこには明らかに上質な……所謂神気が残滓のようにゆらめいていた。
これまでの道程が埃っぽい乾いた空気とするならば、ここはまるで水辺みたいに清涼で清浄だ。
「おやまあ、こりゃあ本当に神気だねえ」
主も驚いたように呟いた。