悪魔令嬢の婚約破棄
グロ注意。
はあ。もう一度、言ってくださるかしら?
リリスは苺色の瞳をパチクリと見開いて、目の前にいる婚約者の言葉を聞いた。
ふわふわで滑らかな銀色の髪を耳にかけて、今度は聞き逃さないように努力する。
「だから……お前の悪事は全てお見通しだと言っている。いい加減に罪を認めてアスカに謝罪しろ」
婚約者であるクラン王子が、おかしなことを言っている。
曰く、リリスがあの手この手を使って、アスカという娘に嫌がらせをしたと言うのだ。まったくもって、身に覚えがない。
リリスは白い顔に甘い笑みを描いて、首を横に傾げた。
「あたくし、身に覚えがないのだけど?」
「とぼけるな!」
叫ぶクランの後ろにいるのが、件のアスカという娘だろう。この学園に混じった庶民出身の娘だったか。
控えめな仕草で立ち、潤んだ瞳でこちらを見ている。人間の男が好きそうな「いたいけな少女」といった風貌だ。
どうやら、この娘のことをリリスが虐めたらしい。身に覚えがないけれど、そういうことになっているようだ。無自覚に虐めてしまっていたのかしら。その辺りが、よくわからない。
なにせ、クランたちとリリスは考え方が大きく違っている。無意識の線は、大いにありえる話だ。
「アスカは私の大切な女性だ……こそこそと陰気な真似をして。ただじゃ置かないぞ」
「しかし、本当に知らないくて――」
「ええい、往生際が悪いぞ、リリス! 貴様のような女とは、婚約破棄だ!」
決め台詞のように、クランが言い放つ。目の前に、ビシッと人差し指が突きつけられた。
「婚約破棄、ですか? 正気で仰っていますの?」
リリスは苺色の瞳を見開いて、思わず確認してしまった。だが、クランの決意は固いらしい。意思の強いまっすぐな視線をリリスに向けていた。
「そう……ですか」
リリスは呆気に取られてしまった。
クランの後ろに立つアスカが目に入る。しおらしく俯いていたが、口元に手を当てて表情を変えていた。女の勘で、笑っているのだと直感する。
そうか。リリスは嵌められたのだと、今更自覚した。自分の感覚がクランたちとは少々違うので、無自覚になにかしてしまったのだと思ったが……そうではないらしい。
「そうですか、殿下。本当に婚約破棄なさるおつもりですの? 後悔しませんか?」
「無論だ。私の決意は揺るがない。お前のような女など愛せるものか。国のために結婚しろと押しつけられた相手など……私は愛する者と歩みたい。例え、荊の道であろうとも」
クランは声に熱を込めて力強く語った。淀みなく、真剣な眼差しだ。後ろの娘が講じた策にまんまと乗っているとも知らずに。
なんて、馬鹿な人なのかしら。
「承知しました。では、ご覚悟を」
リリスは丁寧に頭を下げてドレスを摘まんだ。それが負けた女の一礼だと感じたのか、クランは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
だが、笑みを浮かべたのはリリスも同じだった。
「あたくしも、人間風情の王子と婚約など、最初から反対だったのですわ。まさか、ここまで愚かしいとは思いもしませんでしたが」
「は?」
クランが首を傾げている。「こいつ、馬鹿か?」そう言いたげな顔だった。
刹那、リリスの周りを黒い影が取り囲む。
たった今、召喚した眷属たちだ。人間の魂を求める餓えた亡霊たちは、蛇のようにリリスの身体に纏わりついた。
動きにくい煌びやかなドレスは、真紅から漆黒へと変ずる。気がついたときには、リリスは豊満な胸と引き締まった身体の線を強調させたボディスーツを纏っていた。高いピンヒールがカツカツと音を立て、手にした長い鞭がしなる。
ふわふわの銀髪を掻きあげると、黒い眷属たちがリボンで髪が結ってくれた。背中からは、大きな黒い翼が生え、お尻にはツンと可愛く尖った尻尾が伸びる。
リリスは苺色の瞳に煽情的な笑みを乗せて、目の前の元婚約者を眺めた。
「あなたは、まだお若いから知らされていなかったのでしょうけれど……あたくし、魔王の娘ですのよ」
「ま、魔王!? は!?」
「悪魔令嬢リリス・ルシファニアと名乗れば、魔界の猛者たちが、あたくしに平伏しますの」
クランが腰を抜かしてガタガタと震えている。
このお馬鹿な人間は知らなかったのだ。
十余年前まで行われていた魔王軍と人間軍の戦争。
圧倒的劣勢だった人間側に突如、異世界から召喚された勇者が現れ、魔王軍は窮地に立たされた。しかし、両軍は既に疲弊しており、戦争を続けられる状態ではなかった。
そこで提案されたのが、両王族の婚姻による和平。
人間からは、まだ幼かったクラン王子が。魔族からは、魔王の娘であるリリスが差し出された。クランが正式な王位継承権を得る十八の誕生日に全ての経緯が明かされ、結婚することになっていた。
それなのに、クランは十八歳を前にリリスへの婚約破棄を言い渡した。
「これは、明らかな契約破棄ですわ。和平の取り消しと考えて、よろしいですわね」
「ま、待て……私はなにも聞いていないぞ!?」
「お優しい人間の王のお考えですの。あたくしが魔族と知ってしまえば、幼い王子が怖がってしまうのではないかと――愚策でしたけれどね。十を越えた辺りで明かすべきだと、あたくしは申し上げたのに」
馬鹿な人間の国なんて、滅ぼされても構わない。もう勇者は異世界へ帰ったのだ。恐れるものなどない。
リリスは甘くて美味しいデザートを眺めるような眼で、うっとりと王子を見下ろし、舌舐めずりをした。
「待ちなさい! そうはさせなくってよ!」
尻餅をついて震えるクランの前に、アスカが立ちはだかる。両手を広げる細い娘を、リリスは虫を見るような眼で睨んだ。
「シナリオの邪魔はさせないんだから。この馬鹿王子を落としたら、攻略対象コンプリートなのよ!」
「馬鹿王子!? コンプリート!?」
わけのわからないことを言い出すアスカに、クランが目を剥いている。
「こんな設定知らないわよ。そりゃあ、悪役令嬢と和解ルートなんて好みじゃないから、シナリオ改変しちゃったけど。あ、それがダメだったのかしら……でも、大丈夫。わたし、ヒロインだし! 主人公補正と転生して手に入れたチート級の魔法力があれば、悪魔なんて怖くないわ!」
「わけがわかりませんわ」
アスカがなにを言っているのか理解出来ない。
リリスは足元で鞭をしならせた。すると、鞭は大人の背丈ほどもある大剣へと姿を変えた。ダークドラゴンの牙から造った特別製だ。
「我が身に力を、神々の息吹――エアロブラスト!」
縮こまっている王子を押し退けて、アスカが魔法の詠唱をはじめる。
どうやら、彼女は風属性魔法を使うらしい。アスカの周囲を眩い光が取り囲み、天使のような大きな翼が生える。光が結集して現れた魔法杖を掴んで、アスカがリリスを睨んだ。
「え、なんだこれは。とりあえず、アスカがんばれ!?」
神話級の上位魔法を駆使したアスカを見て、クランが叫んでいる。
だが、リリスも応戦体勢をとった。
「薙ぎ払え、疾風の風――デスウィング!」
「焼き払え、劫火の炎――ブラストバーン!」
二人同時に攻撃魔法を放つ。
アスカの腕から鳥の姿をした風が、リリスの腕から蛇の形をした炎が襲いかかる。両者は互いを食い荒らすように縺れ合い、相殺された。風と炎の爆風が周囲の全てを吹き飛ばしていく。
そこに立つのは二人の乙女のみ。
馬鹿王子は、とっくに飛ばされて、近くの木の枝に引っかかっていた。「助けてくれ!」と叫ぶと、アスカに「おとなしくしてなさい!」と一蹴されてしまう。どうやら、アスカの方はクランのことは、割とどうでも良さそうだ。
「なにが悪魔の令嬢よ。悪魔で執事のパクり!?」
「言っている意味はわかりませんが、どうやら勇者級の実力者のようですわね」
ここまでの人間がいるとは思っていなかった。先ほどのデスウィングは、人間に扱える最上級の魔法だ。かつて、勇者の仲間の巫女が使っていた。もしかすると、血縁なのかもしれない。
「では、これはいかが?」
リリスは猛禽類のような好戦的な笑みを浮かべ、大剣を構えた。そして、地に手をつくほど姿勢を低くする。
「加速せよ、瞬殺の熱閃――フレアドライブ!」
自らの身体に黒き炎を纏う。
空気が一気に膨張し、爆風が生まれた。それを利用して人間では出し得ない超加速を自らの身体に加える。矢の如くアスカとの距離を詰め、リリスは大剣を振った。
「魅了せよ、誘惑の舞踊――フェザーダンス!」
アスカは寸でのところでリリスの攻撃をかわした。どうやら、幻惑系の魔法らしい。アスカの姿が奇妙に分身して見えて、狙いが定まらない。
だが、リリスは怯まない。瞬時に体勢を立て直し、地面に手をついた。
「我が糧となれ、吸魔陣――マジカルフレイム!」
地面に大きな魔法陣が現れる。アスカも反撃の魔法を詠唱した。
「遅い! 疾走せよ、勇猛なる聖鳥――ブレイブバード!」
アスカの魔法杖から産み出された巨大な鳥が翼を広げ、リリスへと襲いかかる。
だが、リリスはしたたかな笑みを描いた。苺色の瞳がうっとりと、官能的な色を帯びる。厚い唇を舐めるように、舌を動かした。
「ごちそうさま――オーバーヒート!」
先ほど放った吸魔陣マジカルフレイムには魔力吸収の効果がある。
相手の魔法を吸収し、自分の魔法として反射することが出来るのだ。おまけに、詠唱を短縮出来る優れものでもある。
「な……なんですって!?」
アスカが信じられないという表情を浮かべた。彼女が使用した風魔法ブレイブバードは消え去り、代わりに狼を象った炎が襲いかかる。効果は抜群だ。アスカは一瞬のうちに炎に包まれ、白くて瑞々しい肌に熱傷が広がる。
「ア、アスカぁぁぁああ! がんばってくれ、頼む!」
木の枝に引っかかって動けなくなっているクランから情けない声援があがる。彼には、この戦いに加勢するほどの魔力も実力もない。あるのは人間の王子という意味のない権威だけだ。
「くッ……もう一回! 疾走せよ、勇猛なる聖鳥――」
「遅くてよ? ――フレアドライブ! マグマストーム!」
アスカから吸収した魔力を使って詠唱を短縮。リリスは一気に距離を詰めて、大剣を振った。マグマストームの炎渦が刃に巻きつき、攻撃を強化する。
炎に包まれ、身を焦がしたアスカの顔に絶望が浮かぶ。
「ヒロインなのに……主人公補正なのに……」
「あたくしに刃向うからですわ」
苦しみと恐怖に歪んだ「ヒロインちゃん」の顔を充分に堪能してから、リリスは刃を振り降ろした。
地味ながら、そこそこ愛らしい顔が真っ二つに両断され、器を失った脳漿と血液が溢れ出る。こぼれた眼球が地面に落ちる頃には、胸骨、肋骨も粉砕され、支えを失くした臓器も後を追うように落下。薪が割れるように裂けた身体が左右に分かれる。
傷口から湧き出るように炎が燃え上がる。肉と脂肪を燃料に、黒煙を吐き出す様はなんとも清々しい。まるで、炎という蛇に餌を与えている気分だ。
なかなかの遣い手のようだが、相手にはならなかった。ちょっとした運動をした気分だ。
まったく、人間は和平の間に、なにも進歩していない。魔族は今だって、再戦に備えて日々技を磨いているというのに。
愚かな下等生物は、滅ぼして差し上げなくてはね?
「さあ、クラン殿下?」
木の枝に引っかかっていたクランが蒼い顔をしている。
リリスは苺色の瞳に恍惚の眼差しを浮かべながら、身体に纏わりついた炎を払った。勿論、白くて滑らかな肌には、少しも傷はついていない。
「た、たすけてくれ……! 婚約は解消しないから。じょ、冗談だ……!」
「あたくし、これでもクラン殿下のことを、少し気に入っていましたのよ?」
ガタガタと歯を鳴らして震えるクランの頬に指先で触れる。
人間にしては端正な顔立ちだ。そういえば、学園では冷徹王子と言われるポーカーフェイスで通っていた。今では、こんなに子供のように情けなく震えているのだけれど。
もう人間の学園に通ってやる必要もない。人間側が一方的に、理不尽な理由で婚約破棄をしたのだから。
これからは、美味しそうだと思っていた学園の殿方や令嬢たちも、好きなように殺していいのだわ。まあ、素敵。
「クラン殿下は下等な人間族にしては美しいお顔と、お声をしていらっしゃるもの。どんな風に喚くのか、とても興味があるのですわ」
「ひ、ひぃッ!」
期待の眼差しを向けると、クランは逃げようと必死でもがく。
その様をうっとりと眺めながら、リリスは眷属を召喚した。黒い影のような亡霊に動きを封じられて、クランは端正な顔に涙を浮かべた。
「じっくりと、堪能させてもらいますわ。元婚約者様ですもの。大事に大事に……そうね。手始めに、足元から一ミリずつ肉を鋸で削っていきましょうか。大丈夫。失神しないように、ちゃんと魔法で起こして差し上げますから。首だけになったら、その歪んだお顔を盾に飾って眷属にしてあげます。一緒に人間の国を滅ぼしましょうね」
馬鹿な王子だけど、それなりに気に入っている。
精一杯の温情と優しさを込めた瞳で、リリスはクランに口づけた。
これから泣き叫んで断末魔の命乞いをする予定の唇は、とても甘くて美味しい味がした。
婚約破棄ざまぁって、こうですか!?
連載作品の合間に趣向の違う作品を書きたくなる病♪
ちょっとしたストレス発散でした。
魔法の詠唱に関しては、作者の趣味を120%反映しております。元ネタがわかる方とは、仲良くなれる気がします。因みに、ブースターはフレアドライブ使えない方が、ネタになって美味しかったと思います!