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小早川秀秋の最期

作者: 桜井信親

慶長七年(1602年)十月、備前の太守・小早川中納言秀秋が死去。

死因は発狂死とされ、享年二十一。


嗣子はなく、小早川家は断絶・改易となった。


また、同日同所にて、秀秋の実兄・木下信濃守俊定が亡くなっている。


俊定は関ヶ原で失領した後、実弟の秀秋の下に寄宿。

備前国内で五千石を食む、一門衆の筆頭として重きを為していた。


そしてもう一人。


同時に死去した人物がいた。


彼の名は木下延貞。

俊定の弟で秀秋の兄にあたる。


生来病弱であり、木下兄弟の中では唯一領地も官位も持たず、実父の木下肥後守家定、後には実兄たる俊定のもとにあり、何を為すこともなく日々を送っていた。


この兄弟三人は、奇しくも慶長七年十月の同日同所にて謎の死を遂げているのだった。



* * *



木下延貞は近頃、兄と弟の悩みが深いことを知っていた。


兄はかつては丹波にて一万石を食む、歴とした大名であった。

その経験を以て、現在は家老の平岡石見守頼勝と共に領内検分に駆け回っていた。


弟は関ヶ原合戦以降、何かを振り払うかのように精力的に働いていた。

領民を慰撫し、殖産を奨励。

更に寺社の復興を行い、城構えの増築を行うなどし、若い為政者としては中々のものと言えた。


一方で、その兄も弟も、徐々に不調をきたしていた。

当主と一門筆頭の不調は、家中に多大なる影響を及ぼす。


平岡に並ぶ家老であった、稲葉佐渡守正成の出奔がその最たる例であろう。


稲葉は、家老の杉原紀伊守重政と共に秀秋に対して諫言を行った。

すると秀秋は怒り、家臣に命じて杉原を上意討ちさせてしまった。


諫言の内容は、乱行が云々とのことだったが定かではない。


いずれにしても、身の危険を感じた稲葉は出奔。

その余波で、中堅の瀧川内記辰政らも出奔するに至った。


当然小早川家中は大いに動揺した。

特に秀秋は、ついカッとなって重臣の杉原を討ち果たしてしまったのだ。

その後の狼狽ぶりは、見るに堪えない程であった。


その様を見ていた。


見ていただけ、である。


木下延貞は、ただずっと見ていたのだ。


父の下から兄に誘われ、弟の下へ連れ出されてからずっとだ。

いや、それ以前。

兄が領地経営について愚痴を言っていたことも、弟が太閤の養子として絢爛な日々を送っていたことも。


ずっと、見ていた……だけだった。



* * *



後悔だろうか、と木下延貞は自問する。


己は病弱で何も出来ない身の上。

兄弟で己のみ、皆と異なる道を歩いてきた。


縁者の少ない太閤の一族として、父も兄弟のほとんども武士としての道を歩いている。


兄弟で唯一出家した、周南紹叔とも異なる道を歩いてきた。

何もしないという道を。


その結果がこれ。



後悔だな、と木下延貞は結論付けた。



昔を振り返る機会はいくらでもあった。

過去の経験を今に生かさねば、何にも成りはしない。

後悔していると自覚した木下延貞は、現実を直視する。


小早川家は既に死に体だ。


当主である弟も、それを支える兄も限界が近い。


これはずっと見てきた己だから分かること。

大名家という組織のことを、詳しく知っている訳ではない。


しかし、兄弟のことはよく知っている。

例え共に過ごした時が短かったとしても、そこはやはり肉親である。


観察力もそれなりにあると思われる。

他にやることもなかったのだから。


己に出来ることは何もない。


そう諦観してきた。


だがそうじゃないだろう。

出来ること、何かあるだろう。


己には何もない。

領地も官位も、妻子も従者も。


ただ当主の兄であり、一門筆頭の弟であるだけだ。


守るべきものは、兄と弟のみである。


簡単なことなのに、ここまで来るのに相当の時を要してしまった。

どうやら自分は相当に不器用なようだ。


こうして木下延貞は、覚悟を決めた。





* * *





木下延貞は、兄と共に弟の居室を訪れた。

人払いも済ませており、ただ兄弟で酒盛りでもしましょうと誘った。


木下俊定、木下延貞、小早川秀秋


木下家定の、四男・五男・六男である。

母も同じ。

歳も近い。

同じ領内に住んでいる。


なのに何故か、今までこうして集まる機会は不思議となかった。


やはり皆、余裕がなかったのだろう。


俊定は領地を失ってから。


木下延貞は病弱であると線を引いて。


秀秋は……。


* * *


「兄上。秀秋。今宵は、ただ実の兄弟として腹の内を、全て吐き出しましょう。」


木下延貞が場を仕切る。

既に覚悟は決まっていた。


秀秋は心が弱い。

俊定は情が強い。


結果、二人とも限界が近付いている。


この時に何が起こっても、己は彼らを受け入れよう。

ただ、大切な兄弟の為に。



* * *



酒が進み、場が温まると口も滑らかになってくる。

そうして漸く、兄弟は唯の兄弟として向き合えた。



俊定は吐露する。


己の不甲斐なさを。



秀秋は涙する。


己が心の迷いと不安を。



木下延貞は受け入れる。


兄弟の全てを。



* * *



俊定は願う。


あの頃に戻りたい、と。



木下延貞は頷き同意する。


あの頃がいつなのか、などと確認するのは無粋なことだ。




秀秋は願う。


楽になりたい、と。



木下延貞は頷き覚悟する。


弟が何を求めているのか、分かってしまったから。


* * *


兄と弟は武士である。

酒盛りの席ではあるが、脇差は何時でも取れる位置にある。


木下延貞は、さてどういう身分であろうか。

姓を持ち、名を持つからにはやはり武士だろうか。


刀を持つことは終ぞなかったが、短刀は父から授かっている。


つまり皆、刃を持っていた。



木下延貞は覚悟を決めていた。


俊定も、酒に酔っても呑まれてはいなかった。

仮にも兄である。

すぐ下の弟の、考えていることも薄々分っていた。


秀秋は、久々に兄たちと気楽に飲めて、しかも全てを受け入れて貰えてとても、気分が良かった。

酔いも程良く廻り、穏やかな顔で半分眠っているかのような状態にあった。



そんな秀秋を愛おしそうに眺め、木下兄弟は頷き合う。



「秀秋。もう、お前を一人にはしない。」


「あちらでは、共に過ごそうぞ。」





* * *





慶長七年(1602年)十月十五日。

備前国岡山城内、小早川中納言秀秋は自室にて死去。

傍らには、彼の兄である木下信濃守俊定と、同じく兄である木下延貞が亡くなっていた。


薄々ながらも色々と察していた平岡は、素早く片付けと緘口令を指示。

木下兄弟を別室に移し、当主秀秋とは別に埋葬の段取りをつけた。


秀秋は備前・小早川家の当主であり、幕府など表沙汰にしなければならないことが多い。

一方の木下兄弟は、当主の身内とは言え家臣である。

表に出す必要は全くない。

せいぜいが、実父の木下家定や、身内で叔母に当たる高台院に知らせる程度だ。


同日同所の死去ともなれば、何かと詮索される可能性もあるが……。

そこまで考え、平岡はあることに気が付いた。


最近は何かと心労も多かったであろう主君とその兄君であるが、彼らの死に顔は非常に穏やかであったのだ。

尻拭いを押しつけられたことに思うことが無いではなかったが、最後にその顔を見ることが出来ただけでも良かったと思えた。





改易された小早川家の後始末を終えた平岡は、後に徳川家康に召出され一万石の大名となった。


大名になれたのは、関ヶ原合戦の折、秀秋に東軍に付くよう勧めたことを賞された為とも言われる。

だがむしろ、最後まで秀秋に尽した姿勢を認められたことこそ、賞され召出された要因であろう。






秀秋は関ヶ原合戦後、秀詮と名乗りを変えています。

他、色々突っ込み所があるかと存じますが、御容赦下さい。


本作は、某企画の決選投票に破れた記念作品という位置付けです。

投票段階からちまちま作成していたら、まさかの落選。

お蔵入りするのもアレなので、遅ればせながら放出した次第です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 『小早川中納言秀秋』と言えば、大河ドラマなどで徳川家康などが出演する場合、狸親父に手玉に取られ裏切り行為を行い、戦の勝敗を決定づける働きをしたにもかかわらず、視聴者には冷め…
[良い点] なんとも言えない、日本人独特の死生観と…… 『滅びの美学』 というものでしょうか? 望まずして栄達した一族の、葛藤と悲哀? とてもいいです。 [一言] ひさまさは、『三成派』ですの…
[一言] 投稿お疲れ様です。 読み終わった後の余韻が凄く良く、夜にじっくり読んで正解だと思いました。 兄弟の情が悲愴の色を添え、滅び際という難しい題材が非常に鮮やかに表現されていると思います。 私も…
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