1 事の始まり
前半は梅、冬之助に見守られていますが、そのうち本人達が語り始めます。
「よおサエ。おめえ、家はどうなってんだ?」
「 はあ?急に何の話よ」
家業の商いの使いで通りを歩いていたサエの腕を掴み、善太郎がそう尋ねると、サエは整った顔を不機嫌に歪めて善太郎を見上げた。
「 可愛くねえ顔すんな。まだ家の仕事やってんだろ?このままおめえがやんのか。それともあのガキが継ぐのか? 」
「 関係ないでしょ!孝也が継ぐけど小さいんだから先の話よ。私にもまだ手伝えるわよ!」
サエはさらに眉を寄せ、善太郎の手を振り解いて去って行った。
「 何でああやかましいんだろうな」
善太郎は人通りの多い往来で腕を組み、遠ざかるサエの後姿を眺めながらつぶやいた。
「いい加減にしてよ!今度は何!」
数日後再び捕まり腕を振り解こうともがくサエに、善太郎はびくともせず、華奢な腕を掴んだままで言った。
「 煩せえ、落ち着け」
「 ・・・何なのよ」
一度顔を歪めた後諦めたかのように疲れた声で聞くサエに、善太郎が続けた。
「 お前、俺に嫁に来る気はあるか?」
「 はあ!?・・・何言ってんの?」
「 俺も店のことがあっからな。色々検討してんだよ」
呆れ果て馬鹿にしたような表情を浮かべていたサエが、善太郎の台詞に表情を変えて怒鳴った。
「 ・・・・・・ばっかじゃないの!あんたの所に嫁に来る女なんか居るわけないでしょ!」
「 お前そりゃ言い過ぎだろうが」
周りも気にせず大声で叫んだサエを、善太郎が常にない低い声でたしなめた。
「・・・信じらんない。頭おかしいんじゃないの」
サエは小さく呟くと、きびすを返し足早に去って行った。
「 おい梅」
「 何?うちに帰ったら、おいじゃなくてただいまだと思うけどね」
帰宅した兄さんに軽く抗議したが、予想通り無視された。
「 サエはどうなってんだ?」
「 え?サエ?サエがどうかしたの?」
母さんに頼まれた繕い物をしていたが、サエという聞き捨てならない言葉に顔を上げた。
「 俺が聞いてんだよ。あいつはもしかして他に好いた男がいるのか?」
私は首を傾げた。兄さんは帰って来るなり何を言っているんだろう。
「 他にって何よ?他にも何もそんな人居ないんじゃないの?聞いたことないもの。サエに何かあったの?」
何か男の人が絡む問題にでも巻き込まれたのだろうかと心配する私をよそに、兄さんは見る見る顔を険しくさせた。
いつも周りの人を不機嫌にさせている失礼でふざけた兄さんだが、本人は周りに構わずいたって快活であり、こんなに険しい表情は滅多に見ることがなかった。
兄さんはその貴重な顔のまましばらくこちらを睨むように見ていたが、珍しく静かな低い声で私に尋ねた。
「 あいつは俺のことをどう言ってる」
さらに首をかしげることになったが、いつもけちょんけちょんに言われているとも言えず、かなり気を使って答えてみた。
「 どうって、まあ、兄さんみたいなもんだと思ってるんじゃない?こど、」
子供の頃は、兄さんの事大好きだったみたいだけどね。とサエの恥ずかしい過去を暴露しようとしたが、兄さんはばんと戸を閉めて出て行ってしまった。
戸を閉める音が騒々しいのは常のことだが、明らかに様子のおかしい兄さんに三度首をかしげた。