TPOには気をつけて
お借りしたお題は「今月の時刻表」です。
加部千代子。気がつけば、秘書課最古参。
同期の女性は全員寿退社してしまった。 今、彼女の心の支えは、芸能人の米倉涼子。同い年で、独身。いや、何が心の支えなのか、冷静に考えてみるとよくわからない。そんな千代子のところに会社の厚生課から通知が来た。有給休暇を全く消化していないので、早急に対応されたし、との内容であった。
(そう言えば、今年度は全く有給を使っていなかった)
数年前までは、同級生や後輩の結婚式やら何やらで有給を消化していた千代子であったが、すでにその手の話は何年も言われていない。昨年はむしろ、冠婚葬祭でも葬祭の方で有給を使う事が多かった。
(結婚式は土日に集中するから、敢えて有給を使わなくても出席できるけど、お葬式はそういう訳にはいかないからね)
そんな事を考えたせいなのか、生まれ故郷である北海道の両親の事を思い出した。年末年始の休暇で帰ったきり、ゴールデンウイークにも帰っていない。二十代の頃は、父親が気を揉んですぐに電話をかけて来たものだが、三十代も後半になると、全くかかって来なくなってしまった。自分の年のせいもあるだろうが、妹に子供ができたのが大きい。同じ北海道でも、両親は札幌、妹は帯広。気軽に行き来できる距離ではないので、連休になると妹夫婦が実家に帰っているのだ。
(私の存在はドンドン希薄になっているんだよなあ)
千代子は溜息を吐いてしまった。
「いつになったら結婚するんだ?」
三十代前半には、実家に帰るたびに父親だけではなく、親戚一同が言っていた。だが、それも数年前からは何も言われなくなった。
「あいつは結婚する気はないらしい」
父親が伯父と酒を酌み交わしながら、寂しそうにそう言っているのを聞いてしまって以来、実家の敷居が高くなった気がしている。
(それでも、帰ってみるか)
両親より、厚生課のうるさ方の方が遥かに厄介だと結論を下した千代子は、有給を使って、北海道に帰る事にした。
(そう言えば……)
ふと思い出した。アメリカから帰って来て常務に就任した平井卓三も札幌出身だと聞いた事がある。それを知って以来、平井に親近感を覚えるようになった。千代子は、実は平井が苦手だった。営業課の課長だった時、部下と不倫していると噂になったのを聞いた事があるからだ。彼女自身は、平井の相手が誰だったのかは知らない。いや、知りたくなかった。だから、その不倫相手がまだ在職しているのか、それとも退職したのかも知らないのだ。人間拡声器の呼び声高かった律子をもってしても、千代子の耳には届かなかったのだ。それくらい、千代子は営業課の人間と付き合いがなかった。
有給を取る事を決め、秘書室長に報告した後、千代子は廊下で平井と会った。
「おはようございます」
千代子が深々とお辞儀をすると、平井はヘラヘラ笑いながら、
「おはよう、加部君。嬉しそうな顔をしているが、何かいい事があったのかね?」
危うく「結婚が決まったのか」と訊きそうになったが、
(確かそういうのはセクハラになるとマニュアルに書かれていたな)
最近、秘書の武藤綾子から手渡された「女子社員との会話で注意すべき事」という人事部と厚生課が作成した冊子に書かれていた事を思い出した。
「厚生課に有給を消化するように言われておりまして、実家に帰る事にしました」
千代子がにこやかに応じてくれたので、平井はホッとした。そして、
「加部君は実家はどこかね?」
それはセクハラではないだろうと思いながら、尋ねてみた。
「札幌です。常務と同じです」
平井の顔が綻んだ。
(よかった、共通の話題ができたぞ)
千代子も平井がニコニコしているのを見て、ある事を言ってみる事にした。
「今月の時刻表を調べて、何時に発って何時に帰るとか考えていたら、お土産を買う事を思い立ちました」
それを聞いた平井は胸を高鳴らせた。
(綾子君は若過ぎて食事に誘ったりは難しいが、加部君なら……)
よからぬ妄想をし始めた。そんな事とは思ってもいない千代子は、
「お土産、何がいいですか?」
お追従とかのつもりは全くなく、切り出してみた。すると平井は微笑んで、
「君が無事に帰って来るのが、一番のお土産だよ」
千代子はそれを聞いて、まずいとは思いながらも、ドン引きした。
(やっぱり、この人、無理だわ)
彼女の中で平井の好感度が急降下した。
平井はいつもどおりでした。




