妄想の羽
お借りしたお題は「妄想の羽」です。
明石三太。業界最大手の運送会社の「ハルナ運輸」に勤務しているかなり奥手な独身男である。
三太は、乳酸菌飲料のナクルトを配達しているナクルトレディの荒川真央に心を惹かれ、思い切って告白した。ところが、真央はストーカーのような男にしつこくつきまとわれ、それがトラウマとなって、男性恐怖症になっていた過去があった。そのせいで、三太の突然の告白に動揺した真央は、泣きながら三太のアパートから逃げてしまった。
後で、真央の上司に事情を聞いた三太は、自分の軽はずみな行動から、真央を酷く傷つけてしまったのを反省した。お詫びをするために仕事帰りに花を買ってナクルトの営業所を訪れたのだが、すでに真央は辞職した後だった。三太はショックを受け、数日会社を休んでしまった。
それからしばらくして、ナクルトを配達されるたびに真央を思い出し、悲しみでいっぱいになってしまうので、契約を解除した。三太も深く傷ついていたのである。
(笑顔の真央さんが配達してくれるから、飲もうと思ったんだ。他の人が持って来るのでは、全く意味をなさない)
三太はそう思っていた。少し身勝手な考え方である。
そして、仕事に復帰した日、担当エリアの武藤綾子のマンションへの配達があるのに気づいた。
(日本の神社百選か……。綾子さんらしい趣味だな)
三太は再びかつての思い人である綾子に興味を戻し始めていた。心を弾ませ、綾子のマンションへと向かい、指定時間である午後六時から八時になるのを待ちかねるかのように彼女の部屋へと向かった。ドアフォンを鳴らすと、
「はい」
綾子の声が聞こえた。
(ああ、綾子さん!)
三太の胸が高鳴る。
「三毛猫ハルナの光速便です。お荷物をお届けにあがりました」
ドアのロックが回る音がし、チェーンが外される音がする。ゆっくりとドアが押し開かれた。三太は笑顔で綾子が顔を出すのを待ったのだが、
「はい、ハンコ」
顔を出したのは、白髪混じりの五十代くらいの男性だった。三太はあまりにも意外な人物の登場に目を見開き、返事もしないで男性の顔をマジマジと見てしまった。
「何だね?」
男性は三太を訝しそうな顔で見て尋ねた。三太はそこでようやく現実世界に戻って来た。
「あ、その、すみません、こちらは武藤綾子さんのお宅でよろしかったですか?」
三太はすっかり動揺してしまい、あたふたしながら尋ね返した。すると男性は目を細めて、
「そうです。ここは武藤綾子の家ですよ」
三太を疑うような眼差しを向けている。三太はますますオロオロして、
「そ、そうですか、ではこちらにハンコをお願いします」
震える手で送り状を指差した。男性は不審そうな目のままでハンコを推し、荷物を受け取った。
「ありがとうございました!」
三太は送り状の控えを渡し、会社控えを持つと、帽子を取って深々と頭を下げ、外廊下を立ち去ろうとした。
「君」
すると男性が三太を呼び止めた。三太はギクッとして振り返り、
「はい?」
何だろうと思いながら、男性を見る。すると男性は、
「名前は?」
突然訊かれたので、三太はポカンとしてしまったが、
「明石です。明石三太と言います」
「そうか。悪かったね、呼び止めてしまって。仕事、頑張りなさい」
男性は突然にこやかな顔になってそう言った。
「ありがとうございます!」
三太はもう一度帽子を取って頭を下げ、立ち去った。
(そうか、綾子さんのお父さんなのか)
男性が誰なのか、ようやく思い当たった。そして、
(お父さんに挨拶できた。これはラッキーかも知れない)
妙な方向に妄想が発展し始めた。
(そうだ。お父さんと先に親しくなって、それから綾子さんと親しくなればいいのか)
三太の妄想の羽は果てしなく伸びていこうとしていた。
三太の妄想は続きます。




