何の意味もない
お借りしたお題は「動画」「オレンジジュース」「フライヤー」です。
梶部次郎、四十五歳。7月の誕生日で四十六歳になる。長年の夢を叶えて結婚した大学時代のマドンナである弓子との間に愛娘の有香がいる。
(幸せ過ぎて、怖い)
梶部は毎日が満ち足りていて、全部夢なのではないかと不安になる事がある。
(一つだけ、現実に引き戻されるのは、ユーミンの潔癖なところだな)
弓子はおおらかで優しいが、所謂エッチな関係には途轍もなく厳しい。先日も、束の間の独身生活を楽しもうとした梶部が、インターネットでダウンロードした動画を見つけるや否や、
「次に同じ事をしたら、有香を連れて実家に帰ります」
そこまで言うか、と思うくらい、きついのだ。
(前の女房はエロ本をその辺に放り出しておいても、何も言わなかった)
それが離婚への第一歩だったとも思った。要するにお互いに関心がなくなっていたのだ。
(そんな事があったから、動画サイトからのメールを見ても、思い留まったんだよな)
半分感謝、半分鬱陶しい。そんな感じだったが、弓子に対する愛情は全く変わらず、毎日欠かさず一緒に入浴している程だ。有香が生まれてからは、三人で入るようになったが、それも嬉しい梶部である。
「次郎さんは体力を持て余しているのよ。だから、運動をした方がいいわ」
まるで昔の体育教師の発想だと思った梶部だが、弓子の助言に素直に応じ、毎朝ジョギングをしている。弓子も一緒に走りたかったのだが、まだ有香が小さいので、もう少し待つ事にした。
(ユーミンと一緒に走るのなら、もっと楽しいだろう)
梶部はこの年になるまで学生時代の体育や部活動以外で運動をした事がなかったが、早朝に走る事に喜びを感じていた。
(世の中には健康志向の人が多いんだな)
近所の運動場まで行って、そこにある一周二百メートル程のトラックを何週かする。同じ事をしている人が、老若男女を問わず、たくさんいたので、梶部はびっくりしてしまったのだ。
(目の保養にもなるよな)
実は弓子には内緒で、幾人か親しくなった若い女性のランナーがいる。彼女達との事を考えると、弓子とのジョギングはしばらく先延ばしにしたいとも思ってしまうエロオヤジでもあった。
(これから暑くなるから、ますます薄着になる……)
いけない妄想をしてしまう梶部である。そして、何事もなかったように帰宅し、ビタミンC補給のために冷蔵庫でよく冷えたオレンジジュースを大きめのグラスに注いで飲むのだ。
だが、健康に気を遣っているようで、それ程でもない面がある。仕事帰りに立ち寄った家電量販店で、実演販売をしていたフライヤーを購入し、夕食は揚げ物三昧なのだ。運動をするようになったせいなのか、食欲が二十代の頃に戻ったように増進している。
「何のために朝早く起きて走っているのよ、次郎さん?」
揚げ物を美味しそうに食べる梶部を半目で見る弓子。梶部はその突き刺さるような視線をヒシヒシと感じながらも、生活習慣を変えられないと思っていた。
(プラスマイナスゼロだろう)
楽天的な事を考えている。すると弓子が、
「有香が成人するまで、健康で働いていてもらわないと困りますからね。少しは考えてね、次郎さん」
冷や水を浴びせるような事を言った。梶部も有香の将来を持ち出されると、プラマイゼロとかお気楽な事は言えなくなってしまう。
「はい、わかりました」
項垂れて返事をし、もう一つある揚げ物を皿に戻した。




