平井卓三の大盤振る舞い
お借りしたお題は「盛った話を書く」です。
梶部次郎。中堅の建設会社の営業部長である。異例の出世と言われているが、実は同期である平井卓三常務の強烈な引きがあって得られた地位なので、あまり嬉しくない。
「平井さんは次郎さんが思っているほど嫌な人ではないわよ」
最愛の人である妻の弓子にそう言われると、そうなのかなと思ってしまう梶部である。だが、営業課長時代、部下の女子と不倫を三年もしていた平井をそう簡単に「いい人」とは思えないのも事実だった。
そんなある日、会社の廊下で平井に出くわした梶部は、立ち止まって頭を下げた。すると平井はヘラヘラ笑って、
「今誰も見ていないんだから、そう畏まるなよ、梶部」
ポンポンと肩を叩いた。
(縁起でもないところを叩かないでくれ!)
梶部は心の中で絶叫した。仮にも上司である平井に肩を叩かれるのは心臓に悪かった。平井はそんな梶部の葛藤を察するはずもなく、ヘラヘラしたままで、
「今度、弓子さんを交えて食事をしよう。帰国してからずっと、一人で飯を食べているから、寂しくてさ」
「はい」
梶部は平井の現況を思い起こした。娘の留学に合わせて渡米し、北米支部の立ち上げのめどがつくと、義父である現在の社長に呼び戻され、常務に就任した。ところが、その社長の娘である妻の蘭子はそのまま娘と一緒に残り、平井は奇妙な単身生活を送る事になったのだ。
(考えてみれば、こいつも可哀想な男なのか)
会社の中で見れば、平井の方が圧倒的に優位だが、私生活を見ると、そうでもないのに気づき、少しだけ平井に同情した。
「そうだ、子供がまだ小さいから、預かってもらえる店がいいな。手配しておくから、弓子さんに伝えてくれよ」
平井は右手を上げてそのまま立ち去ってしまった。
(相変わらず、自分勝手な奴だ)
梶部は溜息を吐き、部長室に戻った。
梶部はその夜帰宅すると、弓子に平井の事を話した。
「それはいいわね。平井さんも寂しいのね」
弓子は愛娘の有香に授乳をすませて言った。
「そうか。わかった。平井に伝えておくよ」
ユーミンがいいなら、何も差し支えない。梶部はそう考えた。
そして、数日後、平井の招待で、梶部夫妻は一度も入った事がない高級料亭に赴いた。
「いいのかしら、乳飲み子を連れていても」
弓子は眠っている有香を気にしながら呟いた。梶部は苦笑いして、
「子供を預かってくれる店を選んだって言ってたから、大丈夫だろう」
「そうなの。平井さん、優しいのね」
弓子が嬉しそうに言ったので、梶部は少しだけ平井に嫉妬してしまった。
(まさかあいつ、ユーミンを……)
よからぬ妄想をしそうになり、梶部は慌ててそれを振り払った。
「久しぶりだね、弓子さん。相変わらず奇麗だね」
通された部屋に先に来ていた平井が、ヘラヘラしながら言う。隣の控え室で有香を預かってもらった弓子は恥ずかしそうに微笑んで、
「そんな……。平井さんの奥様には遠く及びませんから」
社交辞令にしても、ストレート過ぎると梶部は思ったが、弓子がいい返しをしてくれたので、安心した。
(下心が打ち砕かれただろう、平井?)
弓子に妻の事を言われ、平井が微かに動揺したのがわかったのだ。
だが、そんな梶部の疑心は次第に薄れていった。出てきた料理は、数万円はするのではないかというものだったからだ。
「ちょっと、本当にご馳走になっていいのかしら?」
弓子が小声で尋ねて来た。梶部は、
「いいんだろう。平井は稼ぎがいいんだから」
「そうなの?」
それでも、根が真面目な弓子は申し訳なさそうだ。
「どうした、どんどん食べてくれよ、梶部、弓子さん。払いの事は心配しないで。この料亭は俺の出資で作ったんだから」
平井は冗談とも真実とも思える話を始めた。
「芸者でも呼ぼうか、梶部? 結婚してから、全然遊んでいないんだろ? 十人くらい呼ぶか?」
平井の下世話な言い方に梶部は顔が引きつった。弓子はそういう事にはかなり過敏なのだ。先日も、エッチな動画を観ていたのがわかり、インターネットの解約をされかけた程だ。
「いえ、遠慮します。妻がいますし……」
梶部は弓子を気にしながら告げた。すると平井はガハハと笑い、
「そうだったな。弓子さんがいるのに芸者なんか呼んだら失礼だよな」
梶部は弓子も顔が引きつっているのを感じた。
「二年後には、俺は専務になる。そしたら、今のポストはお前に譲るよ、梶部」
酔いが回ってきたのか、トロンとした目で言う平井。
(本気なのか?)
訝しそうに彼を見てしまう梶部だった。
ということでした。




