ひそひそ話は気をつけて
お借りしたお題は「給湯室」「付録」「梅雨」です。
波野陽子。秘書課に配属されて三年目。自分でも、それなりに美人だと思っている。一期後輩の男子で、勝呂達弥をいいなと思っていたが、一期先輩の大磯理央も狙っているのを知り、諦めた。そんな経緯があったので、会社を辞めた達弥から連絡があった時は、妙に浮かれている自分に驚いた。
(バカよねえ、私って)
淡い期待を抱き、理央と共に達弥に会いに行くと、同期だった武藤綾子と付き合いたいので、相談に乗って欲しいと言われた。綾子からも、それらしい事を聞いていたので、そうではないかなとは思っていた。
(理央先輩に盗られるのは癪だけど、武藤さんなら仕方ないか)
東大出身で美人の綾子には逆立ちしても勝てないと思った陽子である。
そんな陽子と理央であるが、決して普段は仲が悪い訳ではない。むしろ、綾子に先に恋人ができた事で、より奇妙な連帯感が生まれ、二人で飲みに行く事もしばしばである。合コンにも頻繁に参加してはいるが、そういうところに来るのは、下心満載の男ばかりで、真剣に交際するつもりがある者はほとんどいなかった。いたとしても、好みのタイプではないのだ。その辺りで、いい加減妥協を考えないと、主任みたいになってしまうと、ふと秘書課の「お局様」である加部千代子を思い出した。
(今年は梅雨入りが早かったな)
まだ五月だと言うのに、外は雨がシトシト降っており、朝の天気予報では、関東地方が梅雨入りしたと気象予報士が伝えていた。
「主任はどこに行ったの?」
室長も会議で不在のため、理央が給湯室に陽子を誘った。愚痴を言うには持って来いの場所なのだ。
「室長について、会議に出席したはずですよ。しばらく戻らないと思います」
陽子はそれでも辺りを窺いながら、声を低くして応じた。すると理央はクスクス笑って、
「何をそんなに警戒してるのよ、陽子。ここには私達しかいないわよ」
「武藤さんもいますよ」
陽子はパソコンで平井卓三常務取締役のスケジュール管理をしている綾子をチラッと見た。しかし、綾子はモニターを見ているので、陽子の視線には気づいていない。
「武藤さんは主任や室長に告げ口したりしないわよ」
理央も綾子を見て言う。陽子は溜息を吐いて、
「そんな事は心配していないですけど……」
陽子は、理央先輩は警戒心がなさ過ぎると思っている。
「そう言えばさ、主任の趣味って知ってる?」
理央がおかしくて仕方がないという顔で尋ねて来た。陽子はキョトンとして、
「いえ、知りませんけど……」
何を言い出すの? 主任の趣味なんて、全然興味ないわ。陽子は思った。
「主任はね、雑誌の付録を集めるのが趣味なの。オバさん臭いでしょう?」
理央はゲラゲラ笑いながら言った。その笑い方も十分オバさんの域ですよ、理央先輩。心の中で思う陽子である。
「ああはなりたくないという見本が、主任よね」
理央は肩を竦めて澄まし顔で言った。その時、陽子は視界の端に千代子の靴の爪先を捉えたような気がした。給湯室の開け放たれたドアのすぐそばで、千代子が聞き耳を立てているのではないかと推理した陽子は、ジェスチャーで理央に黙るようにメッセージを送ったが、理央はそれを理解せず、
「どうしたのよ、陽子? 主任も室長もあと三十分は戻って来ないわよ」
更に千代子の悪口を言い始めた。陽子は勘の悪い先輩に項垂れてしまった。
(これで主任のお小言タイム、決定だ……)
外の雨のようにジトジトしてしつこい千代子のお説教を思い起こし、陽子は小さく息を吐いた。
ということでした。