男の身嗜み
お借りしたお題は「ファッショナブルな物語を書く。主人公の服装等を具体的に書き、ファッションを物語に関連付ける。あるいは「靴」や「バッグ」など何か一点にこだわった作品でも構わない。それ以外の縛りはなし。」です。
梶部次郎、四十五歳。憧れの人だった井野弓子と再婚した。弓子も再婚だ。
前の妻は弓子とは親友だった。だから梶部はできるだけ穏便に離婚した。
妻の方も以前から別れたがっていたので、これといって支障はなかった。
妻もまた、昔の恋人と再婚するらしい。誰なのか気になったが、考えるのをやめた。
冷え切っていた関係の間、梶部は服装に無頓着になり、スーツとネクタイ、ベルトと靴などのコーディネートを考えずに着ていた。
弓子と暮らすようになって、まず指摘されたのはそこだった。
「会社では手本にならないといけない立場なのだから、服装にはもっと気を遣ってね」
弓子に言われると、何でも素直に聞ける自分がいた。
「ビジネスマナーとして、ストライプの目立つスーツはNGよ。色は濃紺かグレーで。それから、靴下は黒か紺、あるいはグレーね。ベルトと靴の色を合わせるのは基本中の基本よ」
弓子はまるで新入社員に言い聞かせるように話す。それも梶部には心地いい。
「上着に皺はないか、スラックスには奇麗な折目がついているか」
そう言いながら、弓子は梶部のネクタイを締めてくれた。
「ネクタイは奇抜な柄物は避ける事。色はエンジなどの赤系か紺系。シャツは白のみ。色付きやストライプが入ったものはダメよ」
ネクタイを締めてくれる時、弓子からいい匂いが漂ってくる。それは梶部のお楽しみタイムでもあるのだ。
毎朝、爪や髭のチェックも欠かさない弓子は、梶部にとってまさに理想の妻だった。
「行ってらっしゃい、パパ」
弓子は大きくなったお腹をさすりながら、梶部を玄関で見送った。
「行ってきます」
梶部はデレッとしそうな顔を引き締めて応じ、弓子に背を向けたところでニンマリした。
(ユーミンのお陰で、最近、女子達の受けがいい)
梶部はニヤニヤしながら会社のロビーに入り、受付係の女の子にビクッとされたのに気づかない。
「おはよう」
「おはようございます」
梶部は受付嬢達の苦笑いもわからず、嬉しそうにエレベーターホールに向かう。
「おはようございます」
そこに営業課の藤崎、須坂、杉村が来た。
「おはよう」
梶部は微笑んで応じた。藤崎は元々ファッションセンスはいいが、須坂と杉村は見違えるように着こなしが変わった。
「次長は本当にお洒落ですよね。見習いたいです」
須坂が言う。杉村が相槌を打った。梶部は照れ笑いをした。
「今度、律子がお宅にお邪魔するそうで。よろしくお願いします」
藤崎の妻になった律子は、弓子にあれこれ学びたい事があるらしい。
お互い妊婦なので、その当たりも意気投合する事があったようだ。
エレベーターを降りて次長室に向かう途中、秘書課に転属した武藤綾子に会った。
「おはようございます、次長」
綾子は折り目正しいお辞儀をした。随分と先輩にいびられていると聞いているが、それは敢えて口にしない。
(武藤君なら大丈夫だ)
そう思う梶部である。
「次長、早く部長になってくださいね」
綾子が言った。梶部はドキッとして、
「ああ、そうだね」
綾子が自分の秘書になる。そのためには少なくとも部長にならないといけない。
いつになく出世欲が出てきて、また心の中で弓子に詫びる梶部だった。




