明石三太の日常
お借りしたお題は「営業」「はっぴ」「乳酸菌」です。
明石三太は三毛猫ハルナの光速便に勤務する引っ込み思案な男である。彼は担当エリアにあるマンションに住んでいる武藤綾子に一目惚れした。そして、荷物を届けた時に飲みの誘いを書いたメモを渡したのだが、綾子には伝わらなかった。彼はもっと積極的にならなければダメだと考えたが、そのたびに綾子のそばには別の男がいた。
(武藤さんはそんなに遊んでいる女性なのだろうか?)
一時はそんな事まで考えてしまった。
(いや、武藤さんに限って、そんなはずはない)
しかし、何の根拠もなく、綾子を純情可憐な女性に確定してしまう三太である。
そして、書店で「恋愛に勝利するために必要な事」というマニュアル本を購入して、アパートの部屋で読みふけっていた休日の朝、ドアフォンが鳴らされた。
(こんな早くに何だろう?)
三太は首を傾げながらチェーンをかけたままでドアを開いた。
「朝早くに申し訳ありません、健康飲料のナクルトです」
そこには襟のところに「ナクルト500」と書かれたはっぴを着た、笑顔がはち切れそうなショートカットの若い女の子が立っていた。三太は自分の好みの顔だったので、ドキッとしてしまった。
「あ、どうも……」
つい愛想笑いを返してしまう。するとそのナクルトレディは小首を傾げて、
「あの、よろしければ中に入らせてくださいませんか? お時間はとらせませんので」
三太はその天使の笑顔にキュンとしてしまい、あっさりとチェーンを外し、彼女を中に招き入れてしまった。
「ありがとうございます。今までにナクルトを飲まれた事はありますか?」
早速営業スマイル全開のトークが始まった。三太は苦笑いして、
「いえ、ありません」
「そうなんですか。是非、健康のため、一日一本、乳酸菌飲料の金字塔と言われたナクルト500をお飲みください。胃腸の健康だけでなく、お肌にもいいですよ」
ナクルトレディは肩にかけているバッグから試供品らしきナクルトを取り出し、三太に渡した。
「あ、どうも」
いらないと言えない三太は、またしても愛想笑いをして受け取ってしまった。
「今、ご成約いただいた方の中から抽選で、箱根温泉一泊旅行のペア招待券を差し上げております」
「え?」
一泊旅行のペア招待券という言葉に三太はグイッと引き込まれた。
(綾子さんと二人で行きたい)
まだ告白もしていないうちに一泊旅行に行こうとしてしまうのが三太である。
「契約します!」
三太は試供品をグビッと飲み干してナクルトレディに詰め寄って言った。彼女は一瞬ビクッとしたが、すぐに営業スマイルを復活させ、
「ありがとうございます! こちらの書類にご住所とお名前、お電話番号、お勤め先をご記入ください」
「あ、はい」
三太はクリップボードに挟まれた三枚複写の契約書を受け取ると、素早く書き込んだ。
「あ、三毛猫ハルナの光速便様にお勤めなんですか! 一流企業ですね!」
ナクルトレディは目を見開いて言った。
「いや、そんな……」
三太はお世辞だと思いつつも、嬉しくて照れ笑いをした。ナクルトレディは契約書に自分の印鑑を押し、控えを三太に返すと、
「私、この町内を担当している荒川真央と申します。よろしくお願いします!」
名刺を制服のポケットから取り出し、三太に手渡した。
「あ、僕は明石三太です。よろしくお願いします」
職業柄、どうしても帽子を取って挨拶をする習慣がある三太は、被ってもいない帽子を取ろうとしてしまい、真央にクスッと笑われてしまった。顔が火照るのがわかった。
「ありがとうございました! 私、今月、明石さんが初めてのご成約なんです。本当にありがとうございました!」
真央は涙ぐんで何度も頭を下げ、ドアを閉じた。
(荒川真央さん、か……)
三太の頭の中から、綾子が消えかかろうとしていた。




