揺れる綾子
お借りしたお題は「マネジメント」「感動」「羊」です。
武藤綾子は、偶然再会した元同僚の勝呂達弥にたびたび誘われ、幾度となく食事をしている。
「お前、最近、留守が多いな?」
先日、いつものように不意打ちでマンションを訪れた警察官の父親に電話で小言を言われた。
「残業が多いの」
綾子はそう言って誤魔化した。達弥との事を父に知られれば、彼に直接会いに行かれると思ったのだ。
(そうされるのが嫌なの?)
自問してみるが、答えがわからない。
「俺、ゆくゆくは独立して、一国一城の主になりたいんだ。だから、今、店長の技を必死に盗もうとしているんだよ」
居酒屋でアルコールが入ったせいもあるのか、達弥は熱く語っている。そんな彼の事を疎ましく思わず、感動しながら話を聞いている自分に驚いた。
(私、どうしたのかな?)
綾子は空になったジョッキに気づき、店員を呼び止めてお代わりを頼んだ。すでに何杯飲んでいるのかわからなくなっている。
「その時は、武藤に手伝ってもらいたいんだ……」
達弥は焦点の定まっていない目を向け、綾子の手を包み込むように握ってきた。
「え?」
綾子は顔が熱くなるのを感じた。何か言わないといけないと思って達弥を見ると、彼はテーブルに突っ伏して眠っていた。
(今のはどういう意味だろう?)
綾子は達弥の言葉の真意を測りかねていた。
しばらくして目を覚ました達弥は、バツが悪そうに笑い、
「今日は俺が出すよ。武藤には今度奢ってもらうから」
綾子が手にしていたクリップボードをサッと取り上げ、会計へと大股で歩いていってしまった。そして、会計をすませると、綾子を促して外に出た。
(今日は圧倒的に私の方がたくさん飲食したと思うんだけど……)
綾子は申し訳なくなり、
「今度は私が奢りでいいの?」
「うん。でもさ、武藤と食事できるのなら、ずっと俺が奢りでもいいんだけどさ」
達弥は照れ臭そうに笑った。また綾子は顔が熱くなるのを感じた。
「もう気づいていると思うけど、俺、武藤の事、入社式の日からずっと好きだったんだ。だから、付き合って欲しいと思っている」
達弥が真顔で告げた。綾子はびっくりして彼を見上げた。
「全然気づいていなかったんだけど」
綾子の返事に達弥は頭を掻いた。
「そうなの? でもさ、誘いを断わらない事を考えると、可能性はあるんだよね?」
達弥に尋ねられて、綾子はハッとした。
(私も勝呂君の事が好きなのかな?)
でも、自分の気持ちがわからない。
「そうだと思う」
綾子は火照る顔を俯かせて応じた。
「今日はありがとう。俺、『勝呂君とはお友達よ』って言われたらどうしようかって思っていたんだ。付き合うのダメならそれでもいいんだけど、嫌いにだけはならないで欲しいかな」
達弥は鼻の頭を掻きながら言った。綾子はもう一度達弥を見て、
「嫌いになんてならないよ。私、人付き合いが下手だから」
「武藤……」
達弥は思わず綾子を抱きしめてしまった。綾子は抵抗しなかった。彼の温もりが伝わってくる感じがして、心が癒された。
「ごめん、武藤。今日は楽しかったよ」
達弥は綾子から離れ、爽やかな笑顔になると、駅へと走って行った。
(勝呂君……)
綾子は達弥が見えなくなるまでその背中を見つめていた。
(武藤さん……)
それをまた偶然通りかかった宅配業者勤務の明石三太が目撃してしまい、胃の辺りを押さえてうずくまってしまった。
綾子はマンションに帰り、入浴後ベッドに入ったが、寝付けない。子供の頃を思い出し、羊を数えてみた。九百匹を数えても全く眠れず、結局、夜明けを迎えてしまった。




