梶部次長の憂鬱
お借りしたお題は「「身に覚え」をテーマに作品を書く。ただし作品中に「身に覚え」の文言を出さない。」です。
梶部次郎、四十五歳。某建設会社の営業部の次長である。
但し、次長になれたのは前任者の平井卓三の推薦があったからだ。
平井とは同期入社で、専務の娘を妻に持つ彼は出世が早かった。
出遅れた梶部は万年係長に甘んじるかと思った。
しかし、平井が渡米する事になり、運命が変わった。
その上、大学時代に片思いをしていた井野弓子と再婚もした。
遅めのデキ婚だったので、梶部は会社に報告するのを躊躇ったが、いつの間にかばれていた。
「梶部君はまだまだ若いねえ」
部長に言われて、嫌な汗がたくさん出た。
公私共に順風満帆と思っていた事が、女子社員の相次ぐ寿退社で狂い始めた。
それでも、梶部は歯を食いしばって頑張り、営業課を立て直した。
お惚けばかりかましていた新人社員の武藤綾子も東大出身の力量を発揮し始め、通常の三倍の速さで仕事をこなした。
ミスばかりしていた杉村三郎も、デパートの受付嬢との交際が順調になり、仕事も捗るようになった。
四年目に突入して、出島蘭子との結婚を果たした須坂津紀雄も契約を続けて取ってきた。
孤立しているかに見えた課長の米山米雄も、的確な指示と采配をするようになり、課の雰囲気がガラリと変わった。
そして何より、エースである藤崎冬矢が抜群の成績を上げ、社長賞をもらったのが大きかった。
「生まれてくる子のためにも、頑張らないといけないですから」
同じデキ婚でも社内の評価が全然違う藤崎の言葉を聞き、自分もと決意を新たにする梶部である。
実は藤崎の妻になった律子の策略説が有力で、藤崎は騙されたというのが真相のようだ。
「でも、お子さんが成人する頃には次長は定年過ぎてますね」
綾子がボソリと言った。
営業課の誰もが顔を引きつらせたが、
「そうだな。定年を迎えたら、委託社員制度を使って、ここに残るつもりだよ」
梶部は綾子に微笑んで応じた。
「頑張ってください、次長」
目をウルウルさせて綾子が言ったので、梶部は、
(やはり武藤君は私の事を?)
妙な誤解を始めていた。
(武藤さん、攻めるなあ。次長が勘違いしてるぞ)
かつて綾子にいじられていた杉村と須坂は思った。
「もう昼だな。今日は私の奢りで食事をしようか」
梶部は晴れ晴れとした顔で言った。
「では、高級割烹で」
容赦のない綾子が言う。梶部は顔を引きつらせて、
「給料日前だから、蕎麦屋で勘弁してくれ」
藤崎と須坂と杉村は顔を見合わせて笑った。
梶部は部下をぞろぞろ引き連れてフロアを出た。
「あれ、皆はもう昼食に行ったのか?」
専務に呼ばれていた米山が戻った。
(以前もこんな事があったような気がする……)
米山は人知れず項垂れた。