女幹部の受難
露出度が高く奇抜な衣装に身を包んだ野間留衣(27歳)は、後ろ手に縛られたままベッドに転がされた。目の前には黒いヘルメットの男。
何故こんな事に……留衣は仮面の奥から男を睨み付け、自身の弱さに唇を噛み締めた。
***
不景気による就職氷河期は二流大学を卒業した留衣にも影響を及ぼした。
難関大学出身の者にも厳しかったご時世の荒波は、新卒とはいえ二流大学出身でかつ浪人経験者の留衣にはとても乗り越えられる代物ではなく。
しかし神様は気まぐれで。
「いよいよ派遣かフリーター、出来れば自宅警備員が良い」そう思った留衣の前に正社員としての採用を提示したのは、今をときめくブラック企業「秘密結社」だったそうだ。
腹黒だろうが鬼畜だろうが、秘密だろうが内緒だろうが……。
恐ろしい母がいる実家で暮らしていた当時の留衣にとっては鴨がネギしょってやって来る状態だったので一も二もなく入社した。
入社してみれば休日出勤がたまにあるぐらいの……なんのことはない、ブラック企業どころか優良企業で。
週休二日制、残業手当も休日手当もついて更に寮もある……留衣にとっては言うことなしの会社だった。
バイトくんが全員黒服で「イー」しか言わないのもご愛嬌だ。
順調にキャリアを積んでいった留衣は、ある日この「秘密結社」で一番偉い総帥に呼ばれた。
「女幹部・ダークローズになれ」
これ以上無いぐらいシンプルな命令に留衣は頭を抱え「ああ、ここはやっぱり悪の組織だったんだ」と認識するに至る。
***
認めたくない現実を、人は無意識に避けるようだ。よくよく思い返してみれば女性社員が留衣しかいないのも変な話だった。最初から幹部候補生だったらしい。
それでも留衣は頑張った。前面にチャックが着いた布面積の少ない衣装を身にまとい、仮面で匿名性が保てるのを良いことに強気な女性を演じ続けた。
一度女王様のように振る舞ったら何故かバイトくんたちのウケが良かったので、そのまま女王キャラを継続してみたりもした。
留衣……もといダークローズは奮闘し、手を変え品を変え、敵である「正義の味方・ジャスティスファイブ」と約一年間、一進一退の攻防を繰り広げたのだった。
そう、昨日までは。
昨日一人きりで拠点に乗り込みダークローズを拉致した、この男――ジャスティスブラックが来るまでは!
***
「ジャスティスファイブ全員でなく、貴様一人にひれ伏すなど一生の恥!……いっそ、殺せ!」
ダークローズ仕様の留衣が喚く。本当は命乞いしたかったが、この衣装を着るとそんな無様な言葉とても出て来そうになかった。習性って怖い。
「ふふふ、気丈だな」
悪役のようなセリフを吐く、正義の味方・ジャスティスブラック。外したヘルメットからさらりと黒い髪が落ちた。意思の強さを感じさせる鋭い眼光。整った顔立ちは正義の味方の必須条件だ。
「俺のものになるなら助けてやる、といったらどうする?」
悪役どころか悪人臭すら漂ってきた。
「ナメるな。わたしには今回の顛末を総帥に伝える義務がある。此度の失態を我が死で償い、憤怒した総帥に貴様らを殲滅して頂くのだ!」
「ふん。これを取っても同じことが言えるかな?」
「……あっ!」
ジャスティスブラックの手がダークローズの仮面を剥ぎ取った。
「やっぱり!常連だったお姉さん!スポーツジムの。ほら、俺受付でよく顔あわせてた……」
「……貴様など、知らぬ」
――嘘だった。
「嘘つけ。お互い社畜で辛い、って話で盛り上がっただろ?たまに飲み行ったりしてさ」
「き、キミなんて知らない」
――もちろんこれも嘘だった。
ジャスティスブラック、またの名を坂口真人。しかしてその正体は、留衣の行きつけのスポーツジムで受付をしている青年だった。
「じゃあ……酔っぱらって俺がお姉さんお持ち帰りしたのも覚えてないわけ?あれ以来ジムで見かけないけど」
「……ぐっ、それは……」
黒歴史だ、そう言おうとした留衣の上に真人がのし掛かった。ギシリとベッドがイヤな音を立てる。射抜かれるような視線に、思わず目をそらす留衣。
「だ、だいたい……キミには同僚のピンクちゃんがいるでしょ?いつもレッド君と争うように庇ってたじゃない」
慌てた留衣がジャスティスメンバーの名を挙げる。三人は三角関係のように見えた。もちろん顔も名前もわからないのであくまで戦闘中の様子からだけの情報だが。
「ああ、アイツ体に傷がつくと責任取れってうるさいからな」
「え、そうなの?」
「単純なリーダーはアイツに惚れてるけど、俺はああいう小悪魔系の結婚したら尻に敷かれそうな女はタイプじゃない」
「正義の味方のくせに人間関係ギッスギスだな!」
話を聞いていた留衣が堪らずツッコミを入れた。
「いいんだよ。俺はああいうめんどくさい小娘より、悪の組織でキャリア積んじゃうような流されやすいお姉さんのが好みだ」
「……へ?」
留衣を見つめる真人の瞳に欲情の色が混ざる。女幹部、再びピンチ!
「酔っぱらってる時ならまだしも、シラフで天敵と結ばれたら……お姉さん、解雇だよね?」
笑顔を浮かべた真人が留衣の衣装のフロントチャックに指を添えた。
「まてまてまてまて!」
「大丈夫、責任は取るから」
「そういう問題じゃない!」
焦った留衣が身体をよじらせる。気にした様子の無い真人がチャックを下ろす手に力を入れた。
「じゃあどういう問題?……まさか俺の事キライとか……?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど……んっ」
「……なら、いいよね……?」
耳たぶを噛まれた留衣が甘い声を上げる。盛る真人。
「お姉さん、名前は?」
「…………ぁ……」
「言わないともっといじめるよ」
「……やぁっ!……る、ぃっ……のま、るい……」
「ふふふ。結婚したら坂口るい、か……良い名前だ。ねえ、るい……まことって呼んで?」
「……まこ、と……?」
「そうだよ!ああ、るい、大好きだ!俺の女神!るいっ!るいーーっ!!」
「いやぁああああっ!」
――その日。野獣と化したジャスティスブラックによって、ダークローズ改め野間留衣は、拠点と部下と職と住居と……そして苗字を失った。
【fin】
余談だが……留衣が寿退職した二日後、どこからか情報を得たジャスティスブラックによって総帥は倒されたらしい。悪の組織では新総帥が誕生する運びとなった。
功績が認められた真人は正義の味方からヒーロー育成教官に転職。元・女幹部のキャリアから留衣にも教官職の打診があり、共働きすることになった。
真人の元・同僚、カレー好きのイエローとベジタリアンのグリーンは未だ前線で戦っている。話してみたら良いヤツっぽかった、というのは留衣談。
ピンクはレッドを連れ悪の組織に寝返った。うだつの上がらない黒服バイト・レッドと違い、ピンクは新女幹部・チャームリボンとして充実した毎日を過ごしているようだ。
留衣が一度見かけた時……首にはピンクの宝石を埋め込んだリボン、全身はフリルのドレスという出で立ちだったそうだ。ダークローズとはだいぶ趣が異なるかわいらしい装束に留衣は「ヒイキだ」と泣いた。
保守欲を煽る立ち振舞いはバイトくんたちにも好評なようだ。もしかしたら正義の味方より女幹部の方が向いていたのかもしれない。うん。きっと、そう。
留衣が女幹部時代足しげく通っていたスポーツジムは政府公的機関の隠れ蓑だったらしい。今となってはどうでもいいが……いや、やっぱりどうでも良くなかった。
留衣の母親は「公務員です」と爽やかに笑う真人にハートを鷲掴みされたみたいだから。
そんなこんなで、今日もヤンデレ気質の夫に愛されまくって幸せな留衣でした。……終わり。