シュタイナウ
「贈り物ぉ? アマラにか? ……なんでぇ、イルゼのほうかよ。んなもん、好きにすりゃいいじゃねぇか」
イルゼ。それが、彼女の名前だった。
親子で旅をする放浪楽師も多い。だから、彼女は団長シュタイナウの娘だとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。ばかりか、アマラベルガ――それが、あの踊り子の名前だそうだ――と夫婦ですらないと言う。ついでに言えば、お調子者のティルも、普段は遍歴の職人としてあちこちの街を回っており、一座のメンバーと決まってるわけではないそうだ。
つまり、レ・ジョングルール一座の面々は、家族どころか、まったくの他人同士ということになる。それも意外であれば、イルゼに贈り物をしたいという話に、シュタイナウがなにひとつ口を挟んで来なかったのも意外だった。たとえ血の繋がりがなくとも、親子同然の関係ではないのだろうか?
未婚の女性に贈り物をする際には、その父親に許可をもらうのが作法だ。たとえ相手が放浪楽師であれ、その当たり前の作法を飛ばしていきなり娘に贈り物をするなど、常識としてあり得ない。女性に対し高価な贈り物をして、女性が受け取ることを一方的に婚約の承諾とみなし、強引に結婚を迫る不届きな輩もいないわけではないのだ。もしも父親のあずかり知らぬところで、その娘に勝手に贈り物をしたりしたら、どんな下心を勘ぐられても文句を言えないところである。実際、そういった揉めごとで刃傷沙汰になることも珍しくはない。異性に対する贈り物とは、送る側も受け取る側も慎重にならねばならないのだ。
だから、レ・ジョングルール一座が泊まっている旅籠を探し、奥の暗がりで人目をはばかるようにバグパイプの手入れをしていたシュタイナウに話しかけたのだった。この男と話すのは、水車小屋の横で声をかけられて以来になる。初対面のときの横柄な態度で良い印象を持っていなかったこともあり、情けないほどに緊張していた。が、シュタイナウはネオの顔を見るなり気さくに話しかけてきた。ティルから聞いたのか、「靴屋のこびとさん」としての評判も知っているらしい。かちかちに緊張しているネオを面白そうに眺めていた。
そんなシュタイナウに、娘さんに贈り物をするのを許して欲しい、純粋な善意で、返礼を期待してのことではない、一方的に結婚を申し込む意図もない、との旨をまくしたてた。しかし、シュタイナウの返事は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。まるで、嫁に欲しいなら勝手に持っていけと言わんばかりである。
「だが……ネオ、つったか? お前さん、靴屋だよな」
「はい。徒弟の身ですが」
「イルゼの脚のこと……わかって言ってるんだろうな?」
「もちろんです」
だからこその靴なのだ。手際よく進めば、今日の夜には完成するだろう。きっと、素晴しいものになる。今までに作ったことがないほどの、人生で最高の靴ができる予感があった。
「ふん……。若ぇのに施しとはご立派なこったが……。まあ、うちの女どもは一筋縄じゃいかねえからな。せいぜい頑張るこった」
「一筋縄?」
「そりゃあ……なんつっても放浪楽師だからなぁ。昨日の踊りは見てたんだろ? まさか、あれがただの見世物だとでも思ってやがったのか?」
「違うんですか? ……いえ、凄かったです。あんなに凄い剣舞、見たことありません」
確かに、「ただの見世物」の一言で済ますには、あまりにも鮮烈な体験だった。放浪楽師という街の外の世界に生きる存在の、底知れぬ神秘に触れたのを感じていた。しかし、シュタイナウは無精髭をざりざりと撫でながら、ニヤニヤと笑っている。なにか、間違えたのだろうか?
「じゃあ、聞くがよ」
目の前の唇が、ニイッといやらしく吊り上がった。
「そうだな。もしもだ、お前さんがいかがわしい変態野郎だったとして……そんで、アマラに欲情したとして、だ。……お前、アマラを襲う気になるか? 仮にその気があったとしても、あいつをどうにかできると思うか?」
「よ、欲情って、そんな……、あっ!」
突然の言葉に慌てふためき、しかし次の瞬間、シュタイナウの言わんとしていることに気がついた。シュタイナウの言う通り、あれはただの剣舞などではなかったのだ。
実のところ、街の中では放浪楽師の権利など保証されていない。あってないようなものではない。文字通りまったくないのだ。街の法律は街の住民を守りはするが、その一方で、住民としての権利を持たぬ者に対しては、むしろ牙を剥くことさえある。たとえば、放浪者が街の住民に殺されたとしても、街は決して殺人者を罰したりはしない。遺族には報復の権利は与えられず、仮に認められても、「殺人者の影を踏みつけることが許される」という程度である。
寄辺となる土地を持たないということ。帰るべき故郷がないということ。放浪者であるということ。それは、つまり、そういうことなのだ。事実、年老いた放浪者が戯れに犬をけしかけられて大怪我を負ったり、コインを投げて貰うために地面に置いた靴に汚物を入れられたり、そういった光景は珍しいものではない。迫害の末に命を落とす者も少なくはない。
アマラという踊り子。言うまでもなく、とても綺麗な女性だ。加えて、昨日の踊りで見せた蠱惑的でしなやかな肢体。多くの男を惹きつけるであろうことは疑いようもない。そうでなくとも、女の放浪者とくれば、身体を売るものと相場は決まっているのだ。アマラがそうした稼業を営まないというのが、むしろ驚きですらある。
それを踏まえた上で、街の住民のすべてが善良である保証など、どこにもないのだ。中には、彼らの立場が弱いのを良いことに、美貌の踊り子を力づくでほしいままにせんと、狼藉に及ぶ者もいるかも知れない。仮に、もしもそんな事件が起きても、街の法律は街の住民しか守らない。本人はもちろん、団長であるシュタイナウにすら報復する権利は与えられないのだ。せいぜい、仲間を辱めた憎き男の影を踏みつけることが許される程度である。下卑たうすら笑いさえ浮かべているであろう狼藉者を前に、ただ涙を飲んで恥辱に耐えるしかないのだ。
街の住民にとって「街」とは壁に守られた安全地帯だが、しかし、放浪者にとってはそうではない。放浪者にとっての「街」とは、住民に襲われても助けるものもおらず、やり返すことも許されない、むしろ危険地帯ですらあり得る。
だからこその、昨日の剣舞だったのだ。あれは、もちろんお金を稼ぐための放浪楽師としての見世物だったが、しかし同時に、街の住民に対する警告、いや、恫喝を兼ねていた。
――もしも、この一座に狼藉を働こうなどと考える者がいるのなら、命をかけて相手になるぞ。指一本でも触れてみろ、たちどころにちょんぎってやるから覚悟しろ――
こういった無言のメッセージが、あの剣舞には込められていた。もしも狼藉者を本当に叩き切ったら、もちろん彼らもただでは済むまい。しかし、狼藉に及ぶためには、少なくとも生命を賭ける必要があるのだ。牽制としては、効果は大きいだろう。
と言うことは、イルゼも剣の達人なのだろうか? だとしたら、昨日の剣舞の際に一人浮かない顔をしていた理由もわからないでもない。男であるシュタイナウやティルはともかくとして、アマラはその実力を街の住民に見せつけたのだ。それができないイルゼは、危険な街の中で不安で仕方ないのかも知れない。
「……」
だからこその靴なのだ。改めて思う。足を怪我した放浪楽師の少女イルゼと、靴を造ることしかできないネオ。エーリッヒに手渡された駱駝革。それらのすべてが、不思議な糸で繋がっているように感じた。
再び、駆り立てられる感覚に襲われる。さっさと今日の仕事を終わらせてしまおう。にかわの乾き具合も見ておきたい。礼を言って席を立った。旅籠から出ようとしたとき、
「……ネオよぅ」
「?」
かけられた声に振り返るが、外の眩しさが旅籠の中を暗闇に閉ざし、シュタイナウの表情を読むことはできない。見えない表情がぼそりと聞いてきた。
「ここの生活は、どうだ」
「……? どう……って?」
なんだか同じようなことをつい最近聞かれた気がする。
「ここでの生活は、楽しいかって聞いてんだよ」
「……そんなこと、」
考えたこともなかった。両親がいた頃、将来になんの不安もなかった無邪気な頃は、楽しいと思うこともそれなりにあったかも知れない。しかし両親が死んだ今、ネオにとっての生活とは、生きるための作業そのものでしかなかった。
ここでの生活。まるで、ここ以外にも生活があるかのような言い回しに、ネオは昨日のエーリッヒ神父とのやり取りを思い出した。ネオにとってハーメルンとは、夜の海に浮かぶ島と変わらない。面白くもなんともない毎日が延々と巡る憂鬱な舞台だが、かと言って、そこを離れて夜の海へと漕ぎだすこともできない。
可愛がってくれるおばさんや、気前の良いホーエン老人、懇意にしてくれるお客さんがいるから、かろうじて生きることを辛いと思わずにいられた。ハーメルンの街を嫌いにならずにいられた。
この生活が楽しいかって? 楽しいもつまらないもない。ネオにとってハーメルンとはその世界のすべてなのだ。楽しかろうが、そうでなかろうが、とにかくこうせざるを得ないから、こうしているだけだ。そう思っていた。――昨日までは。
少なくとも今、このときに限って言うならば、駱駝革のにかわが乾くのが待ち遠しくて仕方がない。晩課の鐘が鳴ったら、仕事などさっさと終わらせて、イルゼのための最高の靴を作る作業に取りかかるのだ。それが楽しみで仕方がない。楽しみがあるかと問われれば、間違いなく、ある。この気持ちをどう伝えたものか、少しだけ迷って、心のままに答えた。
「今は……少しだけ、楽しいと思えます」
「そうかい」
やはり旅籠の中は暗く、表情は見えない。しかし、シュタイナウはネオの返事に、何処か遠くへと思いを馳せているようだった。はっきりと見えなくとも、なんとなくそんな気がした。
勢い込んだ甲斐もあって、晩課の鐘が鳴る頃には、仕事の分の靴はすべて出来上がった。陰干ししていた駱駝革の靴底を、そわそわした気分で手に取る。にかわの乾き具合を見ると、調度良い具合に固まっていた。それだけで胸が高鳴った。いよいよ、イルゼの靴を作る後半の工程へと進むのだ。
再び木槌を手に取り、千枚通しで、最も硬い靴底に縫い穴を開けて行く。慎重に、均等に、左右ぴったり同じ数になるように。縫い穴は、単に等間隔に穿てば良いというのもではない。爪先のカーブしている部分などは特に負担がかかるので、縫い穴の間隔を狭くしなければならない。これも経験による慣れが必要な作業だ。間隔が広すぎれば縫合の強度が足りず水も染み込みやすくなり、逆に狭すぎれば今度は革自体の強度が弱くなる。下手したら二つの縫い穴が裂けて繋がってしまい、これまた水が染み込む原因となるのだ。これらの作業を慎重に、しかし迷いなく正確に進めた。
今になって、たゆまず腕を磨いてきたことを嬉しく思う。いざ必要になったとき、最高の靴を作りたいと願ったときに、それが可能な技術がこの指に宿っているのだ。自分を褒めてやりたい気分すらあった。
すべての縫い穴を穿ち終われば、次は実際に縫合作業に入る。
まずは、靴底と爪先から側面にかけて。にかわで軽く縫合部を糊付けし、まち針に相当するフックで固定する。靴底に空けた縫い穴に軽くカーブした縫い針を差し込み、麻糸を通していく。麻糸はピッチが染み込んだ非常に頑丈なものだ。それを革に通す直前に、蝋をごしごしとこすりつける。ピッチの染み込んだ麻糸はべたべたしており、そのままでは靴が汚れてしまう。蝋にはこれを防ぐ効果があるが、更にもうひとつ、あとの工程で意味が出てくるのだ。
麻糸を細い縫い穴に通すと、すぐに蝋はこそぎ落とされてしまう。そのため、縫うごとに何度も何度も蝋をこすりつける必要がある。モカシンなどの簡素な靴では必要ない作業だが、縫合におけるこの作業こそが、出来上がる靴の耐久性に最も大きく影響しているとさえ言えるのだ。
側面から爪先にかけて、一枚の靴底を二枚の革で挟みこんで縫い上げた。次はかかとから膝下までを包む筒状の部分。縫うペースを乱さず、同じリズムを保つ。靴底を合計三枚の革でぐるりと取り囲むように縫合し終わったら、今度は靴底の内側ににかわを塗り、昨日、丹念にほぐした柔らかな中敷きを貼り付ける。これらの作業を左右、一足分終わらせた。
片方ずつ一息に完成させないのは、疲れや体調、あるいは気分の変化などにより縫い加減が変化してしまうことがあるからだ。左右の靴を、できるだけ同じペース、同じリズムで縫い上げるのが望ましいとネオは考えている。
爪先にあたる二枚の革をそれぞれ縫い合わせると、にわかに立体感を帯びてきた。靴の形が浮かび上がる瞬間だ。いつになく胸がはやって、どきどきしてくる。慣れた作業にもかかわらず、興奮で指が震えるのを抑えるのに苦労した。かかとからふくらはぎにかけての一枚を正面で縫い、筒状になったそれを他の二枚と縫い合わせると、完全にブーツの格好になる。小躍りしたい気持ちが溢れ返るが、まだだ。まだ完成ではない。ゆっくりと息を吸い気持ちを落ち着けて、火のついたロウソクを手にとった。
今度こそ、本当の最終工程。仕上げである。さっき何度も麻糸にこすりつけては、縫い穴でしごかれてこそぎ落とされた蝋。それが、今、はじめて意味を持つのだ。縫い穴に詰まったままの蝋を、ロウソクの火で軽くあぶる。たちまち溶けて、縫い穴の隙間をみっちりとふさぐ。こうすることで防水になるとともに、地面を直接蹴る部分の頑丈な麻糸を、更に強固なものにするのだ。
大きな工房では、効率を良くするために、縫うだけ塗ったあとから蝋を穴に沿ってごりごりこすりつけて、それをあぶることで行なっているが、それではどうしても穴の深部や麻糸の芯にまで蝋が届かない。どんなに手間でも、縫いながら麻糸に蝋をこすりつける作業を怠っていては、良い靴は作れないものだ。
穴がふさがったら、すみやかに火を遠ざける。ピッチも蝋も可燃性なので、しつこくあぶると燃え出してしまうのだ。ここまで来て灰に帰したとあったら、さすがのネオも立ち直れまい。
すべての穴の蝋をあぶって溶かし、あぶり残しがないかを念入りにチェックする。そして、すべての穴が完璧にふさがっていることを確認して、大きな、とても大きなため息を付いた。ようやく完成したことを知った。
かーん、かーん、と遠くで鐘が鳴り、日付が変わったことを知らせていた。
「…………」
すごい。こんな靴、見たことがない。あまりに見事な出来栄えで、たった今、自分が完成させたという実感さえ湧かない。まるで、それこそこびとが作ってくれたように見える。あるいは、本当に靴屋のこびとは存在していて、ネオの知らぬところで手を貸してくれてたのではなかろうか。ネオを包んでいた不思議な高揚感は、実はこびとが取り憑いていたのではなかろうか。しかし、そうではない。この手に、感覚が残っている。
木槌で丹念に叩いた駱駝革の手触りが。夢中で縫い上げた麻糸の感触が。指にこびり付いているピッチと蝋が。ロウソクの炎の熱さが。間違いなく、この靴はネオがたった今作り上げたものだと、それらが告げていた。
もしも四年前、叔父が親方株の相続権をツンフトに主張したときにネオがこれを作って見せていたら、おそらくツンフトの長老たちは、ネオこそ親方に相応しいと認めてくれていたかもしれない。あるいは、今でも。叔父親子が布製の靴しか作れないという事実は、ツンフトではなかば公然の秘密になっており、もちろんそれは望ましいことではないのだ。ネオが正当な権利をエーリッヒに申し立て、律院を通して正式に裁判に訴えれば。そして技芸の証として、この靴をツンフトに提出すれば、あるいは。
頭をぶんぶんと振った。これは、そんな目的で作ったものではない。だいたい、技術を証明するために作った作品は、すべてツンフトに献上しなければならないではないか。なによりも、ネオ自身、自分でもわかっていた。この靴を作り上げることができたのは、単に自分がその技術を持っていたからだけではないのだ。強い、非常に強い動機がそこにあったからだ。この靴は、技術だけではなく、心と魂で作ったものだ。そんなものを、ネオを縛るしがらみそのものであるツンフトに渡すなど、そんなことは自分の魂が許さない。これは、イルゼの靴だ。足を怪我した放浪楽師の少女のためだけに作られた、ネオの最高傑作なのだ。
世俗にまみれたつまらない考えが湧き上がる前に、一刻も早く渡してしまいたい。そんな気持ちが膨れ上がった。中敷きを貼り付けたにかわは、明日の今頃には乾くだろう。しかし、その前に渡しても問題はあるまい。はくのを一日だけ待ってくださいと、ひとこと言えば済む話だ。
そうだ。明日の朝、一時課の鐘が鳴って革の買い出しが終わったら、見世物の準備をしているところを見計らって渡そう。それがいい。それよりも、この靴を叔父に見つからないように隠さないと。もちろんネオの私物である駱駝革で、仕事が終わった後に作ったものだが、あの叔父のことだ、こんな素晴らしい靴を見つけたら問答無用で売り飛ばしかねない。その上、「ひとえに神のご加護の賜物でして」などと、あたかも自分が作ったふうにうそぶかれたら、さすがのネオもどんな行動に出るか、自分でも想像がつかない。革がたくさん吊られたハンガーの裏にひっそりと陰干しし、落ち着かない気分でベッドに入った。
なんて言って渡そうか、そんなことがめまぐるしく頭を回る。しかし、長く続いた興奮状態に、実はかなり疲れていたらしい。加えて、昨日はかなり夜更かしをしてしまったのだ。そんなことを思い出した途端、どっと眠気が襲ってきた。眠りに落ちながら、宝物を完成させた喜びに包まれていた。
きっと、明日からも同じ毎日が続くのだろう。しかし、イルゼの靴を作ったことで、なにかひとつ、大切なものを学んだ気がした。自分が変わった気がした。
きっと、明日からは同じ毎日でも、少しちがった毎日がはじまるに違いない。