靴を作る
革を読む。こう言っても、理解できる者は少ない。しかし、こうとしか表現のしようがないのだから、仕方がない。そして、これが習得できるかが、革を扱う職人になれるかどうかの分かれ目といえる。
革の読み方は職人によって異なるが、ネオは父親に教えられた通り、目を閉じ、指の腹と手の平いっぱいを使って革を撫で回すことで行う。こうすると、なんとなくだが、その革の持つ性質が伝わってくるのだ。性質といっても色々ある。たとえば、わかりやすいところでは皮の向き。動物の皮は、総じて背中に近づくほど硬く、お腹に近づくほど柔らかい。これをきちんと把握すれば、左右の靴で同じ硬さで揃えられるというわけだ。もちろん、これを誤って真横に裁断してしまったら、片足が硬く片足が柔らかい、ちぐはぐな靴になってしまう。
叔父の息子、つまりネオの従兄は、ついに革を読む感覚を身につけることができず、叔父と同じく貴族向けの布のみを扱う靴職人となった。こんなことはとても口には出せないが、実際のところ、布製の靴など靴屋の仕事とはいえない。だいたい、靴を布で作ってどうするというのだ。そんなもの、裁縫職人が片手間に作る靴下となにも変わらないではないか。そのうち裁縫職人のツンフトに訴えられるのではないだろうかと、思わず心配になってしまう。
しかし、ネオや昔気質な靴職人たちがそんなふうに考える一方で、奇抜さや斬新さを好む貴族や富裕層には、色とりどりの布で作られた靴を好むものが増えつつあった。先端が細く反り返った奇妙なスタイルの、いわゆる「クチバシ靴」である。とても実用的とはいえないにも関わらず、その流行は過熱する一方で、ここ数年ほどの間にハーメルンの靴屋にも並ぶようになっている。富裕層はクチバシの尖り具合を競い合い、エスカレートし、結果、爪先が長すぎてまともに歩けない珍妙な格好のものまで作られる有様だった。
では、肝心の靴としての機能はどうかというと、もちろん布製なので、まともに歩き回るとあっという間にすり切れて穴が開いてしまう。それではよろしくないというので、クチバシ靴に重ねて木製のサンダルをはくという、なんとも本末転倒なスタイルに落ち着いてしまっていた。これでは文字通り、ただの靴下だ。革製の靴を身体の一部のように扱う農夫や一般庶民は、口に出すことこそはばかりつつも、誰もが呆れた目を向けていた。
一応、このままではまずいと思う気持ちもあったのか、叔父は恥を忍んで息子をネオの元で勉強させ、革靴職人に仕立て上げようとした。が、甘やかされて育った従兄には、どだい無理な話だった。と言うのも、革というものは、総じてくさいのだ。そもそも動物の皮膚だったものに、その体臭が染み付いていないはずがない。加えて、「皮」をなめして「革」へと加工する際には、臭いのきつい液体や動物の糞尿を使うことも珍しくはない。もちろん、皮なめしの工程で汚物は綺麗に落とされるので、靴職人の手に届く頃には不潔なものではなくなっている。しかし、育ちの良い従兄は「糞尿が付いていたかも知れない」というだけで拒絶反応を示した。革を撫で回し、自分の身体の一部のように感じるところから革を扱う修行ははじまるのだ。くさい、汚い、などと思っている人間が、革を読める道理などあろうはずもない。
革を読むとは、つまり、そういうことなのだ。
ネオは六歳になったときから父親の徒弟となり、革を読む修行をみっちりと叩きこまれた。その技術は経験を重ねるほど熟成し、それから八年経った今では、正確無比な感覚を身につけるに至っていた。
革を扱う職人でなければ誰も信じないことだが、なんとなく、革がどのように裁断して欲しいか、どのように縫いあげて欲しいか、触れた感覚を通して自ら伝えてくる気がする。ネオはその直感を信じることにしていた。死んで革となった動物が、より良い靴に生まれ変わることを望んでいるのだと。それこそが、動物にとっての魂の救済なのかも知れない。キリスト教を身近に感じることのないネオでも、革の囁きだけは素直に信じることができた。
「こびとさん、今日はまたえらくご機嫌だぁね」
傍目には、そんなふうに見えたのだろうか。まずは今日の分の靴を仕立てなくては駱駝革どころではない。そんな思いに駆られ、手早く革を裁断して猛スピードで縫いあげている最中、窓から覗きこんだ女性が声をかけたのだ。ハーメルンの北西部に住む、大きな農家のおばさん。例の子供たちの母親である。この女性は街の外に点在する農村の管理を任されているという。いつものように農夫に履かせるモカシンをどっさりと買いに来たのだろう。
言うまでもなく、足を酷使する農夫にとってモカシンとは生命線である。親方とその息子は専ら上客である富裕層や貴族向けのクチバシ靴のみを作っていたが、ツンフト規約によって安価なモカシンや一般庶民向けのブーツを作ることも義務付けられていた。
最近になって急速に増えてきたツンフトは、いまやあらゆる職種に存在し、それぞれの利益が衝突しないよう制約しあっている。たとえば、ネオは靴職人だが、その技術の応用によって服を縫うこともできる。しかし、それを売りさばくことは許されない。もちろん、裁縫職人の仕事を奪ってしまうからだ。そして、この規則を破ると、一回につき九シリングという、ネオにとっては巨大な罰金を支払うことになるのだ。こんな制約が数限りなくあり、当然、裁縫職人など靴職人でないものが靴を作ることも厳しく禁じられていた。
こうして職人の利益がツンフト間の決まりによって保証されている反面、職人は貴賎を問わずに仕事をすることが義務付けられている。他人に靴を作って売ることを禁じている以上、靴職人はあらゆる靴を作らねばならない。叔父が望んでいるように、金持ちだけを相手に商売することは、ツンフトが許さないのだ。
そして当然というべきか、庶民向けの靴作りはネオに一任されていた。もちろん、叔父や従兄は革を扱うことができないという、靴屋にあるまじき事実が理由だが、ネオはこの仕事が嫌いではなかった。
「おばさん、こんにちは。今日はいくつご入用ですか?」
「うん。今日は十ばかし貰ってくよ。……ところで、まぁた焼き過ぎちゃって。貰ってくれると嬉しいんだけども」
麻袋に入れてぐいと押し付けてくるのは、鼻孔をくすぐる香りから察するに、焼きたての菓子パンだろう。ずしりとした感触から、かなりの量があるとわかった。
「うわっ、こんなに沢山。いつもありがとうございます。すごく、嬉しいです」
「うんうん、良い返事だぁね」
モカシンの代金は叔父へ直接渡されている以上、このクーヘンはネオの仕事に対する報酬ではない。ネオが子供の頃から父親の顧客だったおばさんたちは、父亡き今でもネオを可愛がってくれている。事実上のただ働きで、ろくな食事も与えられていないネオの事情を知っており、こうしてクーヘンなどを分けてくれるのだ。ただのパンでないのは、クーヘンの方が保存が効き、カリカリに乾いても味がそれほど落ちないメリットがあるからだ。また、例によってパン焼き職人もパン焼き釜のバナリテを持っており、一般人が家庭で焼いて良いのはパン種を使わない菓子類に限定されていた。それゆえのクーヘンである。お祭りなど祝いごとの際には、いちじくのジャムをたっぷりと詰めたトルテをご馳走してくれることもある。立場上、満腹になれることが少ないネオにとっては、下手な小銭などよりもはるかに嬉しく、なによりもありがたい贈りものだった。
そして、ネオの技芸を認めてくれているのは、近隣の住民だけではない。噂に聞くハンザ同盟の行商人だろうか、ハーメルンでは見かけない商人がネオの靴を、それも高価なブーツをどっさり買い込んで行くこともある。
年に一度か二度あらわれる豪商など、おかかえの職人にならないかと声をかけてきた。ホーエンと名乗るその老人は、アェルツェン――ハーメルンの西、そう遠くない街らしい――の大きな屋敷に住んでおり、地元ではあらゆる職人組合に顔が利くという。もしも今の境遇に不満があるのなら、いつでもアェルツェンに来て欲しいと言っていた。
その話に乗らなかったのは、怖かったからだ。当たり前だが、そういった引き抜きに応じた職人は、二度とハーメルン市で商売をすることはできない。もちろん、引き抜きに応じることは、ツンフト規約における筆頭の違反行為だ。穏便に済ませるためには、何十グルデンという、想像もつかぬほどの罰金をツンフトに収めなければならない。それができない以上、夜逃げ同然で出て行くしかない。つまり、生まれ育ったハーメルンに二度と帰らない覚悟が必要なのだ。そして、引き抜きに応じた新参者は、移った先のツンフトにおいても、なかなか信用されない。そもそも、元いたツンフトを裏切ってきたのだから、当然である。もしも、アェルツェンのツンフトでも上手くやって行けずに追い出されたら、ハーメルンに戻ることもできず、野垂れ死にするしかないのだ。そんな危ない橋を渡る勇気は、とてもなかった。
加えて、当時のネオは父親の遺した親方株を巡って叔父と対立し、親方株を奪われはしたものの、どうにか父の工房で仕事を続ける権利を守り抜いたばかりだった。かじりつく思いで確保した自分の居場所を、素性もはっきりせぬ豪商の言葉に従って簡単に捨てることができようはずもなかった。
だが、あとになってから冷静に考えたら、ネオの判断は叔父を喜ばせ――ただ働きの腕の良い革靴職人を確保できたのだから当然だ――ネオにとっては自分をこの工房に縛り付け、身動きを取れなくしただけだった。ホーエン老人に引き抜かれるままにアェルツェンに行っていれば、もしかしたら今頃は正当な給料を受け取り、職人としてまっとうな権利を確保できていたかも知れない。そんな後悔も、ないでもない。
ともあれ、ネオを引き抜くことが難しいと悟ったホーエン老人は、よほどネオを気に入ってくれたらしく「これほどの職人がみすぼらしい服を着ているのは、とうてい看過できぬ」などと褒めちぎり、来訪のたびに新品のチュニックシャツやズボンなどを持ってきてくれた。一度などは、気前の良いことに、革細工用の道具一式を新調してくれたことまであった。
ツンフトの規約では、徒弟が勝手に代金を受け取ることを硬く禁じているが、その一方で金銭ではない個人的な贈りものに関しては、まったく制限をしていない。それを踏まえての多くの人の善意と厚意である。いまや、それらがネオの生活を支えているといっても過言ではなかった。
遠慮しても、むしろ失礼に当たるほどの彼らの多大な恩に、ネオはせめて可能な限り丁寧な仕事をすることで返そうと心がけ、それがまた高い評価に繋がっていた。
たん、たん、たん、と木槌がリズムを刻む。ときおり、リズムの合間を縫い、ぱしーん! ぱしーん! と鞭を入れる音が走る。木槌で革を叩くのは、革の皮膚組織の繋がりを絶ち、柔らかくするためである。一枚の革の中でも背中に近い部位は硬く、お腹に近い部位は柔らかい。用途によっては叩いてほぐしてやらねばならないのだ。たまに鞭――同じ革を紐状に切って作ったものだ――を入れるのは、叩いてほぐした皮を引き締め、同時にほぐれ具合のむらをなくすためだ。
これらが中々根気とコツのいる作業で、中でも特に木槌で叩くのは短調さのわりに集中力を途絶えさせることが許されない。革は見た目よりもはるかに繊細である。叩く力が強過ぎたり、回数が多過ぎると、革はたちまち痛んでしまう。最悪の場合、曲げたときにひびが入ったり、出来上がった靴が簡単に壊れてしまったりする。この力加減は木槌を振るう手の感覚で覚えるしかないため、革を読むのと同様に子供の頃から繰り返し仕込まれることになるのだ。
ネオもその例に漏れなかったが、ネオの場合、木槌を振るう回数は他の職人に比べて比較的少なかった。もちろん、手を抜いているわけではない。革をきちんと読むことができさえすれば、叩く必要のある箇所を正確に見抜き、必要最低限で済ませられるのだ。
大きな工房では、革を端から端までひたすらに叩き、満遍なく一定の柔らかさにするのが常である。それは、かかとを受け止める腰革や靴底のように硬さが必要な部位と、爪先のように丸く折り曲げる部位や履き口のように柔軟さが必要な部位とで、切り出す革そのものを使い分けている為である。彼らは一枚の革から靴をまるごと作ったりはしない。硬い革からは腰革だけを大量に裁断し、柔らかくほぐした革からは履き口のみを大量に裁断する。そして、裁縫机で針を振るっている職人に次々と渡していくのだ。
流れ作業にも近いその方法なら、確かに素晴しい速度で靴を作ることができる。しかし、ネオに言わせれば、叩いて無理やり柔らかくした革と、元々柔らかい革とでは、その強度が格段に違う。乱暴な言い方をすれば、無駄に時間と労力ばかりをかけて、最初から摺り切れている靴を作っているようなものだ。
また、同じ動物の革でも、汗や水を吸ったときの膨らみ具合が異なることはままある。人間と同じで、牛や豚にも個性はあるのだ。別々の革から切り出して縫い合わせたのでは、使っているうちに縫い目にずれが生じ、最悪、縫い合わせている麻糸が切れてしまう。同じ靴でも、一枚の革を丹念に読み、硬い部位としなやか部位と、それぞれを最大限に活かせるパーツを切り出したほうが、はるかに丈夫な靴を作り出せるのだ。
だからこその、革を読む技術である。丁寧に革を読めば、革の主であった動物の魂が、どの箇所をどのパーツにすれば良いかを自ら教えてくれるものだ。だからネオは、大きな工房のように裁断前の革をむやみに叩いたりはしない。硬い部分は、その頑丈さを最も必要とするパーツとして刃を入れる。しなやかな部分は、その柔らかさを存分に生かせるパーツに切り出していく。裁断が終わったのち、特に柔らかくほぐすべき履き口や、硬さと共に柔軟さが必要なパーツに限って、必要最低限の木槌を振るえば良い。こればかりは、大量生産を是とする大きな工房の職人に真似できるものではない。たった一人で黙々と作業するネオだからこそ可能な技であり、それゆえの高い評判とも言えた。
それにしても、靴を作ることが、こんなに楽しいと感じたことはなかった。
もちろん、六歳で父親の徒弟となったころ、生まれてはじめて自分の靴を作ったときには、それは嬉しかったものだ。一枚の平坦な革でしかなかったものが、自分の手によって立体感を持ち、なにかの形へと生まれ変わる。自分の指先が、なにもないところから、形あるなにかを創り出す。その事実に、まるで自分が世界の一部として認められたかのような、不思議な感動が走ったのを覚えている。
だが、職人の宿命として、その行為は必ず惰性を持つに至る。ネオにとっての靴作りも、その宿命から逃れることはできなかった。それに拍車をかけたのは、叔父との諍いだった。
両親が死んだ四年前、父親の弟であるところの叔父が、親方株を自分が相続するとツンフトに申し出た。理由は、ネオの年齢が親方としては若すぎるという一点のみ。それならそれで、ネオが親方に相応しい年齢になるまでツンフトが親方株を預かるか、あるいは親方株に相当する金額をネオに支払うのが筋というものだ。しかし、当時、結成されて間もなかった靴職人のツンフトは、地盤を固めることを最優先にしていた。その結果、親方株が宙に浮いた状態になることを嫌がり、明らかに不当な叔父の訴えを受け入れてしまったのだ。
ネオの今までどおりの生活を保証することを条件として、ツンフトが叔父の主張を認めたとき、ネオが父の跡を継いで親方になる道は完全に閉ざされた。その瞬間から、惰性は巨大な空虚へと変貌していた。
ただただ食べものを食べるためだけに、靴を作る。与えられた餌をもぐもぐと食べるためだけに、靴を作り続ける。財産を築くこともなく、なにを成すこともなく、なにも考えずに、靴職人として生まれたがゆえに、もぐもぐと靴を作る。
考えれば考えるほど、鬱々とした気分が重くのしかかった。やもすれば、もやもやと身の回りを取り巻く見えない鎖に抗って、叫び出したい衝動に駆られることすらあった。だから、いつしか考えることを放棄した。重くのしかかった心の蓋を開けてしまうと、そこからは叔父に対する憎悪が地獄の炎のように吹き出してしまう気がした。
世の中には、二種類の人間がいるという。すなわち、自由人と不自由人である。農奴や物乞いなど、自分の立場を選ぶことのできない不自由人の待遇を思えば、仮にも自由人に属するネオは、まだ幸運と言えよう。とはいえ、ネオに許される自由とは、つまるところ職人を辞めて、物乞いになる自由のみだ。しかし、そもそも生まれたときから選択肢を与えられていない人間のほうが、はるかに多いのだ。
いや、物乞いの他にたったひとつだけ、ネオが選べる選択肢がある。それは、街を捨てて遍歴職人となることだ。たった一人、職人としての腕を磨きながら街から街へと放浪していけば、職人を求めている街が見つかるかもしれない。小さな街では跡継ぎもないままに親方が死亡し、そのまま職人不在となることも珍しくはない。幸運に恵まれ、上手いタイミングでそんな街に滑り込むことができれば、ツンフトに膨大な金額を納めることもなく親方の地位が手に入る。
事実、そうした夢を追って、あるいはその道を余儀なくされ、放浪する職人も少なくはない。しかし、もちろん、街の外の世界が遍歴職人を特別扱いしてくれるはずもない。街から遠ざかれば、昼は盗賊と化したどこぞの兵隊が獲物を探してうろつき、夜になれば狼や人外が跋扈する。それくらいならまだましな方で、居場所のないまま冬を迎えたりしたら、遍歴職人にとって、世界はただ生きているだけで地獄そのものとなる。
どこかの街の親方に無理を言って住み込みで仕事を分けてもらえれば、たとえ、どんなに酷い扱いだったとしても、幸運である。仮に奴隷の待遇であっても、凍傷で指を失う心配もなく、ベッドと食事にありつける。春になるまで、ひたすらその扱いに耐えれば良いだけなのだ。
万が一、仕事が見つからぬまま冬を迎えたら、いよいよ物乞いに身を落とす他ない。しかし物乞いにもまた横の繋がりがある。街によっては物乞いのツンフトまであるという。物乞いの輪にすら爪弾きにされてしまったら、盗賊や人外が手を下すまでもない。雪の中で凍え死ぬのみである。
そんな遍歴職人の現実を思えば、たとえただ働き同然であっても、雨露をしのげる住居と、粗末ではあるが食事にありつける今の生活は、恵まれている方だと思えた。なによりも、おばさんがくれるクーヘンや、数多くのお客さんの厚意は、放浪の身で望めるものではない。それらを自ら捨てるほどの強い動機は、ネオにはなかった。
だが、いくら恵まれているとはいえ、無目的に靴を作り続けるだけの未来のない毎日は、地を這う蟻を思わせる無力感となって、ネオにのしかかってくる。もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐと食べものを食べるためだけに、もぐもぐと靴を作る。それがネオが見る自分の姿だった。
それこそが生きることだと言う者もいる。エーリッヒ神父あたりに言わせれば、その毎日の積み重ねが天国への門を開くのだと説くだろう。特に、財産をほとんど持たぬネオなどは、誰よりも天国の門をくぐりやすい人間だと、笑いながら言うだろう。しかし、キリストの教えにそれほど深い感銘を受けているわけでもないネオにとって、いずれ訪れるらしい終末後の世界の話は、心に平穏をもたらすものではなかった。少なくとも、心の蓋をきつく閉じたような、この閉塞感を振り払うものではなかった。
これを取り除けるものなど、この世にはないのだ。そんな無力感を抱えている毎日だった。
――今日の昼までは。
レ・ジョングルールの演奏が。息を呑まんばかりの剣舞が。つむじ風となってネオの閉塞感を吹き飛ばしていた。彼らは、ネオの抱える閉塞感とは対極に位置するものだ。自由で、奔放で、華麗で、妖艶で、人間としての素直で健康な美しさに溢れていた。純粋に、それに触れたいと思った。少しでも近づきたいと思った。そのために自分にできることが、これなのだ。
靴を作ることしかできないネオ。その前にあらわれた、足を怪我した少女。破れた靴を履き続けた結果、足に怪我を負うことは、ままある。多くの放浪者がはいている簡素なモカシンは、柔らかく耕された畑で作業をする分には充分だが、しかし過酷な旅には耐えられない。だから、モカシンなどではなく、簡単には壊れない上等なブーツを作ってあげよう。そんな思いで手を動かした。
靴底は最も硬い部分を二枚重ねにする。靴底を縫うのに相当な技術が必要になるが、なに、やってみせる。にかわで貼り付け、重石を置いて固定。すぐにでも縫い穴を穿ちたいところだが、乾かないことにはどうしようもない。急く気持ちを沈めるのを兼ねて、ブーツの履き口にあたる部位を再び木槌で念入りにほぐした。当然ながら、この部分の革が硬いと履き心地が悪いどころか、ふくらはぎを傷つけかねない。酷い話だが、革がこなれるまでは召使いに靴を履かせておくような貴族も多いと聞く。
彼女は何歳だろうか。おそらくネオのひとつかふたつ下。十二、三歳といったところか。まだ成長は続くだろうから、ある程度の余裕を持たせて、同時に、ふくらはぎをしなやかに包み込むように。丹念に、丹念に、革をほぐしていく。足の裏が直接触れる中敷きには、駱駝のお腹だったであろう柔らかな部位を。それを更に木槌で叩いて、ふわふわになるまで柔らかくしていく。
かーん、かーん、と遠くで鐘の音が響いた。夜の気配を刺激しないために遠慮がちに鳴るその鐘は、朝課の鐘〔深夜零時〕か。と、思いきや、鐘がもう一度鳴らされ、朝課どころか讃課の鐘〔午前三時〕だと気づいた。いつの間にか、とんでもない時刻になっていた。次に鳴るのは朝を知らせる一時課の鐘だ。
しかし、睡眠時間が大幅に減ってしまったことも、さして苦には感じなかった。今日の晩課の鐘が鳴る頃には、にかわもある程度乾いて、作業を次の工程へ進められるだろう。それが楽しみで、ベッドに入っても胸が高鳴っていた。
誰かのことを思い、誰かの為に靴を作ることが、こんなに楽しいことだとは思わなかった。
何年もの長い間、とてつもなく長い間、ずっと息を詰めていたことに気づいた。
毛布の中で大きく吸い込んだ空気が全身に染み渡り、とても心地良かった。